「兒島灣の新開」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「兒島灣の新開」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

兒島灣の新開

人口の蕃殖[はんしよく]するに從て新[あらた]に食物[しよくぶつ]を要[よう]するは言ふまでもなき事實[じじつ]にして我國にても毎年四五十萬の繁殖[はんしょく]あれば毎年新に四五十萬人の食物なかる可らず經濟[けいざい]の識者[しきしや]は夙[つと]に此邊[このへん]に注意[ちうい]して或は北海道へ移住[いぢう]を勸[すす]め或は海外に植民を企[くはだ]てんとする者あれども故郷[こきやう]に戀々[れんれん]するは人情の常[つね]にして殊[こと]に幾百年の久しき鎖國[さこく]の風に慣[な]れたる人を率[ひきい]て遠方[えんぽう]へ送[おく]ることは甚だ易[やす]からず左[れば此増殖したる人民の食物は日本の國土に求[もと]むるの外なしと雖も限[かぎ]りある耕地[かうち]に何[なに]ほど人工を用るも更に大に收穫[しうくわく]を増す可きにあらず唯この上は新地を開發[かいはつ]するの一法あるのみとして扨かの新開の法は山林、原野[げんや]、海面[かいめん]の三にしておのおの特失[とくしつ]を殊[こと]にすれども地理の模樣[もやう]に由り遠淺[とほあさ]の海面を耕地[かうち]に變[へん]するは最[もっと]も安全の策[さく]なるが如し第一海底[かいてい]の地味[ちみ]は最[もっと]も耕作[かうさく]に適[てき]し第二其地面は平坦にして地ならしの勞[らう]なし第三にこれを水田にするに從前海に灌[そゝ]く川尻[かわじり]の水を其まゝ利用して別[べつ]に灌水[くわんすゐ]の勞費[らうひ]を要[えう]せず即ち海面特有[とくいう]の便利[べんり]にして古來この新開に失敗[しつぱい]したるもの少なきも是等の理由[りいう]なる可し近來開く所に據[よ]れば備前國兒島灣[こじまわん]に新開の起業[きげふ]ありと云ふ備前の海[うみ]は遠淺[とほあさ]にて舊藩主初代の頃より新開に怠[おこた]らず殊[こと]に熊澤先生の如きは最も此に注意[ちうい]して萬頃[ばんけい]の沃野[よくや]今日に至るまで先生の紀念碑[きねんひ]たるもの少なからず既往[きわう]の事例[じれい]斯の如くなれば今回の事業[じげふ]も必ず偉功[ゐこう]を奏[そう]す可しと我輩の竊[ひそか]に期望[きばう]する所なり然るに諸新聞紙の報道[はうどう]を見れば此新開[しんかい]事業[じげふ]に付き地方の人民中に不服[ふふく]不平[ふへい]を唱[とな]ふるものあるよし是れは誠に珍[めづ]らしからぬことにて古來何れの新開にても事の初めに故障[こしやう]あらざるはなし殆[ほとん]ど常例[じやうれい]とも名[なづ]く可きほどの次第にして無數の群小民[ぐんせうみん]が目前に大事業の起るを見ることなれば其變動[へんどう]に心を奪[うば]はれ銘々[めいめい]に臆測[おくそく]を逞[たくまし]うして有ること無きことを想像[さうざう]し此海を埋[うづ]めては川の疏水[そすゐ]を妨[さまた]げて洪水の恐[おそれ]ありと云ひ海面が田面と爲りては漁業[ぎよげふ]の者は其日より渡世[とせい]の道[みち]なしと云ひ遠淺の海が陸地[りくち]と爲りては葭[あし]を刈[か]り藻[も]を採[と]り蛤[はまぐり]をとること叶[かな]はずとまで苦情[くじやう]百反[ひやくたん]なれども在昔[ざいせき]は大抵藩主の説諭[せつゆ]又威光[いくわう]に由り好きほどに慰[なぐさ]めすかして事に着手[ちやくしゆ]しいよいよ成功[せいこう]に至りて實際[じつさい]を見れば疏水も至極順當[じゆんたう]にして洪水の患[うれへ]なく漁師[れふし]は新田外の廣[ひろ]き海に稼[かせ]ぎて前の渡世に異[こと]ならざるのみか漁撈[ぎよれふ]の傍[かたはら]に新田を耕[たがや]して衣食[いしよく]を安[やす]くし地方全體[ぜんたい]の繁盛[はんせい]を致して曩[さき]の苦情[くじやう]は消[き]えて程[ほど]なく太平無事の樂郷[らくきやう]たる〓古來の新開事業を見て明は證[しよう]す可し所以に今國兒嶋の事も其地方の人民に限[かぎ]り〓〓の言〓を訴[うつた]ふるに非ず云はゞ新開事業に附帶[ふたい]する〓〓〓〓〓〓の苦情[くじやう]を述[の]べて恰[あたか]も古人の筆法[ひつぱふ]を學[まな]ぶ者〓〓〓を〓〓るの波も亦古人の筆法[ひつぱふ]に倣[なら]ひ今日は藩〓〓〓〓〓も地方〓〓富豪か又は土地の長者より説諭[せつゆ]して〓〓着手するの外なかる可し幾歳月を待[ま]つ〓地方の群小民が新事業の發起[ほつき]を贊成[さんせい]して之に滿足[まんぞく]することはなかる可し唯その滿足[まんぞく]を買[か]ふは工事中に之を使役[しえき]して賃錢[ちんせん]を得せしめ成功[せいこう]の上その新開地を授[さづ]けて農業[のうげふ]に就[つ]かしめ生活の道[みち]を安からしむるの時に在る可ければ目下の處は多少の故障[こしやう]を犯[をか]しても事の速[すみや]かなるを貴[たつと]ぶのみ

或は云ふ今度新開の發起者[ほつきしや]は大坂の豪商藤田傳三郎氏なるゆえ岡山地方の人々は恰[あたか]も他人に自家[じか]の事業[じげふ]を取られたるの思[おもひ]を成[な]して自然に不平の感[かん]あるよしと説[せつ]を作[な]す者あれども是れは大人士君子の局量[きょくりやう]にあらず岡山も大坂も等[ひと]しく日本國にして國の大事業は國の大富豪[ふがう]に任[まか]して可なり殊[こと]に海面の新開を企[くはだ]て資本の豐[ゆたか]ならざる者が細々[さいさい]着手[ちやくしゆ]するときは先づ海濱近き小部分を畫[くわく]して堤防[ていばう]を築[きづ]き爰[ここ]に何町歩を開きて先づその收穫[しうかく]を利[り]し次て數年の後に又その地先[ちさ]きの海面に着手して前の如く小部分を畫し右より起[おこ]り左より始め堤防又堤防次第に進[すす]むに從[したが]ひ數十年の後に之を見れば新舊[しんきう]の堤防鱗[うろこ]の形[かたち]を成し熟田[じゆくでん]の間に無用の土堤[どて]の重複[ちようふく]するを見ることあり事の全體[ぜんたい]より論[ろん]じて不經濟[ふけいざい]の甚だしきものと云ふ可し故に海面の新開は成[な]る可き丈け規模[きぼ]を大にして一時に幾千萬町を圍込[かこひこ]み堤防の重複を避[さく]ること最第一の要訣[えうけつ]なりと云ふ即ち大資本家の事なれば我輩の眼中[がんちう]資本家の誰[た]れ彼[か]れなし唯大事業に堪[た]ふる者なれば之に任[にん]するに吝[りん]ならざるものなり況[いは]んや新地開發は人口繁殖[はんしよく]の點[てん]より立言[りつげん]しても我國の急要[きうよう]なれば細事情[さいじじやう]を問[と]はずして唯大事の成功を祈[いの]るのみ