「僧醫の説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「僧醫の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

僧醫の説

我輩が本月二十二日の時事新報に各地方僧侶の俊秀なる者をして學生教授の傍に醫學を講究せしめ甚だしく人命を誤らざるの練習を積みて寺院所在の人の需に應じたらば便利ならん云々と記したるに付大澤謙二氏は此説を非なりとして左の書を寄せられり

僧侶の醫藥兼業に就き

貴社本日の論説中僧侶をして医業を兼しむべしとの一〓有之其據る處は東京の如き醫師餘りあれども田舍には漢法の肩書さへ得難き所あり僧侶にして之を兼ることを得ば人民の便益は勿論醫は仁術とも申す程故弘法の一助ともなるべしと云ふにあり昔し昔し其昔人皆未開の世にありては別に醫師と云へる者もなく恰も今日の〓〓社會に等しき有樣なりし事は疑なく中古に至り僧侶が醫を兼たることも實事にして御一新前迄は法眼法院抔云へる醫官のありし事も相違なし併し今日の人民は昔日と同じからず今日の醫學も昔日に比して六ケ敷相成たり醫學の初歩を講究した位にては甚しく人命を誤るなからん生は宗教の學を知らざれども醫學は片手間に修め得る者とも存せず記者は少く醫學を輕蔑せられたる樣なり否人命を輕んせられたる樣なり醫は司命の職と申すにあらずや半成の醫師に生命を任せよとはちと御無理かと存するなり成程今日の醫者社會に派隨分無學の徒もあるべし之を除きてこそ記者も御安心なるべく社會の利益ともなるべし吾人が一箇年平均二十日間の間病氣に罹ることは近來の統計に由て知り得たる事實なり扨病氣の間は藥餌其外の費用を要する者なれば差〓勘定隨分大なる損毛と云ふべし如何程醫學が進歩すればとて丸で病人のなき樣にすることは六ケしかるべしと雖ども病臥の日數を減じ得ることは受合なり安くて下手な醫者にかゝるより高くても速く治し呉る者を頼む方利益あること疑ひなし又都下には醫職に餘りありて邊鄙に缺乏あるは記者の云はるゝ通りにて田舍で半餓の生活を營まんより寧ろ萬一の僥倖を頼として都下に餓死せんとする者あるは奇妙なれども是亦人情の然らしむる所にして吾邦ののみ限りたる事にあらず醫師の乏しき所にては町村費等を以て有力の者を〓置くの例は歐洲に乏しからず上〓の〓得を熟考せば隨分高値の給金を出すも決して〓〓にはあらざる可何分にも記者の御論に感伏致し候〓此政〓戸に御記載被下候はゞ幸甚

六月廿二日 大澤謙二

時事新報記者足下

是の説に據れば僧侶が醫を兼るは昔の事にして今日の〓〓〓〓〓と同じからず〓〓も亦日に比して六ケ敷なりたる〓〓醫學の初歩を學びたる位にては人命を誤ると云ふが如し成るほど醫學の進歩して次第に六ケ敷なりたるは諸學術一般のことにして相違なけれども僧侶に此むづかしき醫術は叶はずとの理由は受取り難し僧侶にて醫を兼ることは其事例を日本の往古に求るの及ばず今日現に西洋諸國の僧侶は宣教の傍に醫を兼る者多きにあらずや今の日本の僧侶に限り醫師兼業の難きこともなかる可し又今日の日本人は昔日と同じからずと云はれたるその異なる所は固より古今生理を異にするに非ざれば知見進歩して昔日の愚に非ずとの義か、又は富〓増加して昔日の貧に非ずとの意味か、何れ此邊の趣意ならんとして成るほど今の人民は教育も次第に進歩し衣食も次第に足るが如くなれども是れは僅に國中の小部分にして滔々たる大數は無智甚だしく賣藥に生命を託して安心する者さへあるは爭ふ可らざる事實にして此種の愚民多きは獨り田舍のみに限らず此帝都中に在ても我輩は大澤氏と共に常に目撃耳聞する所なり左れば斯る愚民の病に接しては假令へ大醫名家の巧手段を施すに由なしとするもせめては醫學の大趣意を心得たる者ありて直に治療を施すに非ざれば深切に忠告を與ふるが如き其功徳は如何ばかりなる可きや即ち僧侶に相應の職分にして單に種痘の利益を説き勸めて手づから之を施すばかりにても人生の壽命を長くするに足る可し氏の考案は學理とり論じ來り天下萬民の病氣に就ては都て最上の治療を施さんとの所望なる可し紙上の議論のみにては感服の外なしと雖も許さゞるものは費用の一事にして多數の人民は尋常一樣の食物をも得ずして飢寒と名づくる不養生を犯すの常なり此輩が病に罹るに當り假令へ名醫國手あるも其療法を如何するやミルクも好しソップも妙なりと雖も家に一錢の猶豫あらざれば死と知りながらも本式の治療は施す可らず或は町村費を以て有力なる學醫を雇ふなど是れも一説なれども町村費と云ふ其費は民費にして民の負擔に堪るやいなや、假令へ之に堪へる名醫を得るとするも是れ亦國中の小部分たるに過ぎず其小部分にも貧民の貧なる者は藥餌を買ふに錢なきを如何せん故に學理の一方に着眼して錢の事を問はざれば良法妙案は涌くが如くにして必ずしも氏の説を俟たず我輩に於ても工風に乏しからずと雖も錢の爲めには學理も降參せざるを得ず畢竟我輩が僧侶に醫業兼帶を勸むるも國民貧窮の窮策に出てたることにして今日の有樣に於ては此窮策を上策とするのみ大澤氏は日本國中に完全無缺の名醫を作りて人民の貧富に論なく完全無缺の醫療を施し一年平均二十日の病氣を十日に減し五日に縮め遂には無病に至らしめんとの大望なる可けれどもその大望は後世何れの日に達す可きや千里の道中僅に數歩を發したる今日、各地方の田舍にては庸醫をも得ずして病苦し又病死するもの多し此忙しき時に當り假令へ醫學の上業に至らざるも學〓の大意を誤らざる僧醫を得るは經世の大利益ならずや況んや僧侶中には俊秀の人物も少なからざれば〓々有力なる名醫を生じて氏の所望を捕足せしむることもある可きに於てをや我輩は唯目下急を救はんと欲するのみ之を譬へば氏が醫療の完全大成を望むは二汁五菜の盛膳を待つが如し百年千年の後には調理することもあらんなれども吾々日本國民は空腹にして之を待つ可らず無理に待てと命せらるれば飢えて死するの外なし左れば氏が平均二十日の病氣を短縮せんとする冀望も氏の説に從て歳月を猶豫したらんには其猶豫する間は短縮はせずして却って増長することあるけれ人命を重んするの重きに過ぎて其成跡は之を輕んしたるの實を見ることもあらんとは我輩の服すること能はざる所なり