「北海道鐡道」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「北海道鐡道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海道鐡道

日本は農國なりと云ふも唯その人民の多數が農業を渡世にすると云ふまでの意味にして日本の土地は特に農に適したる土地にあらず或は數千年前は地味の肥えたる時代もありしならんと雖も年々歳々種子を蒔き苗を植えて收穫又收穫、際限もなき働に土地の力疲れ果てたる其有樣は多産の婦人の老大して最早や妊娠の體力なきものに異ならず幸にして尚ほ能く兒を産むは滋養の攝生宜しきが故のみ左れば歴史の年代を計へても二千何百年と稱する此老大國の土地にして地力の疲れ果てたるは固より論を俟たず單に天然に任せたらば米も麥も實る可き道理はなけれども今日尚ほ幸にして多少の收穫あるは國民が古來の習慣に從て耕耘を怠らず人力のあらん限りを盡して肥料を用るが故なり肥料は即ち老大國を維持する滋養品にして其産出物は恰も肥料と交易したるものに異ならず日本内地に農業の艱難なること推して知る可し之に加ふるに全國衛生の法は文明の氣風と共に進歩して死亡の割合は次第に減し天下太平の政治は戰爭に人を殺すことなくして人口の繁殖際限ある可らず統計の數、詳ならずと雖も毎年の增加は五十萬人に下らざることならん有限の土地を以て無限の人を養はんとす數の許さゞる所なり顧みて北海の一方を脉れば沃野千里開闢以來未だ曾て耕耘を試みざるものあり所謂處女壤(ヴォルジン ソイル)にして農作に肥料を要せず之を内地に比すれば農夫の勞逸固より同日の談にあらずして十倍の利益ありと云ふ實驗の報告爭ふ可らずと雖も凡そ人生に勇なきは知らざるの故にして從前内地の貧農等が北海道に移住せんとして未だ決心すること能はざりし所以は徒に墳墓の離別を惜むにあらず又樂天地を望むの慾なきにあらず唯北海道に遺利多しと噂に聞くのみにして想像の鏡には毛髪蓬鬆たる夷狄、冱寒凛々たる白雪のみを寫し來りて到る處に行人を見ず熊の足跡を見るなど物凄き風景に利益の談も打消され先づ以て見合せとなることにして即ち知らざるが爲めに進むの勇なく空しく祖先以來の貧窶に齷齪して闇より闇に死生するのみ若しも此輩をして一旦知る所あらしめ都にも鄙あり鄙にも都ありて北海必ずしも鬼界ならず内地必ずしも樂國ならざるを發明することあらば人民の幸福は如何ばかりなる可きやと我輩の常に堪へ難く思ふ所のものなり然るに爰に漸く好都合を得たりと云ふは日本鐡道會社の線路にして今日の所は未だ仙臺までに過ぎざれども其工事は追々捗取りて明年中には青森に達するを得べしといふ扨その曉には恰も内地の里程を短縮したるものにて青森よりは僅に一葦水を隔てゝ直ちに北海道に到着するを得ることなれば是れまで路程の遠きに辟易せしものも今は近きに驚く猶ほ其上に頃日聞く所によれば多年北海道廰に勤務して開拓の事務に最も通曉せる堀基氏が今度職を辭して民間の有志者と相計り其筋に請願して既設の幌内鐡道を買受け更に之に連絡して空知より室蘭まで一帯の鐡路を新設せんとて目下その取運び中なるよし元來北海道にては開拓の事業を擴張せんが爲め道路を開通するに心を用ひたるものにして其道路は人の徃來に迫られて造るにあらず先づ路を開いて人を〓〓〓の方便なりしが如何にせん人跡稀なる原野のことなれば多分の金を投じて立派に開鑿すると雖も幾ならざるに早くも蔓草の掩ふ所となり又もや舊の荒野に變することなれば當局者の中にも開拓の方便として道路を開くか將た又鐡道を布設するかと其の得失は夙に一の問題なりしよしの處現に幌内鐡道の實例を見るに線路に沿ふ所は着々開けて部落をなし又た更に草に掩はるゝの憂なくして開拓上の効驗著るしければ猶ほ彼是と調査考量していよいよ鐡道の敷設を出願することに決したるなりとぞ思ふに其期望の如く今度は彼の草生道路の覆轍を踏むことなかる可きのみか此鐡道の一極端は室蘭なるが故に青森とは函館に次いで最も近き所にして日本鐡道會社の線路とは水を隔てゝ相連絡するものなり左れば右の一擧にして成就するときは内地人は恰も易行の先達案内を得たる姿にして徃くも返るも掛念なく自由自在に北海道の佳境に入り實地の樣子を探るに及んでは企業の志止む能はず内地の老大恃み難きを知りて今まで北海の良土を誤解せしを悔ゆることゝなるべし貧農の爲め又經世の爲め此上もなき好都合なれば我輩は速に同鐡道敷設願の許可せられて一日も早く開通あらんことを祈るものなり