「警察と政黨」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「警察と政黨」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

警察と政黨

社會の罪悪の表面に顯はれたるものを罰するは司法の事にして即ち裁判官の司る所なれども其いまだ社會の發表せざるものを摘發警戒し以てこれを未然に防ぐは即ち警察の要にして其務たる敏捷鋭利、事を處するに間、髪を容れず物を察すること鬼神の如くなるこそ其本色なる可し而して社會の罪悪なるものは常に秘密隱險の性質を帯ぶるものなるが故に之を摘發察知するの手段も亦隨て秘密隱險ならざるを得ず蓋し警察には司法行政の二種ありて既犯の罪を探索するものと未發の害を豫防するとの區別あれども要するに擧動の活〓にして手段の迅速なるを貴ぶの一段に至ては孰れとて相違ある可きにあらざれば其局に當りて之を運用するものは注意の上にも注意を加へざる可らず如何となれば警察の事たる譬へば猶ほ利刀を使ふが如く其用法の次第に依りては或は自ら意外の瘡を蒙むるの恐れなきあらざればなり今我國現行の警察は政府の諸制度と同じく西洋諸國の法を本として改良を加へたるものならんと雖も其發達整備の度は遠く他の諸法の及ぶ能はざる所にして若しも其用意のよく行屆ける一點よりすれば之を西洋諸國に比するも敢て慚色なかる可し殊に其中央部とも云ふ可き警視廰が今の政府の中に於て有力の地位を占め居るは疑ふ可らざる事實にして我國警察の勢力は或は一種の特色を有するものと云ふも可なるが如し左れば此一種の勢力を使用するには非常の注意を要すること勿論にして就中政治上に關する事に至ては其關係極めて微妙なるが故に若しも一歩を誤るときは意外の變も圖る可らず德川幕府の末路に際し天下浮浪の徒、到る處に徘徊して政府の處置を横議し人心を煽動し政治の妨害一方ならざるを以て幕府にては種々の手段を用ひ之を鎭壓せんと試みたれども奏功の思はしからざるより遂に一策を案じ浪士の中、用ふ可きものを撰んで之を新徴組と名け以て探偵徴捕等に從事せしめたるに此一點に於ては著るしき手柄を顯はしたれども之が爲めに天下志士輩の怨望はますます甚しくして幕府末路の人心を失ひたるは此一事に起因すること少なからずと云ふ即ち德川政府が政治上に警察を誤用したるものにて之を最近の一悪例として見るも可ならん然るに西洋諸國の有樣を見れば警察の仕組は固より完備して一點の拔け目なしと雖も之を政治上に使用するに至りて最も其事を謹しむものゝ如し彼の英國にてバーテル氏の暗殺嫌疑事件の如き日本人の想像を以てすれば氏が判廷にて審問せらるゝ其間警察より嫌疑拘引を免れたるは却て怪しむ可きが如く又倫敦の公園などにて毎度催ほす政治上のデモンストレーションの如きも外より見れば其混雜亂暴、一方ならざるやうなれども警察は唯〓〓〓〓の用意をなすのみにて實際に手を下して之を鎭制したるの例は甚だ〓なるが如し東西の事體もとより同じからざる所もある可しと雖も亦以て政治上に警察を使用するに謹愼なるの一端を知る可し近來我國にても政治の談頗る喧しくして政治の處置に反對の議あるは勿論、民間各自の黨派中にも互に相軋るものさへなきにあらずして今後この有樣はますます甚しきを加へ其軋轢反對の餘り時としては異常の現象も免る可らざる事なれば此時機に際し警察の注意は最も深密ならざる可らず既に本年の春頃一派の政黨の人々が大坂又は東海道筋の各地に演説を催したる折、少年壮士輩の亂暴に遇ひ説を述ぶること能はずして止みたるに臨塲の警察官吏は一向構はざりしとて物議を招きたることあり然るに之に反して此程東京新富座の演説には警吏の保護行屆き過ぎたりとて云々するものさへなきにあらず世上の物議取沙汰は如何にしても其役目の本分さへ盡せば勿論差支あるまじきなれども民間政黨の軋轢反對甚しきを加ふるの日に當りては其處分の手段最も困難にして聊かにても孰れの一方にか偏するの姿を現することあらば政府は直にその怨望の衝に立つものと覺悟せざる可らず左れば警察なるものは政府の一器關たるにも拘らず政治の爭には深く獨立の義を守りて事を行ふ其間にも苟しくも一方に偏するの嫌疑を避くるに注意し一國の治安を保つを目的となし其職に從ふを以て本分と心得べきものなり