「貯蓄の事忽にす可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「貯蓄の事忽にす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

貯蓄の事忽にす可らず

日本は農國にして人民の食物は専ら米穀に限るが故に其收穫の多少即ち年の豊凶ほど其利害に切なるものなし左れば我國にては古來凶年を以て天事人事中の最も恐る可きもの〓〓〓之に備ふるの用意も疎かならずして彼の節儉貯蓄云々の教も其本意を尋ぬれば不時の天變即ち凶年に備ふるの意に外ならざるは之を當時の事實に徴して窺ふ可し盖し鎖國封建の昔日外國交易の道も未た開けざるは勿論國内に於ても運輸交通、困難を極めて獨り天然の不便あるのみならず隣境相接して互に關を設くるが如き時代には一朝天變到來して米穀の收穫常ならず食物欠乏を告ぐるに當りても海外の輸入を望む可らざるは申す迄もなく假令へ國内全般の饑饉ならざるも交通の不便と割據の習慣とは米穀運輸の道を妨げて緩急相濟ふ能はざるを致し之が爲めに往々貧民をして餓死の慘状に陥らしむることなきにあらず即ち昔時に於て凶年の恐る可き所以にして斯る事情よりして備荒貯蓄の必要も一層其大切なるを感じたりし事ならん然るに今日に至りては内外交通の道大に開けて特に汽車汽船の便も發達したれば不幸にして凶年の災到來するも甲地の米を乙地に運び丁地の物を丙地に送り彼是相濟ふことを得るは勿論、斯る折には直に海外よりの輸入もありて其不足を償ふに至る可ければよしや全國到る處一時にその災を蒙むるが如きこと萬一これありとするも決して路に餓孚を見るの患ある可からざれば食物の貯蓄は豫じめ心掛け置くに及ばざる可し云々との説なきにあらず一應は尤もなる次第にして理に於ては左もある可き事ならんなれども我輩は之を事實に照らして今日に於ても猶ほ幾分か凶年の用意の必要なることを信ずるものなり成程今日に於ては國内運輸の便も開け殊に海外諸國との交通も盛なることなれば如何に凶年の災到來するも徃昔の如く甚しき慘状を呈するに至らざるは勿論の事なりと雖も然れども熟ら熟ら國内の有樣を案ずるときは猶ほ杞憂に堪へざるものあり近年民間の不景氣は世人の知る所にして全國同弊と云ふ中にも最も其弊を蒙むるものは農民の一種族にして終年粒々辛苦の所得は以て其負擔の重きを償ふ能はず爲めに身代限に處せらるゝなどの事は敢て珍らしからざるのみならず時としては豊年猶ほ餓死を見るの慘話さへなきにあらざるに若しも不幸にして凶年の沙汰もあらば果して如何なる有樣を現出す可きか我輩の甚だ恐るゝ所なり勿論運輸交通の業も近來大に發達したるに相違なしと雖も是れは國内の要所要港、汽車汽船の往來する塲所のみにして少しく去て寒村僻邑の地に至れば依然たる昔時の仙郷にして人肩馬背猶ほ困難を訴ふるの土地甚はだ少なからず而して凶年饑饉の災は斯る山間無告の郷にこそ最も其の慘状を逞うするものなれば汽車汽船の便利さへも其用をなす能はず况して海外貿易の〓〓の如きはこの轍鮒の急に及ばざる事ならん左れば今日の〓〓を以てすれば凶年の災は一國全體の上よりは左程恐るゝに足らざるが如くなれども局に當る人々個々に就ては其恐る可きこと毫も昔日に異ならざるのみならず當時に在ては國中到る處夫れ相應の仕組もありて凶年に備ふるの手段も等閑ならざりし處、今は全くその用意もなければ塲所に依りては却て意外の慘状に陥ることなしとも云ひ難し尤も政府にて定めたる備荒貯蓄の法ありて各府縣に於ては年々これを施行し居れとも此法は重もに納税の便を謀るに在りて全く備荒の意に出でたるものにあらざれば其方法とても既に米穀を貯蓄するにあらず多くは公債證書として之を保存する者なれば一旦急に應ずる事は如何なる可きや元來備荒の事たる今日に於ては寧ろ其局に當る者が銘々に用意するこそ其本分なる可ければ人民は宜しく進んで自ら其殊に當るの外ある可らず富豪の人々が平素に節儉貯蓄して萬一の塲合に傍近の貧民を賑はすが如きは最も望ましき所なれども是れは銘々任意の事にして強ひて人に責む可らず唯幸なるは我國にては古來村落間の習慣として吉凶相訪ひ艱難相濟ふの風ありて舊藩政の時には恰も地方自治の法を以て貯蓄の事なども其習慣の中に存し頗る仕組の整ふたるものなきにあらず廢藩後百事の改まりたると同時に斯る仕組も隨て廢滅に歸したりとは云へ今日更に之を改良して再び實行することも容易なる可く又たとへ其舊慣あらざる處にても今日は現に町村自治の制も行はれ町村内の事は皆會議に決するの定めなれば新に事を始むるも敢て至難ならざる可し兎に角に便宜の方法に依り凶年饑饉の用意を爲すは日本今日の不要にあらざる可しと信ずるなり