「政黨の機關新聞」

2014-05-01

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時事新報に掲載された「政黨の機關新聞」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政黨の機關新聞

政黨は其執る所の主義方略を滿天下の人に吹聽し成る可く多數の賛成者を得て之を實行せんと期する者にして其目的を達する爲めには諸種の手段も入用なる中に特に新聞紙の如きは用の最も廣きものにして之を唯一の機關として功を奏すること少なからず即ち世に政黨機關新聞の行はるる所以なり抑も政治家が其思想を世に公にして天下の賛成を求め又その反對の説を論駁して自説を主張するが如きは青天白日男子の所行にして毫も忌憚する所ある可らず其事たる固より公明正大なれども凡そ新聞紙は其機關たると然らざるとに論なく公然社會の耳目を以て自から任じ一たび其紙上に記する所の事柄は天下衆人の信ずる所となりて爲めに其心を動かすこと少なからざるが故に他に對して主義論説の異同は兎も角もなれども事實を記すに至りては常に正確公平を旨として苟くも偏する所ある可らず是れ實に新聞紙の徳義にして或は其社會に對するの義務と稱するも可なり然るに其新聞紙が政黨に連絡して他黨と主義の得失を爭ひ其爭の漸く激烈なるに至るときは記者の眼光時としては事實の長短黒白を誤認し自分には十分公平の積りにても知らず識らずの間に僻見に陷ることなきに非ず胸中の先入、人情に免かれ難き所なれども此邊には大に戒心を加へて實際の記事だけは勉めて事實に遠ざかるなからんこと我輩の切に祈る所なり聞く所に據れば西洋諸國の政黨は夫夫機關新聞を利用して互に黨略を鬪はす中にも英國の如きは其最も盛なるものにして政事上に事件の生ずるときは各黨互に新聞を以て相挑戰する有樣は實に目覺しき事なれども其戰たる互に主義方略上に爭ふのみにして其事の報道に至りては何れの新聞も正確を旨とし彼我その臭味を異にするが爲めに有無黒白を顛倒するなどの事は極めて少なく殊に其反對なる人人の一身に就て卑劣の言語をなすが如きは最も戒むる所なりと云ふ誠に美風と申す可し之に反して佛國米國などの政黨新聞には時として政熱に乘じ大人しからぬ擧動あるよし我輩は偏に佛米の流弊を戒めて英國の美に傚はんと欲する者なり我國も近來いよいよ政黨分立の時世となりて政治新聞紙中には自から其機關たるものもあるが如し既に機關を以て自から任ずる上は敵味方に論なく實際にありし事柄は勉めて正確に記すの風を養はざる可らず即ち新聞紙の徳義にして又自黨の利益なる可ければなり例へば近時條約改正の問題起りてより或は斷行と云ひ或は中止と云ひ世論紛紛として歸する所を知らず顧ふに條約改正は國家の大事なり既に其所見を異にする以上は正正堂堂その可否を説き利害を論じ反對者と相抗論するは政黨の本色にして其間時に或は中庸を逸したる言論あるも元と是れ青天白日、男子の事にして愧づる所なしと雖も此際に當り唯不審なるは所謂機關新聞の記事にして然かも同日同時同地に行はれたる同一の出來事を記するに其相違の甚しき實に驚く可きものあり盖し黨派の目鏡を掛て世間を見渡すときは總ての事皆己れの方にのみ都合好く見ゆるものなれば其間に多少依怙の沙汰あるは人情の免れざる所ならんなれども世人の耳目に明白なる事實を取りて全く反對の觀察を爲すに至ては餘りに甚だしきものと云はざるを得ず政黨の爭は固より公明正大のものなり其極端に至れば時として末流間に穩かならぬ擧動を見ることなきに非ず固より厭ふ可しと雖も其新聞の紙上に事實を誤報するに至りては天下の耳目たる任に負き自から其徳義を破るものにして更に厭惡に堪へず抑も社會の事たるや一日萬機その變状思議す可らざるものなれば新聞紙の報道に全く誤謬を避けんとするは固より難きことなれども彼の政黨新聞の如きは其性質に於て特に其弊に陷り易き境遇に在るものなれば此一事に就ては人の爲め又自家の利益の爲めに一層の注意あらんこと我輩の偏に冀望する所なり