「三條總理大臣」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「三條總理大臣」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

三條總理大臣

内閣更迭の噂果して虚傳ならず一昨二十五日黒田伯は願に依り内閣總理を免じて樞密顧問官に任じ三條公爵は内大臣を以て總理大臣を兼任せられたれば其他の大臣にも何れ追追更任ありて所謂三條内閣を組織せらるる事ならん抑も公は維新の始めより常に台鼎の重職に當りて國事に勤ること十數年間一日の如くなりしが明治十八年十二月内閣組織の改制に際し「(前略)宜シク時宜ヲ斟酌シ古今ヲ通ジ太政官諸省ニ冠首タルノ制ヲ改メ併セテ太政官諸職ヲ廢シ内閣ヲ以テ宰臣會議御前ニ事ヲ奏スルノ所トシ萬機ノ政專ラ簡捷敏活ヲ主トシ諸宰臣入テハ大政ニ參シ出テハ各部ノ職ニ就キ均シク陛下ノ手足耳目タリ而シテ其中一人ヲ撰ヒ專ラ中外ノ職ニ當リ旨ヲ承テ奉宣シ以テ全局ノ平衡ヲ保持シ以テ各部ノ統一ヲ得セシムヘシ(中略)若シ其人ニ至テハ必陛下ノ聖鑑ニ由リ大局ニ明達シ時勢ニ精錬ナル者ヲ得テ以テ之ニ任スヘシ而シテ中外多端ノ機務ニ當ルガ如キハ實ニ臣カ堪フル所ニ非ルナリ云云」の奏議を上り多年の相井を辭して内大臣の閑職に就きたる公にして再び出でて内閣總理の位地に立ち新内閣組織の事に鞅掌するを見れば昨今の成行止むを得ずして公を起したるの事情あるを察するに足る可し其事情は我輩の茲に云ふ事を欲せざる所なれども公にして既に其地位に立ちたる上は其下に組織せらるる所の内閣は如何なるものなりやと云ふに敢て推測するに難からざる可し抑も公は維新の元勳、清華の本流を以て久しく台鼎の位に在り補弼調理の功、少なからざるは勿論の事なれども政治上に於て最も務めたる所は常に藩閥の權衡を維持して其平均を失はしめざるの一事なりしが如し左れば新内閣組織の目的とても多分その邊の主意に基くことならんなれば今度の更迭にも必ず辭職者の再任を見るものと判定して大差なかる可き歟、一説に公は始め總理就職の勸めあるに際し十八年に彼の奏議をなして退きたるものを今日となりて再び重職に當る事は如何にしても不本意なるとて再三これを辭したれども勅命默止し難くして遂に就職したる次第なれば二三箇月の後に至らば更に適任の人を撰んで其地位を讓るの覺悟なりと傳ふるものあり其如何を知る可らずと雖も兎に角に昨今の時局に當りて偏に公に重きを置くの實あるを見る可し顧ふに公は多年大政の局に當りて經歴久しからざるにあらずと雖も若しも其伎倆より云ふときは今の在職の歴歴中にも專門の政治家に乏しからず或は其勳功〓〓より云はんか維新の功臣を孰れを先となし又孰れをも後となす可らず且つ近來は新進の華族を生じて爵位の高きは昔しの公卿も及ふ可らざるものあり然るに政治の伎倆、勳功爵位等を外にして公の一身に重きを置くこと此の如くなるを見れば今の政治社會に於ても舊門閥舊歴史の猶ほ時として必要の實あるを知る可きのみ