「伊藤伯の轉任」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「伊藤伯の轉任」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

伊藤伯の轉任

我輩が號外を以て讀者に報道したる如く伊藤伯は一昨日を以て宮中顧問官に任ぜられ願に依りて樞密院議長并に内閣に列することを免ぜられたり抑も伯が去る十一日の辭表は實に晴天の霹靂の如く不意に世人の耳朶を驚かしたるより爾來政海の雲行は遽に凄まじく僅僅十數日の間に大隈伯の遭難、内閣の辭職、總理大臣の更迭等何れも重大なる出來事を生じ今日と雖も未だ全く天氣の快晴に至りたるものと云ふ可らざるが如し而して此際に於て伯の轉任を見るに至りしは世人の先づ案外に思ふ所なる可し聞く所に據るに伯の辭職は條約改正の論に就き當時の内閣と意見を異にしたるが爲めなりと云ふ今の政海には種種入込みたる事も多き由なれば敢て條約の一事には限る可らずと雖も兎に角に何か政治上に一種の意見を抱きながら其意見の當局者に同じからざる爲めに内閣を去らんとしたるの迹あるは一見疑ふ可らず如何となれば其平生より見るに伯は一身の事情の爲めに去就を容易にするの人ならざればなり而して其辭職は果して當局者と見を異にし自説の行はれざるが爲めにして他に事故あるにあらずとすれば若しも當局者にして其説を容るるか然らざるも他の事情の爲めに自然に行はるることを得るの塲合に至らば強いて内閣を去るにも及ばざる事ならん尋常の見解を以てすれば伯は政治上に當時の當局者と反對の意見を有したる人なれば其説行はれざるに於ては職を去るも可なりと雖も既に内閣に更迭ありて反對なる當局者の辭職したる上は當世の政治社會の語を用て之を評すれば伯は勝を制したるものと云はざるを得ず然るに敗を取りたる當局者の辭職と共に勝を制したる伯の内閣を去りたるは少しく解す可らざるに似て即ち世人の案外に思ふ所ならんなれども我輩は此事相を見て却て今の政治上の常態毫も怪むに足らずと爲る者なり我輩は伯の辭職の理由を知らず又今回内閣更迭の理由をも知らざれども兎に角に伯と當時の當局者とは説を異にしたるものとして之を云はんに若しも西洋諸國の如く主義を以て組織したる内閣に於ては固より異説者を容る可らざるが故に苟くも當局者と意見を異にするものは一日も其中に留まる可らざること勿論なれども之に反し當局者の〓行はれずして辭職の塲合には前の異説者は迹に踏留まり敗者は去り勝者は留まるの例なれども是は主義を以て組織したる内閣の事にして以て我國の例となす可らず世人の知る如く今の政府は事實藩閥聯合の政府たることを免れざるものにして如何なる次第ありても此聯合を傷くるは最も忌む所なり故に在朝の政治家は何〓〓〓ても常に其調停に忙はしき有樣にしてこの一事の〓〓とあれば如何なる事をも厭ふ可らず蓋し此の如〓〓〓れば以て政府の〓〓を致すこと能はずと思相す〓〓〓〓〓る〓〓の部内に於ては最初伯が當局者を説〓〓〓したるが爲めに一身内閣を去らんとする〓之を目して不穩の擧動と認めざるを得ず况して其反對に當局者の意見の行はれずして更迭したる其後に前に辭職を差出したる伯が依然として留まるが如きは恰も情實の手前に於て是非明白なる黜陟を行ふたるも同前にして决して穩當の處置と云ふ可らず左れば今回は當局者も更迭し之に反對したりと稱する伯も轉任したるは俗に云ふ喧嘩兩成敗の處置今の情實政府に取りては誠に止むを得ざるものにして我輩の毫も怪しまざる所なり抑も昨今漸やく形を成しつつある新内閣の主義は我輩の未た窺ひ知るを得ざる所なれども三條新總理大臣の平昔と其内閣員の人物とに由りて考ふれば其主義も矢張り藩閥の權衡を維持し其平均を保つに在るや疑ふ可らず果して然らば伯の轉任は政府部内に於て藩閥權衡論の益益盛なる兆候として見るも敢て差支なかる可き歟