「井上伯の地位に就て」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「井上伯の地位に就て」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

井上伯の地位に就て

政海の事情は天氣の如くにして其變化は倏忽、圖る可らざるものなりと雖も井上伯が今日

の地位の如きは變化の最も甚だしきものと云ふ可し一二月前までは伯自らも世事を抛擲し

たる如く又世間にては之を方外視したりしに僅かに數旬を出でざる今日は全く反對にして

自身の覺悟はイザ知らず世間にては其一擧一動も輕視せずして伯の身に重きを置くの情あ

るは疑ふべからず畢竟伯の决心に前後の相違あるが爲めに非ず唯世間人情の淡泊なるが爲

めに然るものにして我輩は之を評して我國政治上の氣風に多少の進歩を催ほしたりと云は

んと欲する者なり抑も東洋從來の氣風として與論の攻撃を受け政治上に失敗したる人物は

容易に雪ぐ可らざるの汚名を蒙り何か非常の機會ありて之を回復するにあらざれば其技倆

才略の如何に拘はらず生涯暗處に蟄仗して聞ゆることなき者比々皆然らざるはなし井上伯

が一昨年條約改正の衝に當りて其事成らず中途にして身を退きたるは政治家の常にして怪

しむに足らざるが如くなれども例の東洋流を以て之を見れば政治上の大失敗、終身の耻辱

として見らる可きは無論、現に其節朝野の一部分に於ては議論常に極端に走りて言ふに忍

びざるの罵詈を逞ふしたる程の次第なれば僅々兩三年の中にして伯の名譽回復は到底望む

可らざるものゝ如くなりしに今日に至りて伯自身の覺悟は兎も角も政府並に世間より伯に

對する情感は至極淡泊にして其舊を意に介する者なきのみか却て之に依頼するの念を生じ

目下の難局に當りて事を始末するものは此人を措て他に求む可らずなどゝて内實その助言

を待つの事情ありと云ふ即ち朝野共に伯が前年の擧動を不問に附し唯その技倆才略に望を

屬するの兆候にして之れを目して政治上の氣風の進歩と云はざるを得ず我輩が世人と共に

聊か喜を表する所のものなり元來政治界は政治家が其技倆を角するの塲所にして猶ほ昔の

武士の戰塲に於けるが如きものなれば勝敗ともに深く恥とするに足らず唯その爭は淡泊に

して事後に至れば恩讐互に相忘れ毫も他日の恨を殘さゞることを期す可きのみ今回の條約

改正論に就ては世間の議論喧しくして可否雙方の論鋒頗る激烈を極め遂に不幸にして狂人

の狂事を演ずるに至り不穩の頂上に達したれども狂人の出歿以て政局の大勢を動かすに足

らず條約改正の本論は整々堂々其利害を研究し成敗共に君子の爭を以て平和の局を結ぶ可

きこと我輩の期して疑はざる所なり若しも然らずして利害論の熱度を高くし日月を經過し

ても爭〓の消滅せざるが如き事情ありては雙方の不利これより大なるはなし凡そ人事の極

端に達して回復の方便なからしむるは野蠻の習慣、小人の事にして君子は之を取らず例へ

ば敵を殺さゞれば敵に殺さるゝとは古人の筆法なれども文明の世には假令へ互に兵を交ゆ

るの塲合にても力盡れば降參して其降りたる者も自ら身を容るゝに地あり况んや一時政論

の爭に於てをや其成敗は固より以て終身の榮辱とするに足らず今や我國政治上の氣風は大

に舊面目を改め外交の事に關して井上伯の身に重きを置くとは其心事の淡泊以て見る可し

我輩は敢て伯の决心を左右せんと欲するに非ず其出身を促がすに非ざれども朝野の人が伯

を見るその執念の薄きを嘉みし益々此風を助長して政論に恩讐相忘るゝの習慣を成さんこ

とを切望するものなり