「國帽の説」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國帽の説」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國帽の説

支那、朝鮮、安南、暹羅凡そ此數國の人々は世に蒙古人種と稱して其状貌骨格等酷だ日本

人に肖たれども彼れ多くは武氣に餒え又多くは文思に渇して義侠凛然氣品高尚の趣は固よ

り我が日本人に比す可しとも思はれず即ち形を同うして魂を異にするものなれども如何せ

ん状貌の相類するを以て此數國の人々が共に西洋服を着して共に西洋人の間に入れば兼ね

て東洋人を見慣れたる者にても直に之を判別するに苦み支那は東洋の大國なるを以て玉石

混同、一概に之を支那人と稱する其支那人は西洋人が狡猾不潔破廉耻の人種とする所にし

て我が日本人の如きも既に支那人視せらるゝときは身に固有する智德に對して直に夫れ丈

けの尊敬を受くることを得ず迷惑千萬なりと申す可し我輩つらつら按ずるに米國には支那

人の渡來も多く其中十の八九までは下流の勞役者のみにして苦役を辭せず汚穢を嫌はず他

の勞役者を壓倒するに加へて其不潔汚醜なる到る處に空氣を穢して衛生道の妨害を爲す等

の實状あるが故に一部の人は之を嫌ふて之を輕蔑するのみならず米國國論の向ふ所その新

に渡來するを禁ずるに至りたる次第にして事の是非は姑く擱き米國人の支那人を嫌惡する

原因は誠に明々白々たれども歐洲諸國の人々が矢張り支那人を忌み嫌ひ兒童走卒東洋人を

見れば孰れも支那人の名を以て嫌惡輕蔑の情を示し我々日本人の如きも毎度その誤認する

所と爲り我れは支那人に非ず云々と言譯して始めて其無禮を免かるゝことあるは是れ將た

如何なる原因なるか盖し咸豐同治の際、支那開國の其時には英佛二國との交渉多く一方に

て阿片を燒き又宣教師を虐殺すれば一方にては聯合軍を以て長驅して北京城に入り彼の圓

明園を燒き公私の寶物を分捕りし償金を取り土地を取り始めて媾和に及ぶ等その騒動一方

ならず然るに當時は今日と違ひ東西徃來交通の便、頗る不自由なりしが故に戰地の詳報歐

洲に達するには幾月を費す程の次第にして遠方の事ゆゑ附説も多く當時歐洲の新聞紙は天

下に時めく英佛を譽えて偏に支那人の殘忍なる又怯懦なるを毀り支那人は英佛の俘虜を捕

へて殘酷にも尿水を飮ましめたり、又斯く斯くの拷問を行ひたりなど一時歐洲の人心を激

して支那人は卑劣の人種なりと深く銘肝せしめたるものが今尚ほ一般人の感情に存して斯

くまで嫌惡せらるゝものにてもあらんか或は他に其原因あるやも知る可らざれども兎に角、

歐洲諸國にても支那人の卑まるゝことは事實にして或る日本人中には大國支那の人と間違

へらるゝは我々の名譽に非ずやなど戯るゝものもあれども國民の人情、實際决して然るこ

と能はず試に吾々が歐洲諸國を旅行して汽車中他客と相對する時に我れを蔑視するが如き

顔色を爲す者あれども偶然の事にて言語を交へ我れは日本人なりと云へば彼れ忽ち顔色を

和らげ君は日本人にて候ひしか實は支那人と思ひ違ひて甚だ失禮したり云々とて是れより

日本の進歩談に移り握手して相別るゝが如きは我輩の毎度實驗したる所なり即ち西洋國人

の一部は日本と支那と相對して既に其國を區別することを知れども未だ其人を區別するこ

とを知らず遂に玉石を混同するものなるが故に我々日本人たる者は一には此等の不愉快を

避け一には我が國體を保ちて他と相區別するが爲め更に日本人特有の標的を撰み此標的を

一見すれば遠近内外の人をして直に日本人たることを知らしむるの工風なかる可らず但し

日本には日本服あり以て日本人の標的たらしむ可らざるに非ざれども今日の時勢人情、日

本服を服して歐米の市街を橫行する能はざるのみか内國にても次第に洋服着用者の數を増

しフロツクコート燕尾服を以て夫れ夫れ禮服と定めたる程の次第にして日本服は以て日本

人の標的とするに足らざるが故に今洋服にも和服にも共に通用す可き彼の帽子の制に一種

特有の形を撰み之を日本の國帽として他と相區別するが如きは標的の最も明なるものなる

可し此事たる决して我輩の新案に非ず何時の頃より始まりしか起原は確知せざれども彼の

土耳古國にては富士山形の帽子の頂に數寸の房を埀れ下けてパシヤ以下悉く之を被るの例

なるが故に歐洲の市を通行しても色の淺黒き大の男が此帽子を被るを見れば直に土耳古人

たるを知りて他と相區別することを得べく即ち一種の國帽と稱するも可ならん特に我が日

本人は美術的の思想に富むが故に獨立に工風を凝らしたらば面白き新形を案出して西洋人

の眼を引くことも容易なるべく斯くて國帽定まりたる以上は官吏學校教員を始め官公の職

務に當るものには必ず之を被らしめ特に歐米に出張するものには公私の別なく着用を命じ

或は之を禮帽とするも或は常用帽とするも總べて其形を改めず之を羅紗にし之を絹にし或

は色合裝飾等の區別を以て之を用ふるの塲合を異にしたらば國帽の形も人目に慣れ追々世

界に知れ渡りて此國帽を一見すれば直に日本人たることを知るに至る可きなり之を要する

に獨立國は成る可く其國特有の物を具へ之を顧みて他と區別し之を思ふて愛國心を増すの

工風を立つること肝要にして歐洲諸國孰れも之を勉めざるものなし此一點に至りては鎖末

の事も忽にす可らず我輩の國帽説ある所以なり