「商工社會に藩閥を作る可らず」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「商工社會に藩閥を作る可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商工社會に藩閥を作る可らず

今の日本國は政治の國なり社會凡百の事項中政治は獨り出群にして其勢力の強大なる學問

宗教商工業等の社會を動かして殆んど意の如くならざるなし然るに此政治社會に所謂藩閥

なるものあり今を去ること廿餘年、王政維新の其時に國事に奔走したる強藩の人が爾來政

治上の權力を握り當時第一流の人々が次第に黄土に歸するに隨ひ第二流が代りて青雲に上

り第三流も亦雲南を得る地に近づき政治社會の好位地は殆んど之を專有して遂に藩閥の勢

いを成したるは隱れもなき事實にして凡そ人間互に相知るに非ざれば事を托するに不安心

なるは人情の自然なるが故に藩閥既に勢を成すからには政治上に於て人物を用るにも何か

其藩に縁故ある者を採るが如きは固より怪しむに足らざる所なり然るに前に云へる如く日

本は政治の國にして其勢力強大なるが爲め民間商工業の人々も亦先づ政治上の藩閥人に依

り一旦其歡心を得るときは職業上の諸請願も先づ以て通用し易く政府内部の事情より諸規

則發布の模樣も知れて投機家及び活溌なる商人は一攫千金の機を求め易く政府の新調品注

文は多く其手に落ち來りて之を請負ふこと甚だ易く結局日本の商工業家は藩閥人に依らざ

る可らずとの觀相を呈せしかば商工諸會社を發起する者も藩閥人を社長にし若くは之を重

役にすれば政府と會社との關係も自から相密接して何に就けても好都合ならんとて利に走

るの人情、人の能不能を問ふに暇あらずして偏に藩閥人を戴かんことを謀り其社長たり重

役たる者が我れより進んで此位地を望むのみならず苟も藩閥人とあれば發起人若くは株主

の方より迎へて之に依らんとする内情なきにあらず且つ我が商工台會社中には徃々政府よ

り特別の保護を與ふるの故を以て社長以下役員官撰の者も少なからず斯て政府は重役を撰

むに重もに藩閥縁故の人を以てするも自然の情實にして試に今の商工社會を見るに鐵道銀

行船業製造業等の諸會社を始として重要の位地に藩閥人を見受けざる者なく甚だしきは日

本に出店して政府諸用度の注文を受けんとする外國商も早く已に其邊の機を探知し先づ藩

閥人を雇ふて之に注文品周旋役を命し閥脈重要なる者の親戚などは其無用の人たるを知る

も時に彼の急所を押へるの具に供せんとして平常高給を與へ置く其趣は昔し我が戰國の名

將が彼の泣男を養ひたるに異ならず何れも事の實相を窺ふ可き者にして今日の儘に過ぎ去

りたらんには藩閥は政治上に止まらず商工社會にも傳染して爰に一種の商閥を生じ人情自

然の致す所、商閥人の間柄に於ては金融貸借の都合もよく凡そ民間大會社の首位は閥人こ

れを占むるが爲め投機若くは興業等に於て聯合攻防の策を立つることも易く政治上の藩閥

と事業上の商閥と俯仰相助勢して閥人常に得意なる中に閥外人は甚だ不仕合なるが如き奇

相を呈することなしと云ふ可らず我輩は人の營利に競進することを嫌はず人々銘々の力を

以て自から其の勢力を作るは是れ即ち人閥にして人閥を以て社會を壓するは男兒の功業な

る可しと雖ども政治上の藩閥を假りて之を商工社會に移し功名富貴を一處に集めて不相應

の勢力を作らんとせば忽ち天下の怨府と爲り商工社會の爲めに謀りて獨り不便利なるのみ

ならず閥人自から保たんとするにも亦不得策なるが故に藩閥人中の長老輩は深く其前途を

思慮して之れに處するの長計を立てざる可らざるなり