「國税滯納處分法」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「國税滯納處分法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

國税滯納處分法

國税滯納處分法は去る二十日法律第三十二號を以て公布せられたり從來滯納の處分法と云

ふ可きものは明治十年第七十九號の布告にして僅々六箇條に過ぎざりしを其の後屡々削除

改正等ありて五箇條に減じたり此五箇條の法文こそ即ち今日まで實行の滯税處分法なれど

も人權の最も重んず可き財産の處分を僅々數條の法文にて總括す可きにあらざれば其後

追々の達等もありて彼是參照して法を成し實際には左迄の不都合もなかりし事なれども兎

に角に主として率由す可きものは此法文の精神に外ならざるが故に時勢進歩の今日に至り

ては少しく不釣合の廉もなきにあらず然るに今回の新處分法は總計五十四條にして之を總

則、差押、賣却、罰則、附則の五章に分ち其條項の整頓して處分の方法に精密を加へたる

は申す迄もなく之を舊法に比すれば第一、法の精神に於て非常の相違を現はせり我輩は今

一々新舊を對照して彼是の相違を指摘するの煩を避け茲(玄+玄)に著るしき相違の廉を

擧て以て讀者の便覽に供せんに第一舊法にては國税の上納を怠る者は之を賦課したる財産

を公賣し之を徴収するとあり即ち納税者が地租の納税を怠るときは其土地田畑を公賣し又

營業税もしくは製造税を上納せざるときは其營業を停止し製造品あるものは之を公賣し次

に其器物に及ぼすとありて即ち酒類及び醤油造石税の如きは法に依て處分したる猶ほ其上

に製造用に供したる諸建物さへも公賣に附するものにて例へば納税者が不慮の手違ひより

其期限に至り一時納税の即金には差支ふるも家財その他所藏の什器等に乏しからずして之

を賣却もしくは質入するときは十分に其金額を才覺し得るものにても法文には之を賦課し

たる財産を公賣するとあるに依り滯納者は實際の身代如何に拘らず唯一時現金の手元にあ

らざるが爲め祖先傳來の土地田畑を失はざるを得ざるの塲合もなきにあらず又營業者製造

者等に在りては同上の塲合に際し其業を停止さるゝ猶ほ其上に併せて品物家屋さへも失は

ざるを得ず當業者の當惑は云ふまでもなき事ながら政府の方より見るも此方法は徒らに納

税者を苦しましむるのみにして實際は却て其目的を達するに足らざること多しと云ふ然る

に新法は此點に於て最も注意したるものゝ如し即ち第十三條に於て財産差押を爲すときは

處分費税金に充る金額を目途とし通貨を先にし次に左の順序に隨ひ其物件の賣却代價を見

積り逐次差押を爲す可しと定め而して其順序をば第一地金銀、公債證書、株券、手形、其

他の證券、第二農業其他營業上の生産物、製造物、及賣品、を始めとして第三第四第五第

六と次第に動産より不動産に及ぼすの順序となしたるは誠に至當の法にして納税者が萬一

處分の不幸に際會するも前述の如き非常の不都合を免るゝは勿論、収税上に於ても便利少

なからずして其収額は却て從前より多きを見るにも至る可し何れにしても雙方便利の便法

と云はざるを得ず特に茲(玄+玄)に注目す可きは舊法に依れば營業税等不納の者が其業

を停止せられ製造品及び器物を公賣に附したる上にて尚ほ不足を生じ政府の損失に歸する

ときは後來再營業を出願するも其損失を償はざれば之を許さゞるの定めなりしが新法にて

は滯納者の納税義務は滯納處分を以て終るものとなし(第四條)且つ滯納者財産の價格、

處分費を償ふて剰餘を得る見込なきときは差押を爲すことを得ざらしめ而して此塲合には

前と同じく其義務を終りたるものと見做す(第五條)の一事なり一は滯納者に苦痛を與へ

て懲罰の意を寓し一は實際無力にして處分費さへも償ふ能はざるものは最初より處分濟と

見做して徒らに人を苦しめて事を多くすることをなさず其精神に於て明に文野の別あるを

見る可し又舊法にては滯納者が其財産を他人に賣與讓與したるときは之を買受讓受たる者

より完納せしめ(但し書入質入の財産に未納税あるとき其債主に於て辨納す可しと申立つ

る者は公賣を行はず)又酒類醤油及製造用諸器物は自他の所有を問はず其一部又は全部を

公賣して徴収したれども新法は此塲合に滯納處分費滯納税金に付ては他の債主に對し先取

權あるものとす但滯納したる税金の納期限より一個年前に質入書入と爲したる財産に付て

は此限に在らず(第六條)又差押物件の賣却代金の始末に就ても若し滯納税金の納期限よ

り一個年前に質入書入と爲したるものなれば其代金より先づ其負債金額に充る迄を債主に

交付し次に處分費税金を扣除し尚ほ殘餘あれば之を滯納者に還付す可し(第四十三條)と

なし以て自他財産の區別を爲し且つ大に私有權を重んずるの意を明にしたり又舊法には絶

えて其痕跡をも見ること能はずして獨り新法の特色とも云ふ可きは其第十八條に左に掲ぐ

る物件は之を差押ふることを得ずとして滯納者及び其同居家族の生活上に欠く可らざる衣

食寢具薪炭等の諸物品、實印、祭祀用の物品及石碑墓地、系譜、日記、制服、祭服、法衣、

勳章、修學上に必要なる教科書、器具、發明品(未定品)著譯書(未發行)等の諸品を第

一より第十に至るまで類別して記載したるの一事なり盖し從前の法にても是等の物品は勿

論差押へざる習慣の由なれども今回の新法に之を成文となしたるは益々私權の重んず可き

を明にし且つ其用意の周密なるを見るに足る可し其他新法を取りて之を舊法に對照比較す

るときは其改良進歩の點、一にして足らざれども精神の所在を問へば何れも納税収税双方

の便利を謀り殊に財産の處分法を重大視し其取扱方を鄭重精密になしたるものに外ならず

して要するに時勢の進歩に應じて益々人民の私權を重んずるの意に出でざるはなし其細密

の比較は之を雜報にも記したれども我輩は更に之を概評して以て世人と共に新法の精神に

對し大に賛成の意を表せんとするものなり