「・重罪控訴豫納金規則」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・重罪控訴豫納金規則」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・重罪控訴豫納金規則

我輩が前號の紙上に於て論評したる如く今度公布せられたる裁判所構成法中に出色の箇條は重罪に控訴を許したる一事にして此事たるや西洋諸國の裁判の仕組整頓したる處に於てすら未だ實行せざるものなるに有形制度の上に於ては後進の稱を免れざる我國の裁判所構成法に始めて此新事例を造りだしたるは實に空前絶後の一大改良と云はざるを得ず然り而して凡そ法律の完全は唯その成文の上に於て完全なるの故にあらず之を實地に行ひて能く民情時俗に適し不都合なきに在り左れば重罪に控訴を許したるは世界未曾有の新例にして成文の上に於ては聊か講稱するに足る可しと雖も之を施行して其實を全ふするには實際の困難一方ならざる可し前號にも記したる如く重罪の刑の言渡を受く可きものは何れ殺人強盜等その罪假令へ死に抵らざるも刑期は極めて長きものにして苟も控訴の道あるに於ては一も二もなく其手續をなし萬一を僥倖するは人情の常に免れざる所ならんなれば今回裁判所構成法に於て重罪に控訴を許すと同時に重罪控訴豫納金規則を公布し重罪の刑の言渡を受けたる者にして控訴を爲さんとするときは裁判費用の保證として金額を豫納せしむる事となしたるは畢竟この邊に慮る所ありて濫訴の弊を省かんとするの注意に外ならざる可し事の實際に於ては止むを得ざるの處置なるが如しと雖も今この規則を實行するに當り構成法に重罪の控訴を許したる精神と相戻ることなからしめんとするには頗る困難なる可しと思はるゝ廉なきにあらず蓋し今回控訴を許したる趣意は重罪の刑たる時としては人命にも拘る程のものにして之を輕罪に比すれば同日の論にあらずして一層取扱を鄭重に爲さゞる可らざる筈なるに然るに從來の法律にては輕罪には控訴を許しながら一層鄭重なる可き重罪に此事なきは事の權衡を失するものなり云々との論理に出でたることならんなれども左ればとて實際に於ては前述の事情ありて其煩に堪へざるの恐もあるが故に同時に保證金豫納の規則をも定めたる事ならん今この規則を見るに第一條には控訴を爲さんとするときは裁判費用の保證として金二十圓を豫納す可しとあり而して第二條には貧困にして保證金を豫納する能はざるときは控訴の申立と同時に保證金の免除を請求する事を得とありて保證金豫納の本條はあれども實際貧困にして之を納むる能はざるものは其免除を請求する事を得る次第なり思ふに重罪を犯して刑の言渡を受くる如き者は多くは獨身無錢の輩にして此金額を豫納する者とては少なきこと勿論なる可ければ苟も控訴の申立を爲すものは同時に保證金の免除を請求する者と見て差支なかる可し左れば豫納金の規則は其設けありても實際に無効なる可きやと云ふに然らず第五條に控訴院は檢事の意見を聽き保證金免除請求の當否を決定す可し但控訴の事由なしと認むるか又は事由あるも實益なしと認むるときは免除を與へざるものとすとあり又第六條には保證金の免除なきときは控訴の申立は其効なきものとすと定めたり之に由て是を見れば其請求拒否の權は控訴院にありて次第に據りては控訴の申立も立たざる場合もなきにあらず實際に斯る制限ある以上は本文をして無効に屬せしむるが如き事は萬々これなかる可しと雖も之を要するに當局者の手加減は頗る面倒なりと云はざるを得ず如何となれば其請求の當否を決定するに當り其決定の方法嚴密にして控訴の理由、立たざるもの多き時は之が爲めに折角重罪に控訴を許したる盛意を抹殺するの恐なきにあらず又その取調方を寬にして請求を容るゝに吝ならざるときは規則の本文をして徒法に歸せしむるに至るの虞あればなり而して此規則の實行に就ては其手數の少なからざる中にも第三條の保證金の免除を請求したる者は其請求を爲したる日より十四日内に控訴の趣意書と共に裁判費用支辨の資力なきことを證す可き住居地市町村長の證明書を差出す云々の箇條の如きは實際の手數一方ならざる事ならんなれども既に法律の完全を望む以上は固より是等の手數をも忍ばざる可らず我輩は唯當局者が忍耐勉強して能く諸種の面倒困難を凌ぎ法文の完全をして更に實際の完全たらしめんことを希望して止まざる者なり