「 遂に學問の力に勝つこと能はず 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 遂に學問の力に勝つこと能はず 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 遂に學問の力に勝つこと能はず 

日本商業上の仕組は維新の前後より引續き多少の變動に逢ひ内外の交渉ともに繁雜に赴きたりしが此際外國貿易等都て新事業に從事して寒貧より俄に身代を造り今は歴々たる紳商となりて經濟社會に重んぜらるゝもの少なからず盖し風害に際會して天下を掌握する古の英雄豪傑は幾多の競爭者を排して自から能く立つ者なれば多くは拔群の才能を備へて名實ともに感服すべきものありと雖も今の紳商即ち暴富豪が維新變革の頃に徒手空拳を揮ふて身を立て家を興したるは果して由來する所の才能ありしやと云ふに我輩は决して然りと答ふる能はず抑も人生の事を成すや競爭なきより易きはなし唯これあるが爲めに心身を屈強にして各種の妨害を排除せんことを勉むるなれども無人の境に入りて馳驅進退するは何人も敢て難しとする所に非ざるなり維新前後商運變革の當時に於て彼等商人は如何なる競爭に出逢ひたるや資力あり熟練ある者世に少なからざりしかども唯祖先傳來の家法を墨守して容易に動かざる者のみなれば喩へば眠れる獅子と同様にして敢て危害を加ふるに非ず其餘は士族の一類にして學識あり才幹あり若しも生々堂々の陣を以て利塲に相對するときは所詮相叶ひ難しと雖も幸にして此族は生來名を求めて利を知らず治國平天下の一方に志して談論獨り高く「武士は喰ねど高楊枝」を以て得々自から誇り斗=の策の如きは有るまじき下賤の所爲として巨利目前に横はると雖も之を視ること敝履の如く素町人と伍を同うして競爭の仲間入りせん抔とは更に存し懸もなかりしことなれば彼等商人の爲す所は恰も人の怠慢に乗じて奇利を占斷したる迄にして本來商賣上の技倆見識とては特に見る可きものなく唯手先の才覺を以て俗事を料理し偶然の僥倖を得たるのみ之を稱して俗富と云ふも可ならんか讀者或は我輩の言を以て漫に今の紳商を悪評するものと誤解するもあらんかなれども試に其今日の生活散財の趣を一見しても當初の事情を推察するに足る可し常に官邊の嚴命に畏り種々様々の説諭に服從して心に思はぬ金を投することはあれども私に發起して世の文明を助けたる者あるを聞かず未來の徃生を願ふて寺院を建立し淨財を喜捨する者はあらんなれども將來の文運を思ひ自家の教育を重んじて私に學校を設立し私に學事に金を費したる者は甚だ稀なるが如し其他肉體有形の快樂を買はんが爲めには居室庭園を裝ひ別莊控屋敷を買ひ時としては一夕千金の奮發も敢て辭せずと雖も一歩を進めて形而上の事に至るときは一切漠然として工風を労することなし其學問思想に乏しきや知るべきのみ然るに一方を顧みて文明商賣の形况を視察すれば其規模いよいよ大にして其關係ますます廣く一事一物も數理外の運動を許さゞることゝ爲りて手練の小細工は最早や依頼すべくもあらず學問教育の原質なきものが如何にして能く此際に處すべきや竊に其運命を算するに今後の天壽敢て甚だ永きにも非されば一身一生の間は所持の金光を借りて無難に經過するを得べしと雖ども第二世三世に至れば命數こゝに循環して乃父乃祖が未だ産を成さゞるの初めに還り遂に落路の人たらざるを得ず如何となれば本來父祖は文事の重きを知らずして高尚なる思想に乏しく子孫の養育を等閑に附して家門の俗風を成し不學自から甘んじて曾て省みる所なければなり今の商家にして學問教育を軽んじ學事を蔑視して學者を疎外するは昔の武家にして武事を怠るに異ならず家の衰頽なからんと欲するも得べからず辜もなき子孫の爲には気の毒の至りなれども大勢の傾く所は復た之を如何ともするに由なし故に彼の俗富豪が心事を一轉して事實活溌なる學問社會に同化すれば甚だ妙なれどもいよいよ然らずして其運命も爰に定まるとすれば代て取る者は果して何人なるべきや彼の敗するや學問の思想に乏しきが故なりとあれば之に勝つ者は文明進取の學者ならざるを得ず即ち優勝劣敗の約束なれば今の講學有爲の青年輩は溌亂反正の好機會に逢ふ者と云ふも可ならんのみ