「不具の見世物」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「不具の見世物」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

不具の見世物

近頃着したる米國の新聞に曰く家に餘財なく漸く其日の勞力に衣食する貧人が不具の子を生む時は此上もなき厄介物として其養育に困却し本人も亦一生獨立の生活を營むこと能はず徃々街頭に跪坐して食を行人に乞ふに至るは歐洲諸國に見る所なれども米國にては其廢物を雇ひ入れて見世物と爲し人の好奇心に投じて一儲せんと十年前始めて工風せしものありしが爾來ダイム ミユージヤム(十仙見世物)の營業を一新するまでに流行を來し爲めに巨額の財産を作り出せしもの少からず不具者は亦一週間幾何の給金を得て啻に家族の煩となるに及ばざるのみか一家數口依て以て安眠坐食するを得るに至れり左れども四肢身體の不具異常なる其種類に限りありて一たび目に觸れたるものは再び見んとするもの稀なるが故に見世物師は目新しき種類を得んとして近頃は力の限り奔走苦心すれども之を得ること甚だ易からず或人の語るを聞くに此見世物は今日にても尚ほ最も人氣を惹くものにして其證は見世物を芝居等に合せて興行するときにも其興行を廣告するには必ず重もに不具者の異常なるを吹聽するを見て知るべし左りながら如何に稀なる不具にても次第に人の目に觸るれば次第に珍らしからず成り行き始めて雇ひ入れし當時は一週五百弗以上の給金を拂ふて充分の利益あるものも一二年の後に至れば僅か四五十弗さへチト六ケ敷きまでに收入なきが故に絶えず大入を取らんとすれば絶えず新しき種類を探り求めざるべからず之を探り求むるには第一に新聞紙に注意するを常とす盖し新聞紙は有形無形の孰れかに屬する社會の變事を報道するものなれば日々發兌の大新聞紙を精密に閲讀して若し斯く斯くの片輪者ありとの記事を見る時は直ちに其地に到りて實否を確め又閑ある時は何所ともなく所々方々を遊歴して里の古老や其地の物知りに就き何か面白き者はなきやと聞き糺し無ければ去つて他を求め有れば其家に就きて相談することも幾度と云ふ數を知らず勞せざれば功なし、珍らしきものを求めんとするには面倒を憚りて出來る事にはあらざれども何分にも掘出し物にまぐれ當らんとするは最も困難の事にて適ま人の告ぐるを聞き尋ねて見れば話の半分程にもあらず又そは面白き代物なりと詳しく聞けば既に前年の事にして今は死して居らずと云ふ或る時メーン州に生れながらにして齒の生へ揃ふたるものありと聞き其家に尋ね到れば勝手元に一人の老婆あり年既に百歳にも達したらんと思はるゝまで最と老ぼれて見えたるが就て來意を告げ事の次第を尋ぬるに老婆は打肯きつゝ庭に立ち去り軅て五十歳計りの男を連れ來りこは自分の長男なるが生れながらにして是れ此通り立派なる齒あり今に至るまで更に代らずとて倅に命じて其齒を顯はさしめたる事あり又或る時三人の兄弟孰れも節なき足にて恰も棒を連ねたるが如しと聞き詳しく詮索すれば百姓の子供一人一方の膝節曲がらざるに過ぎざりし斯る類に無駄骨を折るも倦まず厭はず搜索して幸に目的を達する時は營業一時の繁昌に漸く勞を酬ゆるのみ總じて之を搜索するに三の困難あり即ち世間に不具者の稀れなると、耻ぢて人に知らしめざるが故に何所に如何なるものあるかを知る能はざると、既に知ることを得たる後、承諾せざる事と是なり、不具者ある家は大概富有なるもの多く此等の人に向つて其不具を公にせんと説く時は此上もなき耻辱として無禮を深く咎むべし又信教の點よりして更に受け引かざるものも少きにあらず滿足の體を以て芝居狂言に顔を曝すさへ好まざるに不具を見世物にせんとの注文なれば假令へ過分の給金を拂ふも夫等は更に頓着せず劍もほろほろに拒絶するも勿論の事にして搜索の後、承諾を得るの難きを知るべし但し片輪の上物下物樣々にして其給金は一週二十五弗より千弗まで差あり云々

右は米國の事なれども我國にても前年は見世物の營業甚だ盛にして隨て奇談も少なからず或る見世物師の家に手飼の兎と己が妻と妊娠して妻は安産したれども兎が流産せしにぞ主人は陰かに呟き〓双方の幸不幸を取替たらば一廉の金儲ある筈にとて只管兎の流産を惜みしものありと云ひ又或る者は自分の家に生れたる赤子の頭を三角の箱に入れ其形に變ぜしめんと方の如く仕掛けたるに追々日の立つに連れて形は好みの如く變ずる様子なれども爲めに熱を生じ病を起して生命さへ六ケ敷く見ゆるにぞ醫師を招きて療治を請ひ箱を取り去てければ再び滿足に復したるを見て痛く失望したりと云ふ

左れば人生の好奇心は何れの國も同樣にして即ち其天性とも云ふ可きものなれば其好奇心に訴へて奇を示し以て奇利を利する者これを見世物師と云ふ無益の營業と云へば無益なるに似たれども見る者あればこそ見する者もあれ、洪大無邊なる人間社會に容れて何等の妨もある可らず抑も人間の生計は案外に難澁なるものにして誰れ人も逸居安樂を好まざる者なし假令へ勞して衣食するも成るべく其體裁の美ならんことを欲するは概べての人の心なれども種々の事情よりして耻をも忍び誹をも厭はずして見世物ともなり又之を雇ひ入れて營業にも代るなれ他に生計の良法あれば誰か好んで敢てする者あらんや左れば此繁雜混亂の人間社會を理するには到底其清きを望むべからず無理に清からしめんと欲すれば牛を飾らんとして却て角を折るの憂ある可きのみ河海は細流を撰ばずと云へども獨り細流のみならず濁流をも撰ぶことなきに非ざれば能く其大を爲さゞるべし完全ならざるが即ち今の世の本色なり、社會の隆盛は緻密にあらずして粗大に在りとの道理を悟りたらんには片輪の見物を容れて何程の事かあらん國の體面に輕重を爲さゞるのみか却て其盛大を表するに足る可し箱庭の枯木は目障なれども山に枯木の横たはるあれば其山の大なるを知る可し天下は箱庭に非ず况んや幾多の貧乏人は見世物に依賴して衣食を得べきに於てをや我輩は決して之を咎めざるものなり又この序を以て云へば彼の密賣婬の如きも素より表面に之を嚴禁して假す可らずと雖も秘密の私に立入りて左のみ心を勞するにも及はざる可し假令へ之を絶んとするも絶つこと難ければなり見世物賣〓尚且然り况んや其他萬般の人事に於てをや市街の清潔を欲して廣告の張札を許さず人身の攝生を重んずると稱して芝居開塲の時間を限り、博奕に類するとて諸の賭の勝負を嫌ひ、闘鷄を禁し、無盡を禁し、尚進んで相塲所を苦むる等我等の贊成せざる所なり此種の事は半は人の遊樂にして又半は渡世の一法なれば社會の表面の美を装ふ爲めには禁制も可なりと雖もその内部の底を探りて跡を絶たしめんとするは經世の事にあらず遠く外國の事例を見るまでもなく現に德川の時代に御大法とは此禁制の事にして例へば博奕は當時の嚴禁にして目に餘る惡漢博徒の如きは之を捕縛して許さずと雖も小民等の勝負事等は官吏の目に留まることなし道中の雲助が目付方の役人を駕籠に乗せ宿驛に小休する其間に駕籠の屋根の上にて丁半の勝負すれども輿中の役人は之を見ざるが故に頭上の犯罪を咎めず其他推して知る可し即ち御大法の度量にして之が爲めに曾て社會の大惡事を醸したることあるを聞かず故に苟も天下を箱庭視せずして全面の美を成さんとする者は其度量河海の如くならんこと我輩の竊に祈る所なり