「備荒儲蓄金運用の方法」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「備荒儲蓄金運用の方法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

備荒儲蓄金運用の方法

曩に發布せられたる法律第三十三號により政府は國内米穀供給の爲め必要あるときは中央備荒儲蓄金を以て米穀購入の資金に運用することを得と定められたり是れ葢し近來米價頻に騰貴して細民難儀を訴ふるにより之を救濟せんが爲めの政策にして法の精神に於ては我輩の固より異なき所なれども扨其運用の方法を如何にすべきや政府が自から米穀買入の局に當るか、或は二三の商人に内命して之に當らしむるか、何れにしても政府の筋の一局部にて直接に賣買の事を行ふの趣向ならんには之が爲めに救濟の目的は達するを得ざるのみか却て其反對の事情を生ずることある可しと我輩の竊に掛念する所なり其次第如何と云ふに政府に於ては外米を輸入するも固より營利の念あらざれば今外米を一石の原價六圓の割にて買入るるときは之に定まりの手數料と運賃とを加へて六圓何十錢と爲るものを正しく其價にて世間一般に賣渡すか或は手數料運賃等は其筋の奮發として原價のままにて消費者に供給せらるることもある可し細民救濟の目的に照らして至極結構なるが如くなれども日本國中の細民なる者は非常なる數にして隨て米穀消費の高も非常に多く其區域も非常に廣きことなれば政府の手に買入れたる其低價の米を直接に消費者に配當し供給せんとするが如きは實際に行屆く可き事柄に非ず誠に數の明白なるものにして政府の本意とても固より左樣なる譯にあらず唯市上一般に外米を潤澤ならしめ其勢を以て全體の米價を低くせんとするものより外ならざる可しと雖も外米の買入に儲蓄金の運用ある可しと傳聞してより却て其潤澤の道を杜絶するの實あるが如し現に昨今米商會社の事情を聞くに近來相塲の騰貴に際し商人等は夙に外米輸入の利に着眼して既に約條を結び又追追約條せんとする折柄法律第三十三號の一發を以て大に胸算を動かし政府の筋の輸入とあれば商利を計算せざるや必定なり元來商人の商賣は利を爭ふを以て本色と爲し其爭ふ可らざるの極點に至りて始めて物價も定まることなるに爰に一種無慾なる變則商人を生じて其間に運動することありては尋常一樣の商人は迚も之と鋒を爭ふ可らず即ち備荒儲蓄金の外米輸入は此變則商人の事にして何時如何なる外米を輸入して商則を紊るやも計る可らず且又日本政府の筋にて買入とあれば外國の市上にても好き客人と視做して其米價に幾分を増すは自然の商勢に於て免かる可らずかたがた以て利を重んずる商賣人は先づ以て手を引き其筋の運動を傍觀するの安全に若ずとて輸入の意氣込は今日早く既に衰へたりと云ふ誠に左もある可き次第にして米穀輸入貧民救濟の主意に出でたる其法律も發布と間もなく宛然反對の現象を見るに傾かんとは商機洵に輕視す可らざるを知るべし事體概ね此の如し此故に時事新報は米商論と題して外國米の輸入を論するに當り(去月二十三日の社説)其方法は政府が特に御用商人の誰彼へ托して他は一切近づけず抔云ふ從前の筆法は之れを廢し第一着手に米の輸入に限りて特に海關の手數を寛にし或は臨時輸入港を許す等特別保護の意を示して一般に輸入商の氣を引き立て或は正金銀行等にて爲替の便利を與へて何人に限らず輸入米に利益ありと思ふ者をして事に當らしめ扨これを輸入したる上は米商の公評に從て價格を定め會所の受渡に通用せしむべきのみ凡そ政府の注意は此邊に止まりて其以上の奮發は無用たるべし云云とて竊に憂慮する所ありしに其筋にては彼の法律を發布せられて其精神の優しきにも拘はらず其成跡は則ち輸入商の氣を引き立てざるのみか却て躊躇せしむるに至りしこそ我輩の失望なれ政府は今後果して如何なる處置をなさんとする歟

然りと雖も今となりては徒に既往の是非を云ふべきにあらず唯儲蓄金を運用するの方法に付て其最良を求むるこそ急務なる可ければ我輩は尚ほ前言を守り政府が直接にも間接にも外米輸入の事に手を出さずして唯一設に輸入商の氣を引立てんことを祈るのみ即ち米穀買入に運用せんとする其金額を無利足にて正金銀行などへ貸渡し銀行をして其代りに外米輸入の爲替を特に寛大に爲さしめ米商の誰れ彼れを問はず身元さへ慥なれば心安く其需に應して至當の利を得せしむることとも爲さば庶幾くは儲蓄金運用の目的を達し人爲故造の政策をして自然經濟の常道に一歩を近寄らしむるに足るべし其他猶ほ妙案もある可きなれども差向き思付たるままを記して敢て當局者の再慮を煩はさんと欲するものなり