「米國の生絲市塲に注目す可し」

2017-02-26

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時事新報に掲載された「米國の生絲市塲に注目す可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

米國の生絲市塲に注目す可し

北米合衆國は日本生絲の大得意塲なり現に昨年度の如き我生絲の米國に出でたること實に二萬三四千俵に上〓同國にて使用する生絲總額凡そ六割を占めたりと云ふ抑も我生絲の販路を米國に開きたるは明治八九年の頃にして爾來大に聲價を博し同十年頃に至りては既に千四百俵ばかりの輸出あり其後年年輸出額を増して今日の巨額に達したるは决して偶然の事に非ず米國にて絹織物業の起りたるは極近年の事にして當時支那より輸入したる生絲は何れも粗製手繰りにして手工及びメシン縫絲に使用するに過ぎず然らば伊太利絲は如何と云ふに品質は固より上等なれども其價格割合に高くして米國機屋の手に合ひ難く恰も好し日本生絲は其中間に位せしを以て品質價格共に米國人の需要に適し爾後近年に至るまで獨り米國の市塲を專はらにしたる次第なれども先年歐洲外攻略の都合にて獨、墺、伊三國の同盟あり佛國は伊太利が建國の際、ナポレオン三世の救助を得て辛うじて墺國の侵凌を免かれ國命を正に絶たんとするに繋ぎたる其大恩を恩とせずして獨墺二國と同盟したるを怒り伊太利生絲に重き關税を課したるを以て伊太利生絲商人は絲荷を佛國に送るの難きを知り近來その販路を米國に開かんと大に勉強するものの如し且つ生絲賣捌の爲め伊太利より米國に出張する者は數箇の生絲製造塲と一手專賣に類したる特約を結び云はば其委托を受けて絲の賣込人に托するが故に賣込人は米國に於ける生絲の需要者に對して前前より充分の約束を整へ其賣込みたる生絲に就き需要機屋の方に於て品質に云云の欠點あり光澤に如何なる不都合ありて〓〓に箇樣の相違ありなど何か苦情を陳するときは直に本地製造塲に向て需要者の望み如何を示し又不都合の廉廉は夫れ夫れ其助言を與へて後來の警戒に供する等、賣込人は生絲製造塲とも懇親にして需要機屋とも親密の關係あり此同國に周旋して雙方の聯絡を通ずること即ち伊太利生絲商人の風習にして之を日本の生絲商人が目前生絲の體裁を作りて之を需要者若くは取次人に賣り渡し其代價さへ受取り了れば之を限りに關係を絶ちて需要者が後日に苦情を言ふも耳に掛けざるのみならず其苦情を製絲家に通じて製造人と需要者との媒介を爲し雙方の情意を貫徹して自然製絲改良の端を開くなどの工風を欠くものに比すれば固より同年の談に非ざるなり唯今日の處にては日本の生絲が先鞭を着けて米國の市塲を專はらにしたるを以て米國人中には日本絲ならざれば物の役に立たざるが如く感ずる者なきに非ざれども一朝伊太利生絲商人との取引を開きて其味を覺ゆるときは或は忽ち嗜好を移して直段に幾分の相違あるも彼を取りて此を捨るの勢を成す可きやも測られず扨て又支那産の生絲類は其性質の精良なる實に世界第一にして此點に於ては固より爭ふ可らざれども日本の爲めには幸にして支那の爲めには不幸にして之を製するに機械を用ひず銘銘勝手の手加■(にすい+「咸」)を以て亂雜不整頓の製法を爲すが故に絲質の美なるにも拘はらず其美を商品上に現はすに由なく隨て其需要も廣からず現に明治十一年頃米國に輸入したる支那絲は凡そ一萬俵に上りたりしが年年歳歳その需要額を同うして十年一日の如く昨年度の如きも矢張り一萬三千俵位に過ぎざりしと云ふ然るに時勢の進歩するに隨ひ支那人も亦少しく悟る所あり近來漸く製絲機械を用ふるの端を開きたるは支那の生絲歴史上實に未曾有の大變にして此機械製絲が大に米國人の需要に適し支那人が商賣の損益上、爭ふて機械を用ふることも爲らば本來世界第一流の生絲、誰れか之と競爭するものあらんや需要の増加は目前直接に在る可きなり聞く支那生絲の米國輸出は年年紋切形の如く大抵一萬俵を度としたりしに兩三年來凡そ三千俵を増加したる此輸出増額は全く機械製の絲を出し始めたるが爲めなりと云へば今後支那人の意向は自から窺ひ知ることを得べく我生絲輸出者は米國の生絲市塲に於て决して安閑たる可らず一方には伊太利の賣込人、一方には支那の生絲商に當りて從來の得意塲を縮めざるやう之れと競爭するも尚且つ難し况んや今後ますます其販路を廣めんとするに於てをや重重容易の事に非ずと覺悟して大に奮發する所なかる可らす此時に當り我生絲製造家並に其向きの商人は是れまで通りの仕來りを守りて默默之を看過す可きや我輩は我生絲の輸出法に就き聊か卑見なきに非ざれども何は扨て置き今日の要務は兼ねて生絲の商業上に就き充分の經驗あるに加へて又相應の資力ある者が一個人として若くは一團體の代理者として自から米國に出張し半年なり又一年なり需要地實際の景况を探るのみならず其滯在中に多少の絲荷を取り寄せて試に之を賣捌き其販賣の手續より需要者の好尚の至るまで十分に之を研究したる處にて更に直輸出の方法を立つるか或は製絲上の改良を謀るか内外實地相照らして適宜の考案を設くるの一事に在る可しと信ず然るに日本輸出品中第一等の生絲に就き古來其需要地の景况を探らんとて實驗老成家の海外に赴きたる者少なきが如き何んぞ其れ冷淡の甚だしきや我輩は我商人の冷淡無頓着なる中に他の熱心なる者が米國市塲の全權を取て我れに代ることもあらんかと掛念の餘り爰に一言して敢て當業者の注意を乞ふものなり