「東京府知事」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京府知事」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京府知事

蜂須賀侯は高崎氏に代りて新に東京府知事と爲れり侯は〓〓の身を以て外に全權公使と爲り内に諸官を歴仕して其〓故人情に通ずる尋常清華者流の比に非ざること固より言を待たざれども要するに事務家策略家に非ず富貴にして且つ徳望ある侯爵として見る可きものならん而して今撰まれて東京府知事と爲る、我輩は侯の富貴徳望、府知事の品位を一層重からしむ可しと信じて疑はざると同時に自然か故意かは知らざれども政府が府知事の人撰に於て西洋自治制國の風儀を學ぶの意あるには非ずやと聊か思ひ當ることなきに非ず抑も西洋自治制國にては知事の政務は至て少なくタマタマ繁多の事あるも實際事務に當る者が一切之を處分して知事は其大綱を總攬する迄の事なれども彼の國交際社會の繁多なる或は慈善會の發起と云ひ或は公共諸恊會の集會と云ひ此處の宴會、彼處の集合若くは珍客の送迎等或は府會堂に催ほして知事を會長と仰ぐもあり或は他席に來臨を乞ふて其光榮を誇るもあり知事を社交の本尊として府政に知事たらしむるのみならず特に交際社會に向て其盡力を要するが故に彼の國知事の俸給は固より少からざれども寄賦金と云ひ宴會費と云ひ榮譽の盛んなるに隨て一種の榮譽税を課せらるるは社交自然の情状にして例ば彼の英國の首府倫敦に知事たる者の如き毎年改撰の例規なれ共在職一箇年間の榮譽税は一個人に取りて中中莫大の者にしてロード メーヤアの職に上る者は概ね鉅萬の富を有し一生の思出に財産の幾分を義捐して榮譽を得んとする人人にして縱令へ尋常紳士にても一旦府知事の榮職に上れば其後必ず男爵に敍せらるるの例なりと云ふ即ち彼の國の府知事輩は有る財産を抛て榮譽を得んとする者にして其榮職を利用して無き財産を作らんとする者に非ず東西の事情固より同じからざるが故に一概に論す可らざれども知事を俗官吏とのみ爲さずして之を社交の一首領と爲し交際社會悠悠和樂の其中に慈善、學事、禮樂、歡會等の公務を擧げ人情を和げ風俗を厚うする等、知事の職務を大にして府内各般の人事を支配せしむるは我國の實際に於ても亦最も切要なりと云ふ可し然るに今や我政府が東京府知事の後任を撰むに當りて彼の事務家策略家を以てせず富貴圓滿の蜂須賀侯を以てしたるは郡制府縣制も發布して漸く彼の自治制の實を擧げんとする今日、或は我府知事をして出來べき丈け彼の自治制國の知事に近からしめんとするの内意あるには非ずや其は兎も角も我政府は今より三五年前に條約改正外交事情の爲めにてもあらんか華族諸氏を以て各國駐箚公使に任じ政府の外國公使館費は總て從來の儘にして公使の交際體裁は成る可く派出に美事ならんことを期し云はば公使に任じたる華族諸氏に外交費の幾分を自辨せしむるの都合なりしかば華族公使にして彼の派出やかなる外交の爲めに金を海外に費したる其額决して少しと爲さず曾て巴里駐剳の我公使がグランド オペラボツクス(〓〓)一個を平常買切り置きたるが如き當時巴里人の窃に驚き且つ怪みたる所ならんと雖ども今日よりして之を見れば一時の豪華去て跡なく費したる金は外國に落ちて毫も我國土を潤さず而して其外交上に於ける影響〓〓〓然として感ずる所を見ず本來我輩は在歐洲日本公使館の數を一二に■(にすい+「咸」)じて無益なる公使館費を省かんとする者にして其細論は他日に讓り兎に角彼の華族諸氏を公使として其金を海外に散ぜしむることを願はず華族諸氏が國家の爲め將た其榮譽の爲に謀りて果して其財産の幾分を義捐するの志あらば之を外に費さずして之を内に散せざる可らず此一點より云ふ時は富貴の人が府知事と爲りて府内一切の人事を引き受け其職位を利用して巳れの爲にせんとするに引き替へ富貴身に餘り徳望外に溢て自利自營の念なきを以て自から其榮職に對して所謂榮譽税をも拂はんとするやうの都合ならば彼の自治制に適したる府知事として府民の愛重を受く可きや必せり左れば今度蜂須賀侯が東京府知事に任じたるを始め今後知事の撰任に此邊の心掛を爲すこともあらば政府の爲めにも人民の爲めにも共に好都合を見ることなる可し我輩の敢て今日に一言して後來に希望する所のものなり