「愛國」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「愛國」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

愛國

時事新報は政治法律農工商學問風教その他一切の世務人事を包羅して現在に付き將來に付

き之を論評するに油斷なき中にも金の事に就ては最も深く心を用ひたりしに筆端尚ほ拙に

して微意の所在未だ明かならざるものと見え世間往々時事新報の金論を聞て冷然たる者少

なからず蓋し數千百年來利を言はずして仁義を重んずるの舊教に育せられたる士族學者の

末流は今日に至り一轉して言論の士と爲り尚ほ未だ金錢を談するを好まざるが故ならん文

明の進歩その目多しと雖も歸する所の本源は金錢に在らざるはなし然るに今その金錢を談

ずるを好まずと云ふ、之を好まざるは之を知るに由なし其本を不知無頓着に附して其末の

盛ならんことを求む、遂に不如意の嘆息に終る可きのみ今試に二三の問題を掲げて言論の

士に質さんとす農業を改良し又は仕掛を大にして収穫の増殖を計るは人皆その得策たるを

知れども農地の肥料だに猶ほ給すること能はざるものあるは何ぞや、地中に鑛物の利益を

孕んで資本家を待つもの其數甚だ多く文明の學術日月に進歩して採鑛冶金に失敗の危險を

減じたるにも拘はらず内地雜居の聲を聞いて外人の占有せんことを惧るゝは何ぞや、石炭

に富み勞力は廉なれども之を工業に利用するの工風到らずして常業の會社は空中樓閣の幻

影に止まり本來有利の事業も中道にして沮絶するもの多きは何ぞや、内國商業の經營狹小

にして動もすれば官邊の特典を羨み又動もすれば風聲鶴唳に狼狽して倒産せんとする者あ

るは何ぞや、外國貿易高の僅小なるは勿論西洋貿易は西洋人の掌裡に歸し支那貿易は支那

人の占有となり而て我が商人は唯その中間に徘徊して纔に取次をなすに過ぎざるは何ぞや、

陸運の便利は文明の案内者にして又事業の奬勵者たり殊に歐米の事情を見聞する者は皆深

く之を羨望しながら我陸上の交通法は之に着手して其成効の遲々たるは何ぞや、萬國交通

の今日に當り四面環海の國柄を以て恰かも航海を知らざるものゝ如く〓擧數里の間に徃來

して海外運送の利益は悉く外國船の〓〓する所となるのみならず併せて國人をして海外の

事情に疎からしめ遠征移住の氣象を發揮せしめざるは何人も遺憾に思ひながら猶ほ未だ其

の規模を擴張すること能はざるは何ぞや、學問智識を敎育して以て人の品位を高め世の文

明を進捗するは固より經世の要義なれども國民生計の程度に照らして不相應なりとの非難

あれば是れ亦詮方ある可からず或は學者を養ふて其専攻の學理を發明せしめ又は著述に從

事せしむるが如きは泰西諸國の爭ふて勉むる所なれども日本は官府に此餘裕なく民間に此

篤志者を見ざるは何ぞや、衛生の不注意は人種を傷くるの基にして其害固より恐るべし而

して我醫學の進歩は泰西に比肩すべきにも拘はらず其衛生法の實施に苦むは何ぞや、歐洲

の治亂測る可らずして一旦事あれば東洋諸國も其影響を被る可きは今日必然の時勢のみな

らず平常に於ても東西の交際に意の如くならざるもの多きは天下の共に以て憾とする所な

り而して實際を顧みれば我戰術精しからざるに非ず兵氣振はざるに非ずして猶ほ軍備の頼

み少なきを訴ふるは何ぞや、少なくとも三十億坪の沃野今猶ほ空しく北海の邊にあり若し

も資本に裕なる歐洲諸國の所領に位せば其人民は果して一日も之を委棄すべきや、其他自

治の制度あれ共基礎未だ成らず國會の開設ありと雖も租税の增加に顰蹙する等一々其根原

を詮議し來れば何れも金の欠乏に非ざるはなし此の如くにして改むる所なくんば表面の文

明はますます其狂に乘じて裏面の實利は次第次第に萎縮し社會は秩序を失ひ人心は禮節を

忘れて遂に云ふ可らざるの慘况に陥るべきは勿論利を追ふの外人は平和の兇器を携へ來り

て早くも其隙に乘じ滔々たる狂瀾漸く我が國民を捕蕩して已むべきのみ蓋し禍の源は金な

きにあり禍を救ふは金を造るに非ずして何ぞや然るに天下の多數は冷々として此邊に思到

らさる者の如く動もすれば利談を目して特殊の一家言を評下し去らんとす知らず立國の運

命を長久に維持せんとするの工風、金を外にして他に求む可きや否や我輩の聽かんと欲す

る所なり(未完)