「大坂米商會所」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「大坂米商會所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

大坂米商會所

大坂よりの來報に據れば本月十二日同府警察本部の警部は巡査を隨へて堂嶋米商會所に出

張し買方の仲買人を帳簿持參にて呼出して警部の面前に於て一々之を檢〔手偏〕査し買方

注文筋の名前等も取調べたるよし是れより先き會所の支配人角田某が大坂府農商課に出頭

せしとき府吏の口達に現時定期米の買方は何程買ひ居るや至急その石數を取調べ差出す可

しとのことにて口達に從ひ其翌日取調書を示したる間もなく十一日には警察本部より頭取

を呼び出し角田某が代理として出頭せしに本部吏人の云ふやう近來米價騰貴して貧民の難

澁する折柄、米の買占めなど致しては商人には利ある可きも數多の者共の迷惑となるゆゑ

當分の内は仲買人に於ても買注文は成る可く控目にす可し即ち社會に對する義務ならん敢

て商業上に干渉するにはあらざれども注意までに申置くとの説諭にて角田氏は會所に引取

り兼て買方に廻り居る仲買人を呼出して右説諭の次第を通達し當分買注文は成る可く斷り

又これまで取組し分も解合ふことの出來る丈け解合ふやうにと懇談したるよし然るに其翌

從二日前條の如く警察吏は直に米商會所に出張したる次第なりと云ふ

右の報道にして果して信實ならんには我輩は我商業社會の爲めに痛歎せざるを得ず抑も大

坂府と大坂の警察本部は米價の騰貴を視て二三商人の買占めに原因するものなりと認めた

るか都て物價の昇降は其品物の需要供給如何に由るとの道理は經濟學の本則に於て爭ふ可

らざるのみならず今日の事實に於て明に見る可し火事の後には材木の相塲を高くし大漁の

時節には魚類の價を低くする等一切萬物、賣買の市に上るものなれば此本〓に戻るを許さ

ず故に今日の米穀も唯その需要供給の本則に從て價を上下し時に隨て賣氣と買氣とを生ず

る其趣は恰も天然にして人力の如何ともす可らざる所なり况んや二三商人が之を買占るな

どの談に於てをや米商に如何なる資力あればとて此洪大なる商賣品を買占めんとは企てゝ

及ばざることなり品物は違へども先年銀貨相塲の頻りに騰貴したるとき政府にては是非と

も之を賣下げんとして日々橫濱の市塲に正貨を持出し暫時の間に六百萬圓の巨額を賣煽り

たれども相塲は依然として動かず政府も之に閉口して空しく手を引き其後銀貨騰貴の原因

たる紙幣の減縮に着手したれば命令もなく説諭もなくして相塲は自然に平に復したり無盡

藏と稱する政府の力を以てするも自然の相塲に勝つこと能はざるは此一例を見ても知る可

し然るに今見る影もなき米商人等が内外の米を一手に買占めて巨利を網せんなど商賣世界

の事實にあるまじきことにして其實は此輩が米を買ふたるが故に價の騰貴したるに非ずし

て米價の風景將さに昇らんとするの勢あるが故に此輩をして米を買はしめたることならん

のみ今一歩を讓り米商人が商略を定め價の將さに昇らんとするを先見して石數を買込み之

が爲めに一時一地方の米價を騰貴せしめたることありとせんか此塲合に於ても其騰貴を防

ぐの法は唯天下米市の大勢に任するのみにして苟も政府の勢力を以て干渉す可き事柄にあ

らず若しも此種の干渉にして妨なしと云はゞ大火の後に材木の騰貴し暴風雨の後に大工屋

根屋の手間の昇るを見て政府より制限を定む可きや德川時代には隨分珍らしからぬ奇談な

れども今日に於ては經法律の初歩を學びたる少年にても其非を知らざる者はなかる可し加

之商賣上の方略は虚々實々にして素人の測り知る可き所にあらず時としては大に買ふの勢

を示し其虚に乘して實は賣抜けんとするなどの活法もあらんなれば斯る塲合には一時自然

になき相塲を聲言することもある可しと雖も賣方に計略あれば買方にも亦計略あり内實は

買はんとして大に賣聲を發することある可し其趣は金を借用せんとする者が態と窮を訴へ

ずして借金の利子を安くせんとすれば貸方は遊金なしと稱して高利を取らんとするに異な

らず商人普通の掛引にして毫も怪しむに足らず然るを今仲買人の帳面を調べて僅に數萬數

千石の買持人を見出し時の相塲の高きを此輩に歸せんとするが如き事甚だ簡單に過ぎて或

は帳面上に買占め人と思ひし者が内實は賣方にして賣方と認めて氣をゆるしたる者か何ぞ

料らん數日の後に買方に廻はることもある可し何れにしても商賣の極めて入組みたる事情

を無造作に帳面上に調べて其利害得失を説諭せんとするも商人をして感服せしむるに足ら

ず又實際にも益なかる可しと我輩も共に感服せざる所なり(以下次號)