「 政治家の運動費 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 政治家の運動費 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 政治家の運動費 

今の文明尚金の世界に於て凡そ人間の一擧一動は金錢の之に伴はざることなし政治社會に於ける政治家の運動の如きは殊に然るものにして其運動ますます活溌なれば其所費の金錢は益々多からざるを得ず然り而して政治家の運動なるものは元來不生産の働にして之が爲めに一厘の錢をも生ずるものにあらざれば大に運動して公共の爲めに心身の力を致し且つは其身の名望榮譽を博せんとするには隨て大に金を散ずるの用意なかる可らず即ち政治の運動費なるものなり西洋諸國の政治社會にては其政治家として運動する者は多くは財産に乏しからざる輩にして撰ばれて議院に出席するにも政府の資給に依頼することなく平生の交際など都て自家の散財を厭はざるが故に其擧動常に自由活溌なる事なれども日本の政治社會は大に事情を異にして世間に奔走する多數の政治家中には舊藩士族流の清貧家も少なからずして財産よりは寧ろ熱心氣力を以て勝つものなきにあらず然るに金錢の入用なるは政治社會の常態にして撰擧の競爭と云ひ政務の調査と云ひ又は政黨の集散分合と云ひ其他一身上の交際徃來などにも金を要する事は中々少なからざるに今後國會の議塲も愈々開けて事ますます繁劇に赴くときは政治家の公に私に費す可き運動費は益々多からざるを得ず其所費の多少は銘々の身事にして敢て他人の關す可き所にあらざれども我輩は其結果を豫想して或は之が爲めに今後の政治社會の氣風を悪くし黨派の爭をして益々激烈に陷らしむるが如き事はなかる可きやと今より窃に杞憂する者なり在昔封建の時代各藩中に=(ルビ・いう)然黨派を生じ互に政權を爭ふたるもの少なからざる其中に就て爭の激烈にして結果の最も妙ならざりしは概して藩士の食祿請合に少なき藩なりしと云ふ蓋し其常祿少なければ平生の自奉厚からざるが故に隨て要路に立つ者の利名を羨むの念を生じ少しく材力ある者は銘々其地位に代らんとして競ふて之を爭ふたるより遂に斯る結果を見るに至りしものならんのみ今の政治社會は其區域甚だ廣大にして區々たる一藩一州の比にあらざるのみならず其政治家の心事の自由にして磊落なるも亦封建武人の比にあらざるは勿論なれども前にも述べたる如く政治は不生産の働なる其上に其運動は金錢の之に伴ふものなるに熱心これに從事して奔走周旋する人々の身計を問へば所得は極めて少なくして所費は甚だ多しと云ふ其結果は果して如何なる可きや我輩の杞憂する所は此一事に在るのみ然らば則ち之を如何せば可ならんやと云ふに既に財産に富み且つ公共の思想にも乏しからざる人々が專ら政治の事に奔走し他の無錢無産の徒は全く其跡を收むるにも至らば日本の政治社會は萬々歳にして此上の慶事なかる可しと雖も是れは唯想像上の希望に過ぎずして迚も實際行はる可きにあらず左れば今日唯一の方便は政治家自身が銘々覺悟して成る可く其所費を少なくし其運動を活溌にするの一事に在るのみ元來政治の運動に金錢を要するは止むを得ざる事なれども左りとて其覺悟次第にては之を節約することも敢て難きにあらず彼の幕府の末路に當り有志家と稱する輩が國事に奔走したる其働は非常のものにして時としては屢々死生の間に出入し千辛萬苦を甞めたる末遂に王政維新の基を開くに至りたる次第なれども當時の周旋奔走は所謂壯士流にして交際宴會など漫に外觀の派出を飾らざるは勿論、同志の集會するや杯酒狼藉悲歌撃節の間に臂を把て忼慨、國事を談ずるに過ぎず時としては僅に數錢の金を懷にし晝夜兼行百里の山河を跋渉して同志の糾合を謀りたるものさへなきにあらず其運動の活溌なる以て想見る可し今日の事情は大に當時に異にして其運動の方法固より同一なる可らず三十年の前後自から文野の別ある可しと雖も奢侈榮華の間に政を談ずるが如きは我經濟の許さゞる所にして殊に其運動に財を散したる結果の甚だ妙ならざる可きは我輩の豫め恐るゝ所なれば世の政治に從事する所の人々は自から顧みて其所費を少なくし却て其運動を活溌にするの心掛こそ公私自他の爲めに肝要なる可きなり