「往事鑑みる可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「往事鑑みる可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

往事鑑みる可し

徳川の末世より維新前後に掛けて政治上に暗殺刺撃の悪習行はれて爲めに有為の人物を失ひたるは今人の能く記臆する所なり蓋し亂世革命の時に人心其恒を失ひ法律習慣の制裁行はれずして惨毒不祥の事變多きは古今東西ともに其轍を同ふする所なれども去るにても我國にては古來擾亂を極めたる戰國の世に於てさへ暗殺の沙汰は甚だ稀なりしに維新の前後に限りて時に其流行を催ほしたるは何故なるか、自から由て來る所の仔細なかる可らず彼の櫻田事件の如きも幾分か少年血氣輩の心を煽動して惡風の原因を爲したるに相違なしと雖も我輩の所見を以てすれば其罪源は時の官民及有志家輩が相互に死士を使用して陰險秘密の運動をなしたるが爲めなりと云はざるを得ず當時幕府の紀綱振はずして其取締の頗る緩慢なるに乗じ所謂有志家なるものは東西南北慇現出没して同志を糾合し動もすれば殺伐不穏の擧動して其禍、不測に在らんとするを以て老朽動く能はざるの政府は尋常の手段を以て之に應ずること能はざるを知り淺墓にも政府が自から尤に倣ふて不逞の壮士輩を騙り催ほし以て有志家の運動を制せんと企てしかば大を以て大を救ふの手段、忽ち其間に衝突を生じ暗殺刺撃の惡事は續々政治上に行はれ其〓終に救ふ可らざるに至れり而して維新後に至りても一度び其風を成したる惡弊はとかく止む能はずして幾多の惨劇を演じたるのみならず彼の長州奇兵隊の變を始めとし佐賀の騒動と云ひ西南の戰爭と云ひ其本を尋ぬれば何れも壮士を使用したるの結果にあらざるはなく維新の事終りたる後、壮士の始末に困却したるは當時の當局者が今に猶ほ記臆する所なる可し近頃世間に亦壮士の〓〓り〓ふに壮士なるものは明治年間の特發にあらず〓く封建時代より遺傳したるものにて其來歴も久しければ〓て〓〓分法も一朝夕の工風にて能くす可きにあら〓〓〓〓其政治上に於ける流弊は既に現然たるもの〓〓は今の政治の局に當るものは往事に鑑て其弊を避くるの注意十分ならざる可らず然るに頃日來の有樣を見るに壮士の擧動ますます穏ならず或は集會の席に亂入して議事を妨げ或は人を途上に要して之を傷けんとするなど之を少年血氣の事として看過すれば怪しむに足らざるが如くなれども怪しむ可きは今の政治社會の人にして中には暗に此輩を使嗾して勢焔を張らんと試み又は之を以て身邊の爪牙となし以て不慮に備ふるものもありと云ふ斯の如きは固より少數の人に過ぎざる事ならんと雖も今後黨派の爭ひ時として劇しきを極むるの塲合に臨み若しも一方の一派に於て此輩を使用する事もあらんか他の一方に於ても勢、臨機の手段を以て之に應ぜざるを得ず、禍機一度び發するときは亦収拾す可らずして其極は如何なる惨状を現出するやも圖る可らず我輩の寒心に堪へざる所なり幕末の弊害は官民ともに相互に死士を使用して殺伐を恣にしたるが爲めにして今日の有樣とは少しく事情を異にすれども民間の人々が互に壮士を使用するも其實は即ち同一にして社會に及ぼす所の結果に至りては彼是の相違あらざるのみならず今は往事の革命變亂の時代と違ひ文明太平の世に斯る殺伐の蠻風を演出するときは政治社會は兎も角も忽ち社會一般の秩序を紊亂して其影響は容易ならず政治の局に當る者は機に臨み之を鎮壓して國家の爲めに日本社會の安寧を保つの工風専一なる可し然り而して其鎮壓の法は正々堂々文明政府の實力を以てして苟も罪を假さゞるに在るのみ今の政府は綱紀嚴粛にして假令へ在野の有志者中に壮士使嗾の沙汰あるも舊幕府の窮策に傚ふて之に反應するが如き拙を爲さゞるは我輩の飽くまでも知る所なれば是等の談は問題の外として彼の國事探偵の使用とても我輩は容易に賛成するを得ず政府が探偵を用ひて民間政治社會の秘密を探るが如き時としては奇効なきにあらざれども其人撰を誤り其用法を誤るときは世間一般の感情を傷ひ却て不測の奇禍を醸すことなきに非ず危險なりと云ふ可し左れば政府は民間に許多の壮士あるも之に驚くことなく奇計を運らして之に應ずることを爲さず奇策を以て之を探ることを爲さず唯その擧動の發表して社會の秩序を紊るの實を押へ嚴重に處分して一毫も用捨することなく隨て起れば隨て壓し遂に其運動を止むること甚だ難からざる可し徒に過慮して頻りに小計策を施すが如きは我輩の取らざる所なり