「改正度量衡法議案」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「改正度量衡法議案」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

改正度量衡法議案

我國現行の度量衡は徃々〓亂して正確ならざるが故に之を改正せざるべからざる次第は毎度我輩の論〓したる所なるが農商務省最〓の調査に據れば各府縣の度量衡、おのおの多少の相〓こそあれ其不完全は何れも同樣なる中に甚だしきものを擧ぐれば東京製の斗量は一升に付き多きこと二〓、富山製のものは少なきこと二〓にして兩者の間に四〓の差〓あり尺度の不完全は奈良を最とし曲尺一尺の全長にて二〓同目盛にて三〓の〓を示し又權衡は神奈川、宮城、奈良の製最も甚だしく神奈川は鍵秤一貫六百度掛、目盛十〓なるに實際に使用して三百〓を輕重す可し宮城の鍵秤は一貫三百〓掛、目盛十〓にして二百〓の差を生じ奈良の千木秤は八貫〓掛、目盛五十〓なるに六百〓を欺く可し斯の如き始末なれば奸〓は此不正確を奇〓として不義の利を貪るもの多く正直なる良民は常に損害を破る中にも量少なくして價高き生絲の賣買などには其害最も多しと云う度量衡の不正確なること已に斯の如くなる以上は寸尺斤量に依る商品は多少此〓を受けざるものなく日本國中日々幾千萬に上るべき商賣授受の間に〓るべき損害の高は少小のものにあらざるを知るべし、而して此不正、損害の因て來る源は素より一にして足らずと雖も現行度量衡取締規則の不完全なるもの亦與りて大に力あるが故に同規則の改正は人民の損得に關する緊急の一事件なりと云うべし、聞く所に據れば農商務省に於ては先年來その改正を企て議案〓に〓稿したるに付き之を議會の議に附することゝなり貴族院に於ては一昨日より其審議に取掛りたり(議案の全文は載せて十二月四日の本紙にあり)我輩今その議案を熟讀するに全案二十餘箇絛中曾て我輩の世に質したる素論の旨と一致せざるものなきにあらざれども大體に於ては異論なく立案者の〓意深き之を賛成する外なし試に今これを舊規則に比較して同案の意を得たる重もなる箇絛を左に略評すべし

第一基本の確定 現行度量衡取締例は明治八年太政官布告第百三十五號を以て發布し舊幕府の枡座、秤座の制、癈れて殆んど〓亂を極わめたる際僅に一と〓りの取締法を立たるものなるが故に萬端不注意勝にて其基本をも確定せず寸、分、厘、丈、間、町、里、石、斗、升、合、貫、斤、〓等は只其命位の異なる事實を表別する名稱に〓ぎずして何れが度量衡計數標識の基源なるべきや判然たらざりしに改正案は其第一絛に於て尺と貫とを以て之が基本と確定したり我國度量衡計數標識の基源〓に於て始めて明なりと云うべし

第二原器 現今の尺度原器は明治八年規則編成の際故伊能忠敬先生が我國幾多の尺度中最も〓確の聞ありし享保尺(享保年度八代〓軍吉宗公が全國度量の制を一新せんとして作りたるものなり)と又四郎尺(當時の名工又四郎なるものゝ製にして一般の工匠〓會に用いられたるもの)とを折衷して一種の尺度を作り其測量の用に供したるものに依て〓りたるを曲尺の原器(現行制は曲尺と鯨尺との二原器ある筈なれども鯨尺は右曲尺の一尺二寸五分と規定したるに〓ず)とせしが其物質は眞〓にして製〓も至〓を欠き永世不變の原器と爲す可からず又衡の原器は〓弊寮に於て定めたる貨幣絛例、中外比較に基づき佛量三ガラム七五六五二一を我一錢に當るものとして明治四年岩倉大使洋行中佛國より講求したる佛量原器に依りたる一錢の黄銅製分銅なりと雖も是亦物質〓に製〓共に原器と爲すに足るものあらず尺度權衡共に其原器斯の如くなるを以て之より模〓したる地方原器(府縣にて檢査の標準となすもの)は勿論製作原器(製作人の標本)に至りてはいよいよ不〓確に流れ〓に前絛に〓したる如き度量衡器〓亂の不始末を來す一因となりたり然るに改正法は佛國巴里府度量衡萬國中央局に保管する萬國度量衡比較標準器に據りて製作し之を其絛約同盟國へ〓布したる白金、〓利〓〓合金の〓及び分銅を採用して學術上最〓の研究に由り最上と認めたる物質にて其製作も亦今日の技術に叶う丈けの〓巧を極めたるものなりと云えば原器の〓擇に於て殆んど〓憾なしと云いて可なり  (未完)