「ポピユラリチー」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「ポピユラリチー」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

ポピユラリチー

東洋と西洋と自から其國情を殊にし其思想を異にするが故に彼の文字を我に譯して徃々そ

の意義の相當らざるもの少なからず例へばヒユーダル システムと云へるを和流に於て封

建制度を譯するの常なれども歐洲中古のヒユーダル システムなるものは我國德川時代の

封建制度に比するに其趣の甚だ相同じからざるものあり唯その外形の類似せるにより事の

了解を易からしめんが爲め假に充箝めたる迄のことにして學者の用心すべき所なれども猶

ほ一朝咄嗟の譯語に因縁して永く拔く可らざるの誤謬に陥ることなしとせず而して我輩は

夫のポピユラリチーなる文字に於て最も其の誤解なきやを疑ふ者なり世間の通例にポピユ

ラリチーの語を譯して人望と記すれども彼の所謂ポピユラリチーは果して我の所謂人望の

字義に當る可きや、甚だ穩ならざるが如し今特に政治上に付て云はんに人望なるものを日

本流に解釋すれば直ちに思想に浮む所は例の恩威並び行はれて其宜しきを制するより來る

ものゝ如し故に政事の局に當りて人望を博せんとする者は常に恩威並行を第一の心懸とし

て一方には富、四海を有つと雖も自ら奉ずること極めて薄く質素勤儉時に或は忍ぶ可らざ

るを忍んで民を視ること疾めるが如く慇懃親切至らざる所なきに引替へ一方には兵馬の大

權を擁して苟も政令に背く者は誅戮を以て之に從はんと迫り猛武森嚴當る可らざるの勢を

示して剰さへ人間の階級を分ち上と云ひ下と云ひ位記尊號も亦啻ならず一種尊嚴の趣は先

づ人民の膽を奪ふて犯すこと能はざらしむ德川家康の如きは正しく其最たる者にして己れ

を節し民を憐の恩は慈母の愛兒に於けるが如く而して其威は從一位太政大臣征夷第將軍淳

和弉學兩院別當源氏長者德川家康とあるによりて爭ふ可らず即ち是れ人望の頂上に達した

る所以にして由て以て人望の意義を解釋するに餘りあるものなれども英國のグラドストー

ン又はソオルズベリーにポピユラリチーが歸したりといふ其ポピユラリチーは果して彼の

人望と同樣のものなるやと尋ぬるに否な决して然らず日本の人望は政事家が自から主とな

りと輿望を招くこと喩へば猶ほ神佛の社閣を莊嚴にし禍福を宣言して群集を參詣せしむる

が如く西洋のポピユラリチーは書家畫工の評判の如く菱湖の書風面白しとて持囃し曉齋の

評判を取持ち以てポピユラリチーを得せしむるの風なるが故に政事家の心懸も自ら日本流

に異なり恩威などゝは思ひも寄らぬ所にして廣く天下の人心に投することを勉め人の好む

所に從て身を處するのみ之を強ひて卑近に喩ふれば力士俳優の如きものにして一片の愛嬌

は第一に世間贔屓の縁となり力塲の小錦、梨園の菊五郎と稱せらるゝに至る者なり故に日

本の人望を博せんとする者は恩威の並び行はれざるを憂へ、西洋のポピユラリチーを得ん

と欲する者は其愛嬌の乏しきを憂ふ、是によりて之を觀るにポピユラリチーと人望とは文

字に於て敢て錯誤なしと雖も意義の决する所は相距る甚だ遠きを知るべし

恩威並行主義の人望は覇政の世に行はれ愛嬌主義のポピユラリチーは代議政の國に行はる

葢し時勢の相異なること均しく所謂人望と所謂ポピユラリチーとは殆んど相兩立すること

能はざる者なり而して我國の政治社會は今や如何なる變遷を閲し又其當局者は如何なる方

針を取つゝあるや、時は代議政の時にして人は幕政の遺物なるか、抑も亦ポピユラリチー

の意義を誤解して西洋立憲代議國の人望を博する者も矢張り恩威並行の手段に外ならずと

信ずる者か、其邊に多少の混雜あるが如し試に之を事實に徴するに明治政府が直接に手を

出して頻に民業を奬勵保護し或は社會習俗の邊に迄も心を勞したるは夫の恩の意に出でた

るが如く而して其位記を高くし法令を密にし一歩進んで支那古流五爵の名を復活せしめ伯

子男の稱を以て華族に列したる抔は恰も一介書生としての發達にては到底足らざる者あり

と信じ威を重ずるの趣向を取たるが如し凡百の政務上飽まで人民に接するに橫風なるも必

竟これが爲めにして扨その結果は果して人望を博し得たるやと云ふに當局者と雖も今日は

恐らくは其答に〓(足+厨)躇することならん蓋し其然る所以のものは何ぞや精密に之を

吟味すれば種々の源因もあるべしと雖も大要を詮じ來れば立憲代議政治國の人望とは愛嬌

主義のポピユラリチーに外ならざるの次第を會心せざるが故ならんのみ如何となれば當局

者の筆法は兎角橫風にして橫風とポピユラリチーとは互に相背反するものなればなり

政府部内にも世間にも洋學者その人に乏しからず今の政事家たらん者が果して人望を博せ

んとせば先づ第一にポピユラリチーの譯語を見ずして其原義を研究せよ徒に制度の外形を

西洋に取りて却て自ら立つ所以の骨髄を思はざるは我輩の取らざる所のみならず斯して一

時政局に當ることを得るも决して其目的を達し其命運を永々持續すること難かる可し