「松方大藏大臣の一言」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「松方大藏大臣の一言」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

松方大藏大臣の一言

帝國議會を開くこと三閲月餘、閉會後の今日に於て首を回らして當時の議事を追想すれば

名論もあり激論もあり美事もあり失策もありて其趣は一樣ならざりしかども之を概するに

議員も世人も將た政府も其失策不都合の果して失策不都合たるを經驗して將來の戒心に少

なからざる材料を得たることならん我輩が兼て數年前より申せし如く國會も當分の間は清

書の手習として心得べきものなれば多少の失策不都合は固より充分に恕せざる可らずとし

て事態の止むを得ざるものにのみ時々評論を試みつゝ來りしに其中に就て松方大藏大臣が

貴族院の豫算案會議に於て發したる一言の如きは議塲に不似合の最たるものとして後來の

爲めに更めて爰に其反省を希ひ併せて世間全體に於て復た此言なからんことを望まざるを

得ず即ち其の言とは豫算の成立につき敬慮云々に亘りたること是れなり豫算の不成立は何

人も之を慶ぶ者はある可らずと雖も事情の餘儀なきものあればこそ時としては不成立の塲

合にも遭ふことにして成立不成立は唯その事情如何に繋るのみ然るに大臣は豫算案を保護

せんが爲め其事情に訴ふるのみに止まらずして更に之を敬慮に訴へたるは何事ぞや大臣は

如何に辨解すと雖も敬慮を引て議員の感情を支配し以て一言なからしめんとしたるの意味

は之を掩へども蔽ふ可らず若し夫れ敬慮と云はん歟誰か之に向て異議を容るゝ者あらんや

啻に貴族院のみならず衆議院とても豫算の議論紛耘の際に當りて箇樣箇樣に議决せざれば

叡慮安からずと明言する者あらんには誰れか之に反して一言を發する者あらんや議員等の

手に成りたる査定案の如きは立ところに消滅して政府提出の原案に决するや又疑ある可ら

ず如何となれば普天の下、卒土の濱、苟も至尊の聖意に違ふ者とては一人もある可らざれ

ばなり左れば區々たる豫算案の小議論に迄も特に叡慮を煩はし奉りて其成敗を謀るが如き

次第にては議會はあれども無きが如き者にして寧ろ君命強行の優れるに若かずと云ふも不

可なきが如し抑も立憲代議政治の大體は君上を俗界の責任以外に仰き奉り立法部と行政部

と共に共に國務の局に當るべき者にして事の結果として善あれば之を聖主の大德に歸し惡

あれば之を宰相の不能に歸するの主意にして容易に叡慮を引て間接にも直接にも責任の地

位に煩はし奉るは頗ぶる恐多き事と知る可し若しも曩の貴族院が大臣の口頭に發しある叡

慮の一言に制せられて之に默從し事の當否を云はず利害を尋ねず叡慮とあれば是非に及ば

ずとて即座に可決したりとせば大臣は果して能く之に安んず可きや幸にして議員中に其言

の穩かならざるを咎る者ありて滿塲に合點せしめ大臣も亦色々と辨解して冥々の裡に叡慮

以外の事となしたればこそ兎も角も議院が履むべき正當の手續を以て纔に議了したるのみ

叡慮の容易に引く可らざるを想ひ見るに足るべし

要するに大臣の彼の一言は立憲代議政治の本意に於て無病のものと云ふ可らず我輩の遺憾

に堪へざる所なりと雖も既徃は今更これを如何ともするに由なし唯我輩と雖も既徃は今更

これを如何ともするに由なし唯我輩は當時彼の言の議事録中に抹殺せられざりしが爲め或

は當時彼の言の議事録中に抹殺せられざりしが爲め或は今後の俑を作り容易に議院乃至世

間に叡慮を口にして意外の邊より漸く尊嚴を涜し奉るが如きこともあらんかと億萬一の不

祥を杞憂するのみ思ふに大臣も今に至りて熟考するときは飽までも前言を是なりとする者

には非ざるべし如何となれば大臣は誠忠にして又立憲代議政體こそ君主を尊奉する所以の

最良制度たるを詳知する者なればなり故に我輩は議院も世人も大臣と共に其非を非とし前

例に傚はずして却て之を鑑戒の一材料となさんことを切望する者なり