「政商平均」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「政商平均」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政商平均

我國の議會が國の商安を輕視し國家經綸の輕重を誤りたるの譏を免れざるは我輩の屡々陳

辨したる所にして元來一國の經綸は獨り政治の一方のみにあらず商賣の利害に關すること

最も大なれば若しも今の政治家に商賣の思想なく單に政治の眼を以て國事を視察し其視察

を實際に實にして全體の利害を度外視するが如きこともあらんには冠履顛倒利害錯雜して

到底國の經綸は立つ可らず我輩の素論に政治家に商賣の思想なかる可らずとの趣意は即ち

國家經綸の大本にして今日に至りて益々その適切なるを知るに足る可し從來我國官邊の輩

には封建士族の遺流を酌むもの多くして經綸の輕重を顛倒したるの事例甚だ珍らしからず

我輩の常に遺憾として忘るゝこと能はざる所なれども今や全國の利害を代表する國會の

人々にして猶ほ其尤に傚ふものあるに至りては遺憾ますます甚しからざるを得ず今試に我

爲政者が商賣の事情に通せずして經綸の道を誤りたる一事例を示さんに我國にて米の収穫

高は一年凡そ四千萬石にして之れを一石五圓の價に見積るも其の金高は二億圓、殆んど政

府歳入の三倍に達するものと云ふ可し左れば一石の價に於て僅に五十錢の差を見るも全國

の米價には忽ち二千萬圓の相違を生ずるものにして其影響の極めて大なるを知らざる可ら

ず而して米價の高低は収穫の多少、需用の増減等種々の事情に由ること勿論なれども是等

の事情を外にしても市塲の景氣如何に依り其價に變化あるは疑ふ可らざる事相にして例へ

ば現今の米價一石七圓内外にて市塲の取引に差支なけれども若しも政府より一片の法令を

發し全國の米相塲所を一時に解散することもあらんか實際の實物には如何なる變化もなき

筈なれども米價は之が爲めに忽ち下落を催ほさゞるを得ず即ち商品の價は市塲賣買の自由

不自由に關して上下せらるゝこと明白なる道理にして今その賣買の不自由なるが爲めに一

石に付き五十錢の下落を見るときは全國の賣買上に非常の影響を及ぼして結果の容易なら

ざるを理解す可し然るに前年政府は米商會所に重税を課して其賣買を不自由にし之に加ふ

るに明治二十年彼の不都合なるブールス條例發布して全國相塲所の運命を動搖せしめ商人

社會の恐惶を致して自然に米價の下落を催ほしたるは世人の普く知る所なり即ち商賣に不

案内なる政官が法令を誤用して商賣を妨げたるの事實として見る可きものなり左れば今回

議會に於ける地租輕減の説の如きも從來の二分五厘の内より五厘を減じて凡そ八百萬圓の

負擔を減ぜんとするの趣意なれども我輩の所見に據れば斯る説の議會に行はるゝは畢竟そ

の人々が單に政治の一方にのみ注目し政費節減斯民休養などいふ誠に古風單純なる思想を

以て國の經綸を見るが爲めにして一國全體の利害に通ぜざる者なりと評せざるを得ず地租

を輕減したりとて實際に斯民休養の實なきは我輩の兼て論じたる所なれども假りに一歩を

讓りて休養の効あるものとするも僅々八百萬圓の負擔を重しとして國家數百年來の習慣を

動しても無理に之を減ぜんとするは窮策中の最も窮なるものにして全體の利害に暗きの譏

は免れ難し前にも述べたる如く我國収穫米の價に一石五十錢の差あれば農民は二千萬圓の

租税を輕重せらるゝの姿にして其五十錢は政府の法の當不當に由て上下す可きは彼のブー

ルス條例の失策に證しても明に見る可し故に議會の人々が商賣の思想に富みて能く市塲賣

買の事に着目し其不便妨害を去りて商賣の自由を保護するの注意、否な商賣を妨げざるの

注意周密なるに於ては故らに自から苦んで地租輕減の如き消極的の窮策に出でずとも人民

の私に於ては却て積極的に無害の恩澤を被り隨て大に國の生産に益することある可し(我

輩の持論に地租を減ずるよりも政府の法を簡にして吏員の無用なる者を沙汰し繁文の煩は

しきを除て民業を妨げざるときは其功德更に大なりと云ふも本文の意なり)右は米に就て

の一例に過ぎざれども目下我國の商品にて生絲なり種油なり鹽なり綿なり何れも皆賣買法

の不完全なるものにして凡そ是等の利害に注目したらんには一國の減綸上に改良擴張を要

するもの甚だ少なからずして國民の實際に利する所極めて大なるものある可し我背は今後

立法行政の任に當るものが商賣の思想を十分にし國の經綸に政商平均の實を見んことを希

望するものなり