「東京商業會議所」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京商業會議所」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京商業會議所

頃日來頻に其會員の撰擧に忙はしき東京商業會議所はイヨイヨ當撰の人名も定まりて先づ

其形を成すに至れり撰擧前の模樣は日々の新聞紙上にも見えたる如く黨派の區別こそなけ

れ各自互に競爭して恰も國會府縣會議員の撰擧爭を學びたるやの嫌さへありしことなれば

意外の手段に動かされて意外の人物を出すことのありもやせん歟と我輩の窃に危ぶむ所な

りしが此回の撰擧は果して會員その人を得たるや否や又これより條例第十七條によりて特

別會員(學術技藝若くは商業上の經驗ある者)を撰定するに如何なる人々を推すべきや而

して會議所が其事務權限を行ふの後に於て實際の成跡如何は世人の皆ともに屬目して今日

尚ほ未だ覩る可らざる所のものなり

世に議論熱の流行を催ほして其餘波遂に實業社會にまでも傳染したるは實に近年來の惡弊

なり左れば是れより先き某の組合、某の會所と稱し或は格地方相通じ或は數州相合して

種々の會議を開くに當り其これを組織する者は何れも實業家に相違なければ議する所自か

ら適實にして公私の利益の爲めに効蹟の著しきものある可しと世間一般に望を屬する所な

りしに想像は實際と相反して一に口舌の爭に走り唯議席の賑々しからんことに心を用ひて

却て實利の本分を忘れ無益の談を以て始終したるもの徃々にして珍しからず政治社會に敎

育社會に空論の勢力日に增し熾んにして纔に國家の運命を支へて富源を開く可きものは唯

實業家の一類のみなるに其會議に當りて不幸亦この狂態あるを免れざりしとは識者の竊に

落膽する所なり既徃斯の如くなれば東京商業會議所に付ても我輩は未だ全く杞憂を脱する

能はざるものにして撰擧の競争に政治的議員の爲を學びたるは敢て咎む可らずとするも會

議所中にも亦同じく口論擾々たらんとするに至ては實利一偏と稱する商人の擧動に不似合

千萬なることにして寧ろ會議所の耻辱と云ふも可なり

殊に會議所の事務權限は决して狭しとなさず西洋諸國に於けるものと頗ぶる相似たるもの

なれば務めて之が利用を望むと共に其害用を避るの情は更に一層の切なるものあり案ずる

に明治十一年創めて商法會議所を東京大坂に設立し爾後各地にも經營するものありしが同

十〓年政府の保護を廢してより漸次衰退して殆んど其〓〓見ず次いで十六年の頃當局者の

誘導によりて再び之れを興せしも是亦實効を奏せずして有名無實の有樣に〓以て今日に至

りたるは必竟當時民間の氣運未だ熟せざるにも拘はらず政府が好事にして濫に干渉を試み

恰も盆栽の花を煖室に養ふたるが如く一時人爲の美を呈したれども久しからずして天然の

〓風邪に凋落したるものならん今度の會議所は條例によりて授けられたるものか商人の之

を促したるものか兎も角も時勢の要用と民間の氣運は明治十一年の者の如きに非ざれば假

令へ條例の結果なりとするも之を消化して民間自然の生出となし以て實効を奏するは唯會

員の方寸に在る可しと我輩の敢て冀望する所なり從來の事歴に徴するに政府の干渉は商人

に向て最も有力に行はれ政府の意見は則ち商人の議决にして諸種の弊根の伏する所となり

人をして歎息せしむるもの毎度なりしが此點に於て會議所は如何あるべきや以前の商法會

議所は政府の保護に成り其他の實業諸會議も亦多くは政府の介抱を受けたるものなれば當

局官吏の云ふ所に一種の威力を存したるや素より自然の所なるべしと雖も今度の商業會議

所に於ては條例を消化して發達すべきものなるが故に法の範圍内には十分の獨立を保つに

足るべく彼是自から同日の談に非さるべき歟なれども俗に御用商人と唱へて官邊に縁故あ

る少數種族の勢力は中々侮る可らざるものにして一顰一笑殆んど以下の商人をして浮沈せ

しむるに足ることなれば何々の會議等あるに當てはイツモ御用の光明を遠方より輝かしな

がら夫れとなく趣向を運らし衆議を鎮めて恭順の意を表せしめ以て實業社会を蹂躪したる

は先例の欺く可らざる所なり蓋し獨立の基礎なき商人にては唯目前の身構に忙はしきより

他に逆ふて私利に損害を招くを惧れ心に事に不當を知りつゝも敢て傀儡を甘んじて唯命こ

れ從ふは是非もなきことならん即ち御用商人の乘ずる所にして今日とても右の妙用を施さ

んとすれば必ずしも其術なきにあらず笑止千萬なる次第なれども都下幾千の撰擧者より撰

まれて東京商業會議所の會員と爲る人々の中には自から男子もある可ければ飽くまでも獨

立の一義を嚴守し會議所をして純乎たる商業の耳目たり代表者たるに恥ぢざらんことを希

望せざるを得ず政府の干渉を責めず御用商人の不正を咎めず唯商人の自尊自信あれば可な

るのみ

以上は既徃の實迹により我輩の婆心を陳べたる迄にして會議所が進んで商業社會に實効を

奏するの積極策に付ては或は俄に大に益する所もなかる可し固より其經費とても僅々の金

なれば先づ以て當分は商業會議の雛形と心得て利を興すなどの議論は姑く差置き唯着實な

る商人の本色を守りて漫に空論を論ずることなく獨立の精神を定めて自然の發達を待つ可

きのみ今日の安心决定は凡そ此邊に在て可ならん歟