「・正金銀行記」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・正金銀行記」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・正金銀行記

近來橫濱正金銀行の株主中に臨時總會を請求せんとする者あれば銀行にても大に行務を整理し貸付金なども都て一時に處分するとて既に出訴に及びたる向きもあるよし臨時總會は貸付金に關することに非ずして偶然にも其處分云々の段に出でたるは事偶然に似て自から偶然ならざるの意味もあるが如し凡そ是等の事情を詳にせんとするには銀行の創立より今日に至るまでの歴史を訪ねて其歴史の裡面を讀むにあらざれば叶はぬ事なれば我輩が年來目撃し耳聞したる處たけの由來事情を世に公にするは經濟社會の爲めに無益ならざる可し抑も正金銀行は明治十二年今の大隈伯が大藏卿たりし時の設計にして當時外國の貿易も次第に進歩の折柄、その貿易根本の地に日本の銀行なくして外國人にのみに依賴するは不都合なり不利益なりと云ふ所より内國人にして眞實に金力ある者のみを會して一大銀行を開かんとて窃に之を懇意の人に語り傳え又傳えて富商大家の向きに謀りしに何れも其事の要用にして且利益もある可きを知りて内々これに應ずる者少なからず左ればいよいよ發表して發起の事に當るには其人なかる可らず誰れか適當の人物ならんと云ふに中村道太氏こそ兼て理財の才に富みて經驗に乏しからざれば差詰め此人ならんとて一切の事を中村氏に托し夫れより氏は八方に周旋奔走して都鄙の資力家に説き漸くして二百萬圓の資本を得たり從來の事例に徴するに銀行その他の會社を設立する者は其初に於て兔も角も事の成功を急くが爲め動もすれば株主の姓名のみを記して實際の入金を怠り所謂空株を交へて帳簿の表を作ることなきに非ざれども正金銀行の株を募るには專ら人の資力に依賴せしが故に二百萬圓は即實際の二百萬圓にして曾て空株などの沙汰を聞かず又この民閒募集の二百萬圓の外に政府の加入百萬圓を以てして明治十二年の冬發起の時より十三年二月開業に至るまで僅に三四箇月にして資本銀貨三百萬圓の一大銀行を出現したるは成効の速なるものと云ふ可し且その株主は右の如く實際に資力あり信用ある人のみなれば募集は難きに似て却て難からず隨て無益に創業の爲に金を費すこともなく凡そ世間に會社多しと雖も創業の費用最も少なく周旋相談の爲めにとて一盃の酒を飮まず一席の宴を張らず曾て曖昧の沙汰を聞かずして能く大事を成したるは正金銀行の右に出るものなし是亦該行の特色として誇る

可き所にして其事實は今日舊帳簿を見ても分明なる可し

銀行の基本堅固なること斯くの如くにして創立の上、頭取には中村道太氏副頭取には小泉信吉氏支配人には小野光景氏にて事務を執り行運次第に繁盛の折柄、明治十四年十月政府の内閣に變動を生じ大隈氏が辭表を呈して松方氏が之に代ることゝ爲り其餘勢忽ち正金銀行に波及して無限の紛紜を引起し日本固有の筆法とは云ひながら爰に政變あれば隨て商變を釀し又隨て人の幸不幸と爲り政事も商賣も官吏も人民も殆んど區別なきに至るこそ是非なき次第なれ從前頭取の中村は銀行創立のとき既に大隈氏の爲めに擧げられて一切の事に任し開業の後も銀行と政府との關係に付き大事は頭取より直に大藏卿に具申して其内意を表するの慣行にして此點より見れば正金銀行は大隈銀行にてありしものを今度は之を改めて松方銀行の資格に組織せざる可らず誠に無益の事にして小兒の戲に似たれども日本社會にては大人にして往々小兒の戲を學ぶ者少なからず或は當局の松方に於ては左程の念慮なきにもせよ四方八方より銀行の邊に蝟集する群兒が當局者の意を迎へて事を構成するの情もある可し兔に角に大隈が政府を去れば隱れもなき現政府の政敵なり其政敵の信任を受けたる中村とあれば之を今日現政府の手に屬する銀行の頭取として捨置くは不都合なりとて乃ち中村氏の攻撃に着手し扨行の内部に立入り細々調査して表面より攻むれば攻む可きもの甚だ少なからず或は頭取の信する所にて其貸金に延滯したるものもあらん或は曾て其筋の内意に由り餘儀なく何々會社又は何々改良何々起業の爲めに貸して返らざるものもあらん是れも反則なり夫れも越權なりとて一々これを枚擧して銀行正面の成規に照らして都て頭取の落度として其情を問はず其一例を擧れば當時銀行の政略として株券の價を維持するが爲にとて窃に銀行の資本を以て株券を買入れ其記名に假に中村道太と記しありければ攻撃者は之を見て銀行が自から株を買ふは禁制なり苟も中村の姓名ある限りは中村の私有なり然るに現在の市場にて株の價は九十何圓にして中村が株を買ふために銀行の金を用ひたるは九十何圓の割合よりも多し故に株は中村の私有にして其用ひたる金は中村が私の負債なりとて中村氏は銀行に對して何十萬圓の負債者となりしことあり又その頃攻撃者の宣言する所にては中村の頭取中に銀行に穴を明けて貸倒れと爲りたるもの百二十何萬圓にし

皆無に屬すと云ふを聞き或人がいよいよ百二十何萬圓の損亡と斷念したらば其貸金を三十萬圓にて賣り給はずや皆無と斷念したる處に四分の一を得たらば滿足なる可し拙者は即金にて之を引受けんと戲れしに三十萬にては賣り難しと答へ次第にせり上げて遂に六十萬

圓七十萬圓と値を付けたれども賣ると答へざりしとの奇談あり以て當時の事情を察するに足る可し結局政海一時の波瀾を銀行に及ぼし其浮沈を共にしたることにして迚も道理なそ論す可きに非ず左るにても腕力を以て頭取を放逐す可きにあらざれば波瀾稍や閑なるときに銀行の内部より内談の沙汰と爲り何分にも中村が頭取の椅子に在らん限りは正金銀行は政府に對して敵の地位に立つの姿にて迚も行運覺束なし之に反して穩に頭取の交代あれば自今政府は特別の保護を與へて非常の利益ある可し此一義は慥にして間違なし銀行の運命は單に一私人の進退如何に係るとの言を聞き中村氏も今は猶豫す可き場合にあらず左樣の譯けならば身を引く可し但し引く者は自分一人にして他の役員は共にす可らずと其邊の約束も異議なく整ひし上にていよいよ頭取の職を辭したるは明治十五年六月の事なり左れば氏が辭職の原因は專ら政府の政變より波及したることにして其波瀾の際に樣々に頭取の落度を云へば云ふ可きもの甚だ多く又事實に於て必ず多少の落度もありしことならんと雖も之を要するに其罪は以て創業の頭取を退る足らざるや固より論を俟たず當時世間に少しく心ある人々は此奇變を見て窃に政海の兒戲を笑ふのみなりき

既に中村の辭職を見屆けたる上は銀行の内部復た心に關する者なく正金銀行は大隈銀行の色を脱して純然たる松方銀行と爲り行と政府との間柄も釋然として互に挾む所なければ是れより更らに保護の道を開き殊恩特典の限りを盡して枚擧に遑あらず例へば正金銀行は名義の如く一切の計算を銀貨にしたるものを明治十六年の頃大藏省に請願して紙幣に立直し百四十萬圓の銀貨を一圓三十何錢(當時の市價は之より凡十錢計り低し)の割合を以て政府に賣り又銀行所有の金札引換公債證書凡そ八十萬圓を百圓の相場にて政府に賣り政府より七分利付金融公債證凡そ百七十萬圓を實價七十何圓の相場にて申受け爾後明治十八年に至り銀紙同價と爲りし上に爾後七十何圓の公債證書は上々遂に百圓の價に達し其往くと返ると兩樣の間に銀行は坐して莫大の利益を得たることあり又曩きに中村氏の進退紛紜の際に株主の或る部分の人々は其紛紜の面倒なるに堪へず此處は寧ろ平穩鎖店こそ利益なれ又愉快なれとて此論を主張する一類の所有株凡そ七千株もありければ政府の筋にては大に之を憂へ何とか此一類を慰るの方法もがなと云ふ中に漸く内談の沙汰と爲り當時株券の値凡そ九十二圓なりしものを右の七千株をば百十五圓にて其筋に買取り穩に局を結んで閉店の議も止みたりしが其後正金銀行は政府の邊より彼の一時買取りの株を一株百六圓にて讓受け(當時の市價は百十五圓)株の價の次第に昇騰するに從て銀行の會計に大利を得たるのみならず其時代の役員等も分に應して數株づゝの配分賣渡しに預り臨時に潤澤したることありと云ふ又外國爲替の業務次第に擴張するに從ひ之に對する政府の保護は非常の寬典にして凡そ一千萬圓内外の資本金は無利足にて政府より貸渡され外國爲替の營業薄利なるも一年の所得を積れば甚だ少なからず銀行の資本僅に四百五十萬圓(新株を募りて後)に對し内外の利益を合して百二三十萬圓の所得を見たることあり實に世の中に比類もなき奇相なりとて當時稍や物論を招きたるは人の記臆する所なる可し畢竟積金も次第に增加したるが爲めなりとは雖も其積金の由て生ずる所の本源を尋れば銀行が辛苦して細々積みたるものは少なく單に政府の殊恩特典に浴したる僥倖ならざるはなし之を要するに今日正金銀行の盛大は銀行本色の營業に由るに非ずして寬仁大度なる無盡藏より流出したるものと云ふも可なり斯く行運の繁昌を極めたるは明治十九年二十年の際にし其頃は恰も紙幣急縮の影響に由り米價は下落して各地方の慘状甚しく年豐にして萬民飢るの奇相を呈したる其一方に獨り橫濱の正金銀行のみが得々として百何十萬圓の利を得たるにぞ當時或老人が之を聞き百二十萬圓の金を以て一俵二圓の米を買へば正米六十萬俵を得べし封建時代十八大名の歳入も之に及はざるもの多し即ち大藩五六十萬石の髙にして此髙を日本國民中の最小部分なる銀行の株主に占めらるゝとは國財集散の宜きを得たるものに非ずとて窃に愚癡を鳴らしたることあり亦以て時事の一班を窺ふに足る可し

銀行營業の有樣は右の如くにして爰に又その内部の事情を尋れば當初中村道太氏が頭取の職を辭するときに引く者は自分一人にして他の役員は特に行務に就て過失あらざれば之を逐ふこと勿かる可しとの約束にて爾來幸にして役員中に是れと名く可き過失なきのみか創業以來次第に事に熟練して職務を怠らず取締頭取支配人は時として政府又は株主の意見次第にて新陳交代することあれども以下の重立たる役員は恰も事務官の資格を以て曾て地位を替へず即ち十餘年前中村時代の局長は今日も尚ほ局長にして唯隨時に頭取支配人の命令に服するのみ至極穩なる次第にて多年風波もなかりしかとも爰に人心の裡面に云ふ可らざる無限の意味を含蓄する其裡面を翻して吟味すれば面白き事こそあれ其大概を語らんに素と中村氏の銀行より身を引くや事實餘儀なき政海の事情に迫られたるまでにて心の底に愧づる所なきは自分は勿論世人も共に窃に許す所にして退身後銀行を見れば滿堂皆知人のみ、既に心に愧ることなくして知己朋友の在るあれば要用の爲めに銀行に出入するのみならず常に諸役員と交りて遊戲談笑の交情舊時に異ならず又その談笑の間に自然に銀行内部の事情をも聞き營業上の祕密にあらざるの外は情を知らざるはなし然るに十餘年の其間に頭取は幾回か更迭して新に首長の椅子に就き鵲の巣に鳩の居る有樣なれば假令へ機敏の人才にても當分は事に慣れず顧みて諸役員を見れば銀行創立以來の者のみにして業務の外に他念なく恰も銀行を以て家と爲す程の次第なれば新頭取の身を以て考ふれば一喜一憂、役員等が活發に運動して速に事を處するは喜ぶ可きなれども或は其活發迅速の餘りに命令一途に出でずして綱紀不取締の弊はなかる可きや、重役の身重からずして尾大振はざるの謗はなかる可きやと是等を思へば自から又心配なきを得ず又諸役員の方にても固より時の重役の命を奉して其旨に從ふは無論なれども其身は正しく銀行と共に誕生して行内に成長し地位の堅固なるは行の質子の如くに思込み時としては行父たる頭取に事ふること謹愼ならず所謂新主人舊家老の故事を演したることもあらん又或は壯年の血氣に嚢中の豐なるを以てして時として分外に財を散し又君子の品行を誤りたることもあらん何れも之を傍觀して安からざる所のものなり故に雙方の心事は固より公明正大にして其素質を吟味すれば男子たるに相違なしと雖も男子の腦裡微妙の邊に時として婦人の猜疑心を包藏するは人の賢愚に論なく今の文明の程度に免かる可らざる所なれば正金銀行の裡面に常に猜雲疑霧の鬱するものあるも自然の勢にして此雲霧發しては密談と爲り、計略と爲り、人の愛憎と爲り、應援の相談と爲り、癇癪と爲り、誹謗と爲り、言語の行違と爲り、意味の誤解と爲り、行掛りの意地と爲り、斷然の處置と爲り、遂には本來の目的を外にして枝葉の爭と爲り雙方の實に益する所なくして君子の名に損することなきに非ず我輩の云ふ小兒の戲とは是れ此の事なり前期の定式總會に行の重役が利益配分の割合を低くせんと發言せしに株主は意見を異にして遂に之を高くし其髙きを主張したる株主の中には例の舊家老輩もあり又この輩より他の株主へ氣脈を通したることもありと云ひ口に之を明言せざれども全體今度の一事に拘はらず尾大不振は本行の宿弊なりとて夫れ是れの意味因縁よりして所謂斷然の處置に出で不意に諸役員に免職を命して一時に耳目を驚かし引續いて近日の臨時總會論を發して又隨て貸付金催促の出訴と爲りたるが如き事情止むを得ざることとは申しながら如何にしても人事の平穩なるものに非ず等しく目的を達するにも其方便には自から樣々の別ある可きに獨り劇しき斷然の處置とは少しく遺憾なきを得ず左れば其後の臨時總會論とて假令へ其論旨は正當にして眞實に株主多數の所望なりと云ふも世人の見る所、又銀行員の察する所にて免職者の一類が樣々に計略を運らして間接の復讎を謀るものなりと認めらるゝも辨解に苦しむことならん又銀行が中村氏に向て貸金を催促するは尋常一樣行務整理の爲めなりと宣言するも氏の借用金なるものは總て所有の株券を銀行に差入れ置き之を見合ひに現金を借用したることにして其返濟方に付ては先年氏より申出したることもあり其時の重役と相談して先づ其まゝに差置き利子とても別段に納るにあらず唯毎期の配當金を利子の姿にして銀行に受取り數年一日の如く何事もなかりしものを今日に至り俄かに貸付金を處分するとて公けの沙汰に及ぶとは何か意味あることなり内實は唯中村を困らせて見るの策ならんと云はるゝも是亦瓣解に苦しむことならん何れも銀行の本色たる損益の談を離れて理窟の爭論たるが如し誠に不味千萬たる次第なれば差向き右の臨時總會論なり又貸金の催促論なり雙方の當局者に於て能く事の由て來りし本源に溯り再思三思して人情世界の緩急を悟り其事の果して名利の爲めに無益なるを發明せんと吾輩の祈望する所なり如何となれば事の表面を見れば何れも道理あらざるはなし銀行の利益の爲めに株主の多數が臨時に總會を開くと云ひ銀行より貸したる金を時の理事者が其返濟を促すと云へば雙方共に正當なる申分なれども其口に言ふ所は必ずしも心に思ふ所の目的に非ず俗に云ふ臭を投じて復讎するの技を演し互に他の弱點に乘して之を困却せしむるものにして大人の事にあらざればなり

前來樓陳したる次第なれば吾々は目下表面に現はれたる議會請求の利害を云はず貸金催促の理非を云はず唯雙方の當局者が心を靜かにして互に調和し以て有名なる大銀行の體面を維持して株主の利を謀ると共に公共の便を達せんことを祈るのみ總會請求者の言ふ所を聞けば此總會の企は右に云へる斷然改革の以前に始まり内閣は現任銀行員と相談の上にて目論見しことなれば今日に至りて其銀行員が之を忌むの理なしと云ふと雖も一方より事の内情を推察すれば現銀行員も其相談の時までは總會の要用を感じたれども爾後自分にて考へたることもあらん、人に忠告せられたることもあらん、應援せんと云ふ者あれば至極尤もなりとて贊成する者もありて爰に始めて斷然の説を執り扨斷然と決したる上は約束の應援もあることにて今は臨時總會も先づ以て不要の姿になりしことならん人事繁多の世の中に隨分ある可きことなれば必ずしも深く咎むるに足らず唯その斷然のときに何分にも人情として曩きの相談人なる中村氏を始め其外の向きへ斯くと告る譯けに參らずして遂に今日の紛紜に立至りしのみ故に彼の免職者の身と爲りて考ふれば所謂熱湯を呑ませられたるものにして不平に堪へず其熱心奔走して苟も他の〓を窺はんとするは人情にある可きことにして是亦深く咎るに足らず職務上の過失とあれば餘儀なき次第なれども此度の免職は左ることにあらず政治上に喩へて云へば恰も國事犯の如きものなれば聊か酌量する所ありて然る可きことなり虚心平氣に考ふれば銀行の目的は單に利益の一點に在るのみにして此の點に於ては株主も役員も誰れ彼れに論なく都て一致せざるを得ず然るに正金銀行は近來漸く政府の保護を止められて復た昔年の殊恩に浴するを得ず之に加ふるに世間商況の不景氣と共に株券の價も大に下落し之が爲めに株主等は特に恨む可き相手はなけれども心中常に樂しまずして動もすれば不平を鳴らす者少なからず其趣を喩へば豐年に人氣和して凶年に怨言喧しきが如し即ち昨今紛紜の苦情も都ての細目を拂ふて之を一括すれば事の原因は株の下落に在りと云ふも可なり左れば今の株の運命を維持して其位を進めんとするには世人の銀行に對する信用を厚くせざる可らず其信用を厚くせんとするには株主の全員相和して先づ其撰出したる所の役員に信を置かざる可らず役員が株主の信任を得て隨て世人をして信せしめんとするには自から重んして苟も輕率の擧動ある可からず株主も亦既に一度び役員に任したる限りは人間の禮儀を外にしても自利の爲めに之を保護するこそ智者の事なれ他を信ずるも信ぜらるゝも共に是れ銀行の本色たる利益の爲めなれば我輩は飽くまでも雙方の調和を勸告して其自利の發念を促し行運次第に盛にして今日の紛紜を一場の夢に附し去らんことを祈る者なり