「・壯士に反省を望む」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「・壯士に反省を望む」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

・壯士に反省を望む

近頃世上に壯士と稱する一種の暴客を生じ都鄙の公會又は私會の席上に於て動もすれば腕力を振ひ亂暴を働き或は途上に人を要撃する抔以の外の暴行を爲すもの多く昨秋以來此輩が諸處の集會に於て不穩の擧動したるは一にして足らず甚しきは國家立法の大權を有し神聖犯すべからざる國會議院内に於て一度ならず二度までも議員に暴行を加へたるものあるに至れり是れ實に容易ならざる事柄にして斯る所業は獨り警察官吏の取締のみに放任すべからず宜しく天下公衆に於ても一致して之を排斥しその害を未だ大ならざるに除かざるべからず蓋し今日の壯士なるものは其形迹よりして言ふときは幕府の末路畿内其他に橫行したる浪人に似たりと雖ども其實は大に相違するものあり何となれば幕府の末路は專制政治の時代にして當時天下の大政は執政の手にあり列藩諸侯と雖ども國政に參與するの權を有せず諸藩の士庶人に至りては天下の政治に參與するは扨置き私に政事の得失を論議するすら動もすれば其分際を犯したりとて罪責を被むる程の次第なれば此時に於て執政者の處置輿論に背き民心に戻り邦家の安危且夕に迫るを見るときは民閒の有志者は正に之を如何すべきや既に言論の自由なく又出版の自由なし素より口舌を以て政府を動かすに足らず上書献白其道なきにあらずと雖も之を用ゆると否とは政府の勝手なれば用ひられざるときは夫迄の事なり一口に云うへば當時民間の有志者は日本の政治上に何たる權利をも有せず政府の當局者に如何なる失政あるも正道を踏み國法の許す所に從て之を匡正するの道は殆ど杜絶されたるものと云ふべし故に慷慨憂國の士は他に時艱を救濟するの道なきを見て國の危急を座視するに忍びず已を得ず一時の橫道に出て或は時の執政を要撃し又其執政と意見を同ふし擧動を共にし己等が平生目して以て政敵と爲す所の者を暗殺する等の始末に及びたるものにして其所爲の細目に至りては當時に在りても非難すべきもの素より少なからざりしと雖も大體に於て浪人の擧動は已を得ざるの事情に出てたる窮策として聊か恕す可きものあるが如し然るに今日の日本は復幕府時代の日本にあらず憲法既に制定せられて臣民の權利茲に確立し國會既に開かれて人民參政の權を得、集會演説出版等の公權に關して多少の制限あるは政治家の常に不平を訴ふる所なりと雖も是以て其制限の範圍内に於て自由に言論を馳聘するの道なきに非ず故に今日に於ては苟も日本人民にして公權を有するものならんには正道を踏み國法の許す所に從ひ其政治上の意識希望を貫徹するの道は充分に開けたる其正道あるにも拘はらず殊更に之に依らずして却て國法に背き橫道に踏入り腕力を弄して亂暴を働き自から以て快と爲すに至ては我輩其何の故たるを知るに困しむなり我輩は敢て壯士に問はん君等にして愈々腕力を好むものなれば彼獨逸諸國に流行する決鬪なるものを知らん決鬪者の互に相鬪ふや先づ相對して其武器を定め雙方共に同一の武器を用ひて勝負を決するを法とせり蓋し其武器同じからざれば其利孰れか一方にありて勝敗の數は未だ鬪はざるに知れ眞正の勝負を決するの道にあらざればなり今若し決鬪に臨むものにして相手方が短劍を持つに拘はらず我は銃器を取て遠方より之を狙撃したりとせんには假令へ能く其敵を仆すと雖も君等は必らず之を罵りて卑怯未練の振舞と云はん否君等は斯る手段にて敵を仆したるものは敵に打勝たるに非ずして其實は敵に一歩を讓りたるものなるを知らん、知らずや君等が今日の所業は恰も此卑怯なる決鬪者に類するものあるを代議政治の既に行はるゝ今日に於ては君等が政治の野に於て敵と雌雄を決すべき武器は腕力にあらずして言論なりステツキや仕込杖にあらずして筆紙と口舌となり君等の相手方は正に此等の兵器を以て君等と堂々の勝負を角せんとせり然るに君等は卑怯にも敵と同一の兵器を取らず全く種類の異なる兵器を以て然も敢て正面より立向はずして不意に其背後を襲ひ恰も人の寢首を掻て自ら得々たるが如き状あるは壯士と云へる名稱に對して聊か不似合の仕方にして君等の爲めに深く嘆惜せざるを得ず是れ敢て我輩が壯士諸子の一考を煩はさんと欲する所以なり(以下次號)