「在外日本人に關する報告」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「在外日本人に關する報告」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

海外に在留する本邦人の中には兎角無職業の破落戸の類多くして其風體擧動如何にも見苦

しく本國日本の名譽を毀損すること少からざるを以て何とか方法を設けて斯る醜汚の人物

をば一切外出せしめざることにす可しとの説は近來甚だ勢を得て此一事に就ては世間別に

異論を唱ふる者なきが如しと雖ども我輩は何分にも此説に感服する能はず其次第は毎度時

事新報紙上に陳べたることもあれば讀者の既に了知する所ならん

然るに爰に又我輩が敢て世の論者の一考を煩はさんとする所のものあり即ち「在外日本人

中には無ョ漢甚だ多し」との説は果して眞の事實なるや否やの一事なり今日海外旅行檢束

の必要を説く者は無論これを事實なりとして更に疑を容れざる者の如しと雖も我輩は此點

に就て大に不審なき能はず抑も在外日本人に關する右の如き面白からざる報告は如何なる

處より發する哉と其源を尋るに皆是れ親から外國に在て實際の有樣を目撃したりと稱する

日本人の云ふ所を傳へ又傳へて次第に世間一般の評判を成すものにして親から實際の有樣

を目撃したる者の所見と云へば誠に間違なき話の樣に云はるれども其實は必ずしも然らざ

るもの多し凡そ何事にもあれ人間社會の現象に就て正當なる判斷を下さんとする者は先づ

百般の感情を脱却して虚心平氣に利害の大小輕重を量り冷淡なる數理を根據にして説を立

るに非ざれば甚だしき誤謬に陷ること多きを常とす學者の宜しく注意す可き所のものなり

今我國人がたまたま海外に在て同國人中に破廉耻、不品行の者あるを聞見し斯の如き無ョ

漢を海外に置て西洋人の目に觸れしむるは國の武器なり日本人の面目を害するものなり速

に之を本國に追返さゞる可からずとて熱心喋々する其大原因は即ち斯の如き人物を以て我

同國人なりと言囃されては己等が西洋人に對して外聞惡しと云ふ一時の感情に過ぎざるも

のと認めて大なる間違はなかる可し人生に免かれ難きことなれども既に感情に制せられた

るものとすれば其説く所に偏頗なからんと欲するも得べからず例へば爰に百人の移住者あ

りて其中に十人の無ョ漢ありと假定すれば其十人の所行の爲めに他の九十人の者までも皆

惡名を附せらるゝことなきを期す可らず何となれば無ョ漢の醜状は人目に觸れ易くして正

業者の美質は容易に認め得べからざればなり左れば在外日本人の醜行に關する報告は多く

は醜中の醜を抜きたる報告にして之を總體に平均すれば針小を棒大に説くものと云ふも不

可なきが如し

〓〓〓の〓〓の報告書の如きに至ては此弊最も多かる〓〓〓〓〓を示さんに領事館は外國

に在る無ョ漢の集合所とも稱すべき有樣にて在留日本人の少しく困窮する者は先づ差向き

領事館に行て救護を求むるの習慣にて國元より資金到着せずと云ては領事館に行き、借金

を返すこと能はずと云ては領事館に行き、下宿屋の勘定に差支へると云ては領事館に行き、

喧嘩の始末博奕の差縺より有るとあらゆる不幸不運不始末不行状の其最後の處置に當惑す

れば則ち領事館の厄介となるの定なれば在留人の稍多き土地にては領事館の繁雜一通なら

ずして門前常に市を成す其群集は都て是れ醜聞の群のみ之に反して正當の職業に就き衣食

に差支なくして獨立の生計を營み漸く資産を成す者の如きは其數少なからざれども固より

領事館などに用事のある可きにあらざれば曾て顔を出したることなきが故に在館吏人の眼

は唯同國人の醜を見るのみにして曾て其美を見ず本國政府に贈る報告の醜なる亦謂れなき

にあらざるなり之を喩へば醫者が日々病人のみに接して滿天下皆病人ならんと想像するも

のに異ならず在外の日本人中醜者固より少なからずと雖も其裏面には正業の美者も亦甚だ

多し醜美混合は獨り日本社會に限らず世界萬國の普通にして純美を求めんとするも人力の

及ぶ所にあらざれば我國人も須らく其膽を大にして在外人の報告などに驚破せらるゝこと

なく苟も外國に行かんとする者あらば之を誰何せずして醜美混合のまゝ其行く所に行かし

む可し况んや衣食足りて禮讓興るの古言眞ならんには彼の醜者も海外に衣食を得るに從ひ

醜を脱して美に入ることもある可きに於てをや我輩は唯此一事に付き我官民の大膽ならん

ことを祈るのみ