「内外法律の異同」

last updated: 2021-12-25

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時事新報に掲載された「内外法律の異同」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

條約改正の談は年久しきことにして曾て一度も好結果を奏したることなく我より申出すことは彼に於て滿足せず彼の要むる所は我に於て許す可らず雙方の意見常に相投ぜずして折角取掛りたる談判も空しく泣寢入と爲て終ること度回なりしを知らず既往の成跡此の如くなりしを以て見れば今後とても改正談判の成敗如何は之を前言すること易からず當局所の苦辛亦察するに堪へたり抑も日本の條約改正は全國の輿論に生じ官民共に希望する所にして其成効の困難なる斯の如くなるは何故なるやと尋るに我外交當局者の怠慢に非ず又外國人が私利を逞ふせんとして事の正不正を辨ぜざるが故にも非ず畢竟彼等が自家舊來の風俗習慣に拘泥して變化を恐るるの一事こそ困難の大原因なりと我輩の信する所なり凡そ人間の性質は思ひの外弱きものにして外部の事情に支配され易く生來己れの心身に慣れたる事物は其何たるを問はず都て快く思はれ之を棄てて他に移るは何となく不愉快に感ずるの常にして例へば洋食に慣れたる外國人は日本流の料理を嫌ひ米の飯と味噌汁を以て成長したる日本の老婆は餓ても牛肉、ソップを口にせざるが如し都て是れ習慣の然らしむる所にして其實は日本の料理必ずしも滋養に乏しきに非ず西洋の食物必ずしも美ならざるに非ず之を嫌ふと嫌はざるとは唯食ふ物の感情に在て存するのみ左れば今日西洋人が日本人と同樣に日本の法律に服從することを肯ぜざるも其原因を尋ぬれば深き意あるに非ず唯自分等が生來恃としたる自國の法律を離れて不案内なる日本の法律に生命財産の保護を托するは何となく不安心のやうに思ふまでのことなり從來彼等が我條約改正に反對する第一の理由とする處は單に日本の法律を目して不完全なりと云ふに在れども我輩日本人は其の不完全なる法律の下に居て聊かも不安心に思はざるのみならず時に或は歐米諸國の裁判事件に就き殆んど云ふに忍びざる賄賂の醜聞などあるを聞て彼國の法律風俗は果して日本の右に出るものなる哉否やと竊に疑を起すことなきに非ず例へば外國人は日本の法律の不完全なる證據として我國に陪審官制の無きことを喋喋し此制度の行はれざる裁判所には我生命財産を委ぬること能はず云云の議論は我輩の毎度耳にする所なるが抑も此陪審官制なるものの利害に就ては近來歐米諸國に議論少からず或は其弊害の甚だしきを論じて寧ろ之を全廢するに如かずと主張する論者さへあり决して或る種類の外國人が云ふ如く完全無欠一■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)の瑕もなき法制には非るを知る可し近着の米國雜誌”North American Review”に陪審官制の弊害を極論したる一遍の文章あり左に之を譯載して讀者の一覽に供す

陪審官制の弊 チャアレス サッチャー氏原文

陪審官制は始より奇遇に基けるものなり何となれば陪審官を撰ぶには其人に難問題を斷定するの明あるや否やをば問はずして單に抽籤に依て之を定むればなり加之少しく世間の事に注意して自家の意見ある人物は動もすれば陪審官の資格を有せざる者と見做さるるの例なるが故に其撰定は啻に奇遇のみならず又無識なる元素をも含蓄せるものと知る可し

陪審官制を實行するには銀行、商店、又は製造所農業塲等にて仕事を爲し居る素人を無理に引出し來りて直に裁判所に押入れ之に命じて法律上の證據を判决せしむることなるが其判斷の結果に由て或は身代を失ふ人も有り或は貴重なる生命を取らるる人もある可し誠に容易ならぬ事抦=■(てへん+「丙」)なれども扨素人が事實の判斷を下すに當り其心情の有樣は如何と云ふに是等の人にして若しも時の貴きを知れる者ならんには我職業を打棄てて究屈なる塲所に閉込められながら如何にして落付て法律上の證據抔の事を考へ居らる可き哉此人に向て公明正當なる判决を求むるは甚だ無理なる注文と申す可し或は云はん社會の公益を計る爲めには一人一個の便不便抔を彼是と云ふ可き限りにあらざれば才智を具へて世に信用ある人人は喜んで其勞を取る可き筈なりと、成程理屈上より云へば左もあらんなれども實際に於て斯る勇智有徳の人物は皆陪審官たるを嫌ふを如何せん總て物事は理屈上斯くある可き筈なると思ふことにても實際に决して斯くあらざるの塲合こそ多ければ之を識別すること最も肝要なりとす今吾吾は毫も想像の説を造らず唯實際今日に行はれつつ有る陪審官制を見て之を論評する者なり

陪審官となるに最も適當なるべき人物は假令ひ裁判所の撰擧に當るも何時も何とか口實を設けて之を辭するが故に止むを得ず不完全なる人を擧げて事を辨するの通例なれども今假に一歩を讓りて陪審官には十人並の才智を具へたる人物を得ると見做し扨其人人は果して必ず公平なる判决を爲す可き哉と尋ぬるに吾吾は斷じて其爲し得べからざるを知る者なり蓋し徃古人事の繁雜ならざりし時代には裁判所の審問も甚だ簡略にして極めて長きものにても一日にて濟みたる位にて且裁判の事件も利害の及ぶ所狹小なりしが故に通常の智識を具へたる者は裁判證據の要■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)を會得して之を記憶すること左までの難事にあらざりしかども今日に至ては决して然らず審問の長きものは數箇月に亘るの常なれば陪審官たる者は審問未だ半に至らずして早く既に當初の事實を忘却し前後の關係分明ならざるもの多し法廷の慣行に於て陪審官が證據の要■((「黒」の旧字体のれんがなし+「占」)+れんが)を書留むることなきを以て見れば彼等は皆多數の證人の陳述する種種雜多の事實を聞て數週間若しくは數月間之を己れの腦中に記憶せざる可らざる譯なれども斯の如きは固より人間の能す可きことに非ざるなり    (以下次號)