「支那に對する各國の談判は其成行如何」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「支那に對する各國の談判は其成行如何」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

上海英字新聞の報道に據れば過般支那長江の沿岸に起りたる暴動事件に關し英佛米等の被害諸國は北京政府へ談判する所ありしも要領を得ず遂に英國公使より償金を要求し暴民を刑する等數箇條の難問を提出し併せて暴民の巣窟なる湖南を開く可きことを要求したるに支那にては李鴻章をして此難問に答へしめたれども聯合諸國は其返答に滿足せず更に最後の要求を提出し期日を定めて其决答を促し若しも十分なる答を得ざるときは各國の聯合艦隊四十隻を以て上海及び呉淞を占領し税關を差押へ恰も之を抵當として飽までも要求を押通す筈なりと云ふ事の原因は世人も知る如く長江の沿岸なる蕪湖、宜昌、鎭江等の處處に暴民蜂起して外國の會堂を燒き其宣教師を殺傷したるが爲めにして是種の騷動は未開の國に珍らしからず我國維新前の事を回想しても其事情を推知す可きなれども聞く所に據れば支那南部の民間には哥老會又は白蓮會など名づくる秘密結社やうのものありて今回の事も或は其黨類の煽動に出でたる形迹なきに非ずと云へば若しも此黨類の者共が何か政治上に野心を抱き頑民の無智を利して攘夷論を唱へ外國と事端を開て政府の外交を困難に陷らしめ其隙に乘じて事を擧げんとするが如き陰謀にてもあらんには隨分容易ならざる事件と云ふ可し現に過般は英人メーソンなる者が暴徒の爲めに兵器買入れの周旋を爲したる嫌疑を以て拘留せられ其兵器も沒收されたるよし事實に現はれたるはメーソン一人なれども外國人にして右の結社に關係あるものは必ずしも右に止まらずして或は〓に之が參謀と爲り或は是迄とても兵器買入れを周旋したるものもあるやの談は徃徃聞く所にして殊に其徒の言に出でたりと云ふ新帝國施政の方針なるものを見るに要旨は何れも内治外交の改良を專一となしたるものの如し或は外人の造言なるやも知る可らずと雖も兎に角に支那の南部には今の帝政に服せずして陰に徒黨を糾合し或は外人と結托して爲すことあらんとするものあるの事實は决して疑ふ可らざるが如し果して然らば今回の暴擧は單に愚民輩の發意に出でたる攘夷の精神とのみ見る能はずして支那帝國の爲めには容易に看過す可らざること勿論なれども其は兎も角もとして現に暴擧の爲めに會堂を燒かれ人民を殺されて非常の損害を受けたるものは外國人にして固より其儘に濟す可きに非ざれば支那政府に對して損害の要償を申し出で罪人の刑罰を促し又湖南の開港を要求する等は今の國交際の政略に於て止むを得ざるの處置なりと云はざるを得ず然るに外交談判の遲遲として决答を爲さず因循模稜の間に日一日を經過するは支那政府從來の筆法にして或は固有の國風と云ふも可なる程のことなれば被害の各國も其緩漫に堪ふる能はず之に迫るに威力を以てして手詰めの談判に及び若しも其求むる所を得ざるときは聯合海軍を以て上海呉淞を占領す可しとの决心を示すに至りたるものならん此决心たる各國の爲めに謀れば最も策の妙を得たるものと云はざるを得ず蓋し各國の目的は唯その求むる所を得るに在りて他意なきものなれども支那政府の事情を見るに到底平和の談判のみにては事を决す可らず遂に威力を用るの要用と爲りて或は極端の塲合には前年の英佛聯合の時の如く北京の城下に迫りて目的を達す可きなれども今日の支那は前年の支那に非ずして北方の海岸殊に北京の入口なる太沽の砲臺の如きは極めて堅牢の備ありと云へば假令ひ戰ふて之に勝つも其勞費は决して容易のものに非ざるが故に今度の聯合軍が北に向はずして唯上海呉淞を占領せんとするは勞費少なくして實効を期するに確なるものと云ふ可し元來上海は商賣咽喉の地にして支那の外國貿易は專ら茲に行はるることなれば此地を占領して其税關をも差押へるときは恰も貿易の權を掌握するものにして實際各國の利は北京城を攻落して高の知れたる償金を收むるよりも大なるものある其反對に支那政府は之が爲めに非常の損害を被らざるを得ず而して此の地を回復せんとするには唯兵力を以てするの外なくして恰も攻守勢を異にするの姿となることなれども今の支那の兵力にては到底回復の望ある可らず即ち進退維れ谷りて遂には各國の要求を容れざるを得ざるに至る可し左れば上海の占領は各國の爲めには甚だ妙なれども顧みて支那政府の爲めに考ふれば今日に處するの策は最も困難なるが如し聞く所に據れば彼の政府にて執權の地位に在るものは何れも滿州出身の人に限り門閥門地を貴ぶの風甚だ盛にして彼の李鴻章の如きも中央政府に對しては其勢力誠に微微たるものなりと云ふ盖し支那近時の人物は左宗棠、會國筌、曽紀澤、李鴻章等の數人なれども今は大抵死亡して殘る所は唯一の李鴻章のみ又昨年醇親王の死後は恭親王が專ら政機に參する由なれども是れとても皇族の身として全く表面の局に當るに過ぎざる可し今と爲りて頼む所は李鴻章一人なれども其力は以て政府を左右するに足らずとすれば政府の當局は殆んど人なしと云ふも可なり而して其内部の事情は如何と云ふに攘夷論の行はるるは獨り南部の地方のみならず政府の上流なる門閥の間にこそ其精神の最も盛なる處なれば當局者の事を處するは極めて困難にして退て各國の要求を許さんか、内の反對を如何ともするなく進んで之と爭はんか、兵力の足ざるを如何せん殆んど進退に窮せざるを得ずして其窮極に至り試に我輩の想像を畫けば或は次の如くなるやも知る可らず即ち政府の廟議一定せずして彼れ是れ因循躊躇する其間に各國の聯合軍は早く既に上海呉淞を占領して之に據り其税關を差押へるに至れば政府に於ても一時或は開戰の説もある可しと雖も到底事實に行はれずして其中には議論一變し或は外國の力を借りて内の反對不平を鎭壓するの手段に出づること前年の長髮賊の處置と同樣の事を再演するにも至る可し而して彼等は固より自から益することなれば喜んで其力を假し日ならずして國内統一の效を奏することならん斯くて事の全く治まるに至れば外國との關係も無事に歸し又その版圖をも回復し支那帝國は依然たる獨立國たるを失はざる可しと雖も既に自から國内の始末に窮し外國の手を借りて内亂を鎭制するときは其國の國權は非常に■(にすい+「咸」)縮するを免れずして爾後支那政府が西洋諸國に對するの關係は大に從來と異にして益益劣等の地位に立たざるを得ざるに至ることならん實際の成行は固より知る可らずと雖も今日までの報道に由りて我輩の想像を逞ふすれば或は斯くの如き塲合にも立至らんかと漫に其成行を推測して聊か説を付するのみ