「東京市公債」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京市公債」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

の募集は一昨二十六日を以て〆切りと爲り其成跡未だ詳ならざれども大概を聞くに二百萬圓の募〓〓對して之に應する者甚だ盛ならず或は應募不足の高は三井等その他の銀行にて引受けたるものもありて兎に角に首尾能く局を結びたるよし近年我經濟社會には公債證書の勢力非常にして世間一般の金利如何に拘はらず之を重んずること甚だしく僅に五分利の整理公債にもて募集の時には先を爭ふて之に應じ其申込みは常の募集高に超過し隨て其價もせり上けて毎回百圓以外に上るの例なるに今度の市公債に限りて不景氣なるは何か其原因なきを得ず市債は東京府民の負擔する所にして元利の支拂は市會の引受けなれば危險の心配なきは中央政府の公債に異ならずして利子の割合は整理公債に比して一分の差あり此■((「黒」の舊字體のれんがなし+「占」)+れんが)より見れば應募雲集その價も百圓より餘ほど以上にせり上げて至當なる譯けなれども今日の實際に然るを得ざるは何ぞや畢竟するに過般來諸新紙にも見へたる如く市公債は政府の筋の見る所にて他の公債に同しからず商人等が官邊に對する保證にも通用せず又は日本銀行の擔保も覺束なしなどの風聞にて市債その物に掛念はなけれども金融上の利用に不便なりと云ふ所より自然に人氣の引立たざることを判斷せざるを得ず此判斷にして大に過ることなくんば我輩は全般の公債證書に就き近年その價格の正しからざることをも斷定する者なり元來人民が公債證書を所有するは現金を人に貸すに異ならず五分利の公債を百圓にて買ふは即ち百圓金を貸して年五分の利子を取ると同〓なる〓〓に〓上の金利果して五分に定まり其以上に〓〓〓〓〓〓〓なし〓〓〓〓〓〓〓の公債を買ふに百圓を投するも道理なれども今日商賣社會の實際に金利は甚だ高く年五分は扨置き大凡一割以上を標凖と爲して怪しむ者もなく利子の最下安全の最上と稱す可き彼の大盤石なる三菱又は三井の預金にても定期なれば年に五分五厘を拂ふと云ふ斯る金利の有樣にてありながら其割合に外れて獨り公債の價の高きは其所有者が直に公債の利子を利するに非ずして其効用を調法するが故なり我輩が數年前より毎毎論説したるが如く政府が整理公債を發行せしより以來特に之を庇保せんとして樣樣の方略を運らし苟も官の勢力の達す可き筋には其金融の保證に成る可く公債證書を用ることに定め經濟社會の風潮をして自然に公債の一方に向ふの勢を成し遂に其實價にあるまじき相塲を現はしたるのみならず數年の間その相塲の持續するよりしてますます重きを致して金利の高低をも公債の價格より割出すことと爲り公債を所有して五分利以上を得べからざれば金利も之に凖じて低き筈なりとて世間自然の金利を本にして定まる可き公債の價が却て主動の地位に居て恰も金利の標凖たるこそ不思議なれども本來人爲の一策にして永久す可き理財法にあらず早晩一度は本色を現はすことある可しと唯論ずるのみにして今日に至るまで遂に所論を實にするの機會を得ざりしに今回市公債の不景氣なるこそ面白けれ安全なる六分利付にして整理公債より高きこと一分なるにも拘はらず其利用の便ならざることもあらんとて早くも疑念を起して其募に應ずること整理公債の如くならざるは是れぞ金融社會の眞面目にして數年以來五分利の公債に百圓の價格を維持せしめたるは全く理財の自然に戻りたるの實を示すに足る可し此邊の事情より察すれば今日にても政府が理財の方針を一轉して都ての公債證書を庇護することを止め世間一般の成行に任して賣買せしめなば五分の公債は百圓以下に下ること又疑を容れず例へば今度の六分利付市公債の價を假に百一圓五十錢とすれば五分利付の整理公債は八十四圓五十八錢の上に上る可らざるの割合なればなり然るに市塲の實際に五分利のものも六分利のものも大抵同價格に止まりて雙方の間に凡十六圓の差ある可き其差を論ずる者なきは唯政府の當局者が兩樣の公債證書を視ること同じからずして特に整理公債を愛顧するが故なり經濟の自然を外にして人の愛顧に依頼し現に十五六圓も割高のものを所有するとは假令ひ金融の爲め餘儀なき次第とは申しながら隨分無算の談と云ふ可し左れば今回の市債募集は其結果の不首尾なるに非ず正しく金融社會の眞面目を寫出したるものにして此一擧に由りて凡そ公債證書なるものの價格を現はしたることなれば到底これを獨立せしめて他の公債と區別し政府の筋の保證にも擔保にも一切不通用として其市價の昇降を自然に任せ以て他の公債證書に就て其價の不當なるを明にするは經濟社會の爲めに無益ならざる可し但し市債募集の事に關する人人に於ては自家一〓の便利の爲めを謀り市公債に限りて局外に置かるるを好まず政府の愛顧均霑の苦情を訴へて政府も亦遂に之を許すことなきを期す可らず若し然ることもあらんには我輩は公債證書の眞價を計るに屈強なる試驗器を失ふたる心地して之を惜しむ者なり