「 地方官の更迭 」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「 地方官の更迭 」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

 地方官の更迭 

目下政治の難局に當りて政府の不人望を回復せんとするには當局者が從來の心事を改め世間に向て愛嬌を專らにするに在りとは我輩の毎度勸告したる處なるが扨中央政府の當局者が自尊自大の風を止めにして世間の人氣を取ることに决心したる處にて實際の手段を如何す可きやと云ふに我輩は地方官の人撰を以て第一と爲すものなり抑も地方官の職務は中央政府と人民との間に居て恰も其媒介者とも云ふ可きものなれば一方に於ては政府の命令を奉じて之を人民に達すると同時に一方に於ては人民の意志を代言して之を政府に通ずるの心得なかる可らず即ち良二千石たる者の役目なるに然るに從來の有樣を以てすれば中央政府の權威を背にして職權を以て人民に臨む其趣は舊幕時代の郡代又は代官に異ならず或は自から牧民の官など稱する其牧民とは牛羊を牧すると一般に心得るものか殆んど近く可らざるものなきに非ず不心得至極と云ふ可し近年各地の人民が政府に對して一種の感情を抱き譯もなく政黨などに加入して兎角騷々しき擧動を演ずるもの多き中にも東北地方殊に福嶋邊には其風最も盛なりと云ふ其原因を尋ぬれば地方官の處置宜きを得ずして徒に人民の感情を損し無辜の良民を驅りて怨望の淵に陷らしめたるの罪なるが如し右は數年前の沙汰にして今の當局者を咎るに非ざるは勿論なれども今日は既に立憲政治の世と爲りて中央政府の治風に一新を催ほさんとする大切の時節なれば益々地方官の心得を改めて人民の心を收むるの必要を見る可し今の地方官の更迭は或は頻繁なるに似たれども其人に就て見るときは任所こそ異なれ十數年來同職を奉する者あり或は中央政府の老官中より出でゝ之に轉任する者もありて要するに其多數は功労の=叢より成立するものと云はざるを得ず老輩の老練、時として妙用なきに非ざれども何分にも維新前後の思想は其人の年と共に老して時勢に適せず精神一たび至りて金石を貫き國家の爲めには白髪の首級をも進上致さんと云ふが如き其志壯んにして誠の在る所、見る可しと雖も文明世界の活動變通に乏しきは我輩の遺憾とする所にして例へば過般の撰擧に就ても或は中央政府に云々の方針も定まりしことならんと雖も兎に角に實際の責に當るものは地方官に外ならざれば政府と人民との中に立て其間を料理するの手加減もある可きに政府の意向云々の邊に在ることならんと察すれば精神忽ち其一方に注いで當る所は金石をも貫かんとし苟も治下の人民に反對の意見を抱くものあれば之を敵視して端なく怨を買ふたる者あり又或は其平生の自尊自大、兎角民情を察すること緻密ならざるが爲めに折角の盡力も全く意外の結果を來して悔ひたる者もありしと云ふ凡そ是種の擧動は假令ひ忠義の心より出でたるものなりとは云へ其結果は事に益なくして益々政府の不人望を招きたるのみ策の得たるものと云ふ可らず是れも一時の失策とあれば責めて將來を戒しむ可しと雖も彼の老輩に至りては自から得意なるのみか却て政府の緩慢を堪へ難く思ふ程の次第にして之を戒しむるに由なし畢竟するに老輩の誠意誠心病とも名く可き痼疾にして到底治療の望なきものなれば中央の當局者にして愈々從來の手段を改め一般の人氣を得んとならば先づ第一に地方官を人撰して大に淘汰を行ふこと今日の急なる可し若しも然らざるに於ては政府の寛仁以て民望を收攬せんとするも之を人民に貫徹せしむるの望はある可らず情郎の好意は充分にして只管情婦の愛を求むるに切なるも中間の媒酌者が無粹にして其情意を先方に通ずる能はず却て威迫的の言を以て他に迫ることもあらば折角纏る可き縁談も之が爲めに破れざるを得ず罪、媒酌者に在りと云ふ可し我輩は曾て廢府縣知事の説を唱へて政府と人民と直接するの利を述べたることあり即ち無粹なる媒酌者を止めにして情郎情婦に自由結婚を爲さしめんとの趣向なりしなれども今日の事體に於て容易に行はれ難しとならば自由結婚は姑く後日の談として取敢へず媒酌者を人撰し雙方の情意を誤ることなきの工風肝要なる可し或は老功の地方官は何れも年來の情實ありて更迭に容易ならざる事情もある可しと雖も脊に腹は換られず一人の地位の爲めに治下幾十萬人の心を失ふとあれば區々たる情實は忍んでも之を斷行せざる可らざるなり