「體育を忽にす可らず」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「體育を忽にす可らず」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

體育を忽にす可らず

日本人を西洋人に較べて一般に躯幹矮小にして體力弱きは爭ふ可らざる事實なるが元來此相違は彼我人種の異なる其上に百千年來、東西風土を異にしたるの結果にして今更俄に日本人の身長を引延ばして西洋人を凌駕するの工風もなければ徒に此一事を氣に掛て落膽するは無用のことゝ云はざる可らず或は野蠻人種の中にも彼のパタゴニア人の如き非常に偉大なるものあるを以て見れば身體の大小は必ずしも人種の優劣に關係なきことなりと竊に自から慰むるも宜しからん我輩は決して日本人の躯幹が天然に矮小なるを見て漫に慨歎する者には非ざれども近來我國にては體育の習慣大に衰退して生來矮小なる此身體さへ充分に發達生長するの機會を得ず今後尚ほ此儘の有樣にて押行かんには多年を出でずして上流社會の紳士と稱せらるゝ人々は大概皆半死半生の病人と爲りて才力も智力も其用を爲さゞるに至る可し誠に堪へ難き次第にこそあれ今更爰に云ふまでもなきことながら日本は古より尚武の國にして輓近徳川政府の亡びたる其時に至るまで社會の上流に立て人に尊敬せられたる者は武士にして、武士と云へば假令ひ自から武藝の心得なき者と雖も必ず武を尚ぶの念慮を具へざるはなく上流社會一般に尚武の風に化せられて兒童の教育にも自から武藝の稽古を第一として然る後讀書學問に及ぶの習慣をなしたるが故に或は世間の人氣は寧ろ武骨殺伐の一方に偏したるの嫌なきに非ざれども然れども當時日本人民の體育甚だ充分なりしの事實は爭ふ可らず然るに維新以後總て古來の習慣を改めて専ら西洋の制度風俗に傚うことゝなりたる中に教育の事も西洋風に從はざる可らずとて古流の四書五經を廢して理學文學語學等の教授を始めたるは宜しけれども是れと同時に舊來の弓馬劔槍柔術等の體育法をも野蠻なりとて排斥し教育と云へば單に精神を發達せしむることゝのみ心得、唯無暗に讀書數學等を教授するに餘念なくして身體の發育如何には毫も頓着せざるの風を生じたるこそ是非なけれ今や全國官私の諸學校に就學する生徒の數は何百萬の大數にして其身體の健康なると否とは今後我國の利害損得に大關係ある事柄なるに憐む可し此何百萬の學生中眞實申分なき強壮無病の者は實に寥々たる少數にして十中八九は肉瘠せ骨細く老人の如く病人の如く顔色蒼然として眞に青書生の名に背かざる人物なりとは誠に遺憾千萬のことゝ云ふ可し人若し我輩の言を疑はゞ試に今日の壮年學生に就て其父母に劣らず身體の偉大屈強なる者ありや否やを調査す可し恐らくは之を發見するに苦むことならん是れ即ち今日の日本人は體育の不足なるが爲めに封建時代の人の如く充分に其身體を發達せしむること能はずして男子の體格は父に劣り女子は母に劣るの確證なりと知る可し

右の如く我邦人の身體は教育の進歩するに隨て唯益々衰頽するの勢なれば今日にして此弊風を矯正するに非ざれば向來の成行如何なる可きや實に掛念に堪へず身體衰弱すれば隨て精神の働も亦衰ふるは生理學上の原則にして今の如く體育を怠りて過度の智育を施すの結果は早晩必ず心身共に無氣力なる人民を生ずるの外に道ある可らず前にも云へる如く日本人は生來矮小なる人種なれども身體矮少なりとて之を健全に保ち得べからざるの理なし我輩は唯之を健全に保て其天然の發達を妨げざらんことを希ふ者にして其手段としては唯運動の一あるのみ其方法は舊來の撃劔柔術等の武藝を稽古するも宜しく又西洋流の競走、競飛、船漕、ベースボール、フツトボール等の諸競技も面白からん我輩の所見を以てすれば日本人の身體矮小なれば西洋人と力量の競爭しては及ぶこと難からんと雖も競走競飛等の如き體力重量を要せざる諸技に於ては充分なる練習を爲さば或は歐米人に劣らざる好成績を現はすことを得るの望なきに非ず運動法の事に就ては他日再び鄙見を陳することある可し