「教育衰退の時機」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育衰退の時機」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育衰退の時機

維新以來我國公私の事業中にて進歩の著しきものを擧ぐれば教育の如きも其中に數へざるを得ず教育の進歩は國の爲めに祝す可しと雖も其進歩を致したる所以の事情と後來の成行如何とを考ふるときは我輩は竊に杞憂の情に堪へざるものなり抑も政府が明治の初年に學制を頒布して教育奨勵の端を開きしより以來その方針には時々の變化ありしにも拘はらず常に干渉の主義を執りて人を強ひたる其結果は果して事實の上に現はれ寒村僻落の隅々に至るまでも學問の普及を致して所謂奎運隆盛の兆を現はしたるは正に今日の有樣にして外觀の體裁甚だ美なりと雖も扨實際の成行如何を見るときは寧ろ意外の結果を得たるものゝ如し近來各地方の情況を聞くに最初は政府より勸誘の次第もあり何れも教育の熱に乗じて學校の建築、教師の招聘等に公私の金を吝まずして地方學事の隆盛を謀りたる其上に小學中學の教育のみにては尚ほ不足なりとして遙々その子弟を東京の官立學校に入學せしめたるものも少なからざる程の次第なりしが今日と爲りて見れば學校の課程だけは立派に卒業して目的を達したるが如くなれどもその卒業後の始末は如何と云ふに唯高尚の學術智識を修め得たるのみにして其學術智識を應用して身を立つるの道とてはなく恰も學問を懐にして目前の衣食に窮するの有樣なるより當人は申す迄もなく父兄のものに至るまでも殆んど當惑して目下の方向に苦しみ其苦痛は發して不平の聲に變ずるもの多しと云ふ元來政府の筋より一般の教育に干渉して之を奨勵するは諸外國にも行はるゝ事例にして敢て怪しむに足らず我國の如き百事草創の時代に於ては殊に其必要を見るが故に政府が此點に力を用ひたるは寧ろ稱賛す可きのみならず或は必要の塲合には西洋文明國の例に傚ひ自由教育の制を定めて全國の子弟を無報酬にて教ゆるなども可ならんなれども是れは唯初等教育の塲合に〓て云ふ可きのみ其以上は自から方法を異にせざるを得ず蓋し初等教育の目的は讀書筆算等苟も人間たるものゝ是非とも備へざる可らざる智識を授くるものなるが故に父兄の力足らざるときは之が爲めに公共の金を費すも國民全體の義務に免からざる所なれども夫れより以上の教育(最上等の教育は姑く別として)に至りては即ち銘々の衣食を得るが爲めの方便にこそあれば政府の筋より干渉して特に保護を與ふるの必要ある可らず如何となれば人民が衣食を得るの方便は單に教育のみならず年季奉公なり又は職工の見習なり其目的は何れも身に覺えたる藝能智見を以て生計を得んとする者なるに特に其類の一種なる教育に限りて保護するの理由あらざればなり然りと雖も其保護の可否論は姑く別問題として假りに一歩を譲り今の教育制度の目的は公共の金を費して人民の私を利し其立身を助けて衣食を得せしむるが爲めのものなりとするも果して能く其目的を達したるや否や是亦甚だ疑ふ可し現行の教育組織を見るに次第に學科を高尚にして次第に佳境に入るの勢なれども其佳境に入りたる學問が人事の實際に於て如何なる費用を爲すやの一段に至りては殆んど之を問ふものなきが如し殊に近來は國家教育などとて私立の學校を擯斥して官公立學校の繁昌を謀り校費に心配なくして徒に其外面を装ふが如き學校の組織に於て既に經濟の趣意に戻りて人事に迂闊なるものなりと云はざるを得ず居は志を移すの古言果して眞ならば此種の學校に教育を受けて卒業したる青年輩が高尚なる智識を懐きながら人事を知らずして立身の方向に迷ふも決して偶然にあらず其一身の不幸は姑く擱き元來人を教ゆるは兵を養ふと同樣にして養ふて用ふる所なければ激して無事に安んするを得ず精神の教育進歩して肉體の衣食これに伴ふを得ざるは正に今日の世態にして社會上に政治上に其影響する所甚だ妙ならず畢竟その原因を求れば政府が辛苦して高尚無形の學理を奨勵したるが爲めにして教育の目的全く齟齬したるものと云ふ可し若しも今にして早く是等の宿弊を矯むるの處置なきに於ては假令ひ變亂に至らざるも全國の人心は未だ學問の利益を見ずして早く既に其害毒を知り次第に之を厭ふて遂には教育衰退の時機到來するやも知る可らず聊か當局者の注意を祈る所なり