「東京市の水道と監獄費」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「東京市の水道と監獄費」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

東京市の水道と監獄費

東京市に水〓の不完全なるは夙に衛生家の〓意する所となり數年の間、種々樣々の議論の末いよいよ改良のことに〓して之が爲めに市公債一千萬圓を募り其内六百五十萬圓を以て水〓工事の費用に充てんとて〓に第一回の募集も首尾能く行われて將さに工事に着手せんとする其折柄、市中の有志家と稱する或る部分の人々が頓に反對を首唱して水〓の中止説を説き〓日に至りては漸く勢力を〓して市會に於ても或は中止説の多數を占む可き事〓なきに非ずと云う抑も市中の水〓は二百年前の工事にして水の供給には差支なきが如くなれども木製箱〓の構〓粗にして管中に汚〓物の浸入を防ぐに足らざるのみか年月の間には〓の木も釘も腐敗して上水は漏れ出し惡水は染〓み名は上水にして實は下水に異ならざるものあり固より其筋にては常に脩繕に怠らざるようなれども數百町の延長、此處を繕えば彼處に破れ、隨て新にして又隨て腐朽し到底手の行届く可き限りに非ず故に市内百何十萬の人民は産れて惡水の〓生湯に浴し長じて惡水を飲み惡水を使用し其衛生上に害せらるゝ害毒は實に恐ろしき次第にして一朝コレラ等の流行に際し府下に限りて死亡の多きを見ても水毒の證據明白なるを知る可し或は實際の害毒を別にしても水の清濁は人生の〓に感ずるを少々ならず足を洗うにも清きを擇ぶ常なるに現在の水〓にては上流の一雨忽ち滿市の水を濁らしめ直に〓む可からざるは無論、風呂の湯にも一度び漉さざれば用を爲す可からず雨〓まりて水漸く澄み先づ難有しと云うまもなく又雨に逢い梅雨の時〓などは市中堀井を除く外に一滴の清水を見るに由なし不愉快不自由も亦甚だしと云う可し左れば東京に水〓改良の要は之を衛生上の學理に照らし又人生自然の〓に訴えても至急の急にして一日を猶豫す可からざる今日なるに其中止説を唱えて之に應ずる者あるは何ぞや他に一言の理由とてはなく唯この新工事の爲めに六百五十萬圓の大資金を費して之を償却せんには年々の水〓即ち市債償却の負擔に堪えずと言う外なし此言〓して妄談にあらず東京市の市費は年々歳々〓加して際限なきが如くなれば市區改正と云い公園設置と云い凡そ是等の工事に〓急を見計らい市民の肩を休む可きは勿論なれども俗に云う脊に腹は易えられぬ諺に洩れず人生の必要空氣光線に等しき水の惡しきを知りながら錢の爲めに其改良を中止せんとは市民は錢の貴きを知りて生命の大切なるを忘れたる者なりと〓せらるゝも辨解に辭なかる可し我輩の感服せざる所なり

然りと雖も錢は錢なり錢の乏しきに至りては殆んど一命にも易え難き塲合なきにあらざれば我輩は必ずしも酷に中止論者の咎めずして爰に一案を呈せんに論者は眞正面に水〓の中止を論ずるよりも彼の監獄費國庫支辨の議案を賛成して議塲に〓〓せしむる工風こそ素志を〓する〓徑なれと我輩の竊に信ずる所なり監獄は日本國全體の罪人の爲めに設けたるものなれば其費も亦國民全體の負擔即ち國庫の支辨にして當然のことなるに今日の制度にて特に之を某不某縣に設置して一切の費用を其府縣民に負擔せしむるこそ不公〓の次第なれ現に東京府の監獄費の如きも年々〓加して明治二十四年度は四十七萬二千餘圓、二十五年度は三十二萬六千餘圓にして今後尚お〓すことあるも〓ずることはなかる可き樣子なれば今彼の國庫支辨の議案を〓〓せしむるとき府民は三十四萬圓の負擔を免がれて局部より見れば恰も意外の金を僥倖したるものに異ならず依て此僥倖を出來なきものと觀念して水〓費の償却に廻わしたらば市民は特に一錢金を出さずして上水の澤に浴するを得べし六百五十萬圓の市債に六分利を拂う其高三十九萬なるも恐るゝに足らず尚お此上に工事〓に成れば水〓の〓入も少なからずして六百五十萬圓の元利は數年の中に皆濟し次第に積金の〓殖するに從て市民は終に無代價の水を用る日もある可し偶ま金に窮して偶ま金を得たり實に監獄費國庫支辨の議案こそ東京市の爲めに千載一遇の仕合せなれば此處は水〓中止論者も心事を一轉して消極的の姑息論を改め〓んで取る方針に力を盡して餘處ながら彼の議案の〓〓に聲援せざる可からず殊に國會議塲には市民の利害を代表する議員もあることなれば八方に同意の人を求めて多數を制し此僥倖を空うせずして撰擧者を滿足せしめんこと我輩の敢て勸告する所なり