「來遊者の便利を謀る可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「來遊者の便利を謀る可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

來遊者の便利を謀る可し

西洋人が我國に來遊する目的は眞の漫遊にして山川風物の美を愛し美術工藝の妙を賞する

に過ぎざれども之が爲め直接間接に我國に利する所の利益甚だ大なるものありとすれば

益々その來遊を促して國益を謀るの工風大切なりとして扨この外客を迎ふるには官民共に

力を盡し有らん限りの便利を與ふること肝要にして彼の旅行免状の如きも其手續を簡易に

して不自由を感ぜしめざるは無論、或は遊客中にて神社佛閣又は官府の管理に係る寶庫の

類を見んとする者あらば其筋より照會して從覽せしむる等官邊の常例に拘泥せずして出來

得る丈けの便利を與ふ可し又民間の私に於ては之に對するに丁寧親切を旨として苟も欺く

が如きことある可らず例へば外人が土産の爲めとて日本の工藝品抔を買入るゝに當り從來

の弊習として殊更に價を高くして錢を貪るの風もなきに非ず是等は小事に似たれども不案

内なる來客に對して親切を欠くのみならず其感情を損して詰り我國の不利益に歸するもの

なれば今後は能く能く注意して其價を一にし他の不案内を利して法外の直段を申出すが如

きことをば謹しむ可し又沿道各地の旅店の如き外人の宿泊を目的として遂に西洋風の大厦

高樓を建築し料理なども總て彼國の風にして務めて其意に投ぜんとする向もあるよしなれ

ども元來彼來遊の目的は日本の風景と美術とにして飮食家屋の贅澤を望むものに非ざれば

無益の錢を費して大厦高樓を造くるも决して其心を喜ばしむるに足る可らず左れば旅店の

如きも唯清潔と便利とを旨とし飮食も唯その口に適する丈けのものとして殊更に不手際な

る正式の西洋料理などを供して却て不愉快を感ぜしむるが如きは無用なる可し凡そ是種の

事は銘々の注意に存することなれども實際の便利を云へば其事に關係する同業の者が一の

組合を設け約束を嚴重にし全國の氣脈を通じて事を取扱ふときは來遊者の便利一方ならざ

る可し聞く所に據れば橫濱に開誘舎なるものあり一昨年の設立にして其目的は大凡上文の

趣意に外ならず橫濱神戸の同業者が聯合して設けたるものなりと云ふ其趣意書とも云ふ可

可き組合認可願書の文意は左の如し

私共は從來外國より來遊の貴顯紳士等内地旅行の節通辨をなし又は我國の名所古跡に案内

し或は美術工藝品等を購求する周旋をなし來候處近來外客の内地を旅行するもの日に增加

し今日は既に外國人居留地旅館には一日も此業務を欠くこと能はざるの情况に立至り候本

來内地旅行の外國人に便利を與へ又内地物産を販賣することを導く一助とも相成り之を大

にしては國益を謀る一端とも相成る可き業務の者に候得ば我國辱となる可きことをも顧み

ず一身の私利を謀る者のみに一任致し候はゞ大なる弊害を釀し外人に惡評を受け自然内地

の旅行者を減ずるが如き結果を見るやも計られざるに付今般同業者と商議し別紙の規則を

設け從來の弊風を改良し專ら正實を主として内外人に信用を失はざる樣致度云々

御井の趣旨を以て其筋の認可を得、爾來正實に營業して近來は益々繁昌なりと云ふ此種の

仕組は我輩の最も賛成する所なれども尚ほ此上の希望を云へば更に其仕組を擴張して全國

に氣脈を通じ殊に鐵道會社汽船會社などとは特約を結び置きて益々來遊者の便利を謀るこ

と肝要なる可し序ながら尚ほ一の趣向を云へば内海に遊行船を設けて外人の需に應ずるが

如きは最も妙なる可し我内海の風景は世界に類を見ざる所にして外人の之を過ぐる者は其

美を稱して置かざれども恨むらくは此間を航する船舶は普通の郵便船又は客船にして其目

的は遊覽の爲めに非ざるが故に十分に興を盡さしむること能はず今この間に遊行船を設け

て遊客の便に供し望に由りては之を貸渡し隨意に馬關より神戸に至る内海の嶋々に立寄り

て遊覽を縦にせしむることゝなさば客の滿足は此上なきのみならず其収益も必ず少なから

ざるべし五六の遊行船を備ふるには格別の費用も要せざれば汽船會社などにて發起するに

最も適當の趣向なる可しと思はるゝなり