「神社佛閣の維持法」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「神社佛閣の維持法」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

神社佛閣の維持法

日本の山川風物は世界萬國に冠絶して外人をして來遊の心を起さしむる一の動力たるは疑

ひもなき所なれども抑も山川風物は天然の裝置にして國土に固有するものなれば敢て誇る

に足らず眞實日本人の美妙なる意匠を發表し彼をして感服せしむ可きものは工藝美術の技

倆にして就中、古代の建築に係る神社佛閣の構造の如きは其模範として見る可きものなる

可し左れば外人の來遊を促して今後ますます其足跡の繁からんことを欲するには我工藝美

術の模範とも云ふ可き神社佛閣を保存して來客の心を滿足せしむるの計畫こそ大切なる可

きに然るに王政維新の當初に於て一時狂熱を逞ふしたる漢學者國學者の排佛論は古代より

有名なる堂宇伽藍に災して其美觀を損じたるのみならず其餘勢は國民の信仰心を動かして

國學者流の最も尊信する國内有數の神社さへも維持の困難を感ずるに至り遂に全國の神社

佛閣を擧て目下の有樣に陥らしめたるこそ是非もなき次第なれ若しも今日の儘にて經過す

るときは日光の神廟を始めとして國中有名の神社は無論、京都奈良の名社古刹の如き次第

に維持に困難して數年の後には頽廃を極め遂に日本の偉観を失ふに至るや疑ふ可らず國人

の最も注意す可き所なり故に神社佛閣の維持は目下の急として扨その方法を案ずるに信仰

者の喜捨に依て之を維持するは今の社會に望む可きに非ざれば差當りの手段は其所在地な

る府縣市郡の公費を以てするの方法にして例へば京都の神社佛閣は京都市民の負擔をして

之を維持することなれども限りある公費を以て限りなき維持に供するは到底永久に堪ふ可

きに非ず殊に其所在の位置に就て云ふときは京都の神社佛閣は京都の所有物なるが如くな

れども實際は日本の偉觀として外國に向て國光を発揚するものなるが故に之を日本の神社

佛閣と云ふも不可なく即ち國有の性質を備ふるものなり果して然らば之を維持するの方法

は國の政府にて引受け其費用は國庫より支出して差支なかる可し其方法は今の道路河川の

如くにして一地方の小社閣にして地方人民の寄進もしくは公費を以て維持に差支なきもの

は之を其地方の便宜に一任するも國中有名の名社巨刹にして維持に困難なるものは之を國

庫の負擔として永久の保存法を謀るこそ至當の處置なる可し日本の偉觀を永久に維持し外

に對して國光を發揚するが爲めとあれば一般の國民に於ても異議なかる可しと我輩の敢て

信ずる所なり國庫に負擔するを第一として更に第二の方法を云へば神社佛閣の維持法に限

りて富籤を許すこと是れなり徳川幕府の時代には神社の保存費を募るの方便として特に富

籤を興行するの習慣あり經濟の運用甚だ妙なるものありしに明治の政府と爲りては其種類

の如何を問はず一切富の興行を禁じたるより從來その保存費を富籤に托したる神社は益々

維持の困難を感じたるが如し抑も富の制禁は如何の趣旨なるや知る可らずと雖も我輩を以

て想像すれば勞力と報酬と相伴ふは經濟の法則なるに富籤なるものは此法則に反して勞せ

ざるものに對し報酬を與ふるの姿なれば人民を怠惰の風に導くの恐ありと云ふに外ならざ

る可し普通の塲合に於ては或は然らんと雖も本來神社佛閣の建立維持は人々の隨意信仰に

成るものにして勞力報酬など經濟上の法則を云々す可きものに非ず左れば其維持法に限り

て富籤を行ふも之が爲めに人を怠惰ならしむるの弊害なきは勿論、一方に於ては人々喜ん

で錢を投ずる其一方に於ては綽々餘裕あるの維持費を得るの便利ありとすれば此上の好方

便はある可らず我輩は其維持法の一として是非とも富籤公許の事あらんことを希望するも

のなり前來述べたる如く今後外人の來遊は益々これを促して國益を謀るの必要ある上は我

工藝美術の模範として外人に對して國光を發揚す可き神社佛閣の維持保存は益々目下の急

にして寸時も忽にす可らざるを知る可きなり