「内務大臣.」

last updated: 2019-09-29

このページについて

時事新報に掲載された「内務大臣.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

内務大臣.

今や内閣の雲行は區々にして事實と虚報と入亂れ何れを夫れと明言し難けれども兎に角に事態頗る困難なりと云ふ而して其難局の燒點は實に内務省に在るが如し盖し政府の對議會策には硬論と軟論とありて曩に品川子が内務に大臣たりし頃は省の方針も亦硬論の全盛を極めたるや疑ふ可らず爾後品川子辭職の後副嶋伯これに代て出でたりしが省の方針は依然として大臣の辭職により變更することなきが故に新大臣と舊方針と一致する能はずして爰に第二の更迭を促し副嶋去て松方總理臨時に兼任することゝなり此程に至り漸く河野農商務大臣の轉任と决して之と共に内務の方針を一變するの兆候を現はしたれば先づ以て一段落を告ることならん歟と云ふに未だ然る可しとも思はれず元來内務の方針たるや其根據を彼の硬論に托するものなれば内閣の硬軟互に相折合はざる限りは河野大臣も内務に坐して充分の基礎を定む可らず然るに閣上の氣象は慥に認め難けれども硬論敢て軟化したるに非ず軟論亦敢て硬化したるにも非ずして或は再び内務に變動あらんかと傳ふる者あり抑も從來政府の跡を見るに大臣の更迭したるもの數ふるに遑あらず農商務の如き文部の如き殆んど席煖なるを得ざるの有様なりしが此等の更迭は全く時の都合に出で假りに其坐を占めて後機を待つと同様なれば任の久しからざる敢て怪むに足らざれども此度の内務に至ては一變一考みな是れ閣上の波瀾の起伏を寫し出すものにして數月の間に既に三回の更迭を來たし今後若し四回となることもあらば實に政府の體裁に關して容易ならざることゝ云ふ可し固より我輩は硬軟の何れに歸するも更に其邊に頓着する者に非ず叉政府に於ても事の爰に至りたる時は自から止むを得ざるの必要に迫られたることならんとは雖も斯く頻々の波瀾とありては政府の威信も爲めに損ずる所なきを得ず國家の利益にあらざるなり今試に之を一家の事に喩へて云はんに某の家は常に離縁の沙汰多くして僅か半年許りの間に内君の更代すること三四回なりとせば假令ひ如何なる理由の存するにもせよ家事不整理の譏は遂に免る可らずして近隣知己の竊に擯斥するは必然なる可し今の内閣の有様も稍や之に等しく内に如何なる情實あるも波瀾に波瀾を重ぬるときは其外に發する所は唯徒に威信を傷くるのみなれば最早や此上は政府を以て一家と視做し其家人たる閣員中に多少不満不如意の廉ある可きも家の面目の爲めに忍耐して大臣の離縁再婚の沙汰は今回限りと决定し其間の不満不如意は漸次に匡正融和するの外ある可らず如何に不折合の苦情あるも此上は斷じて更迭の談に及ばざらんこと我輩の呉れ呉れも勸告する所なり

我輩の今日に勸告する所は右の通りなれども政海の内情は他人の得て知らざる處に無限の辛苦あるの常なれば俗に云ふ腹は脊に易へられぬの諺に洩れず多少の不體裁を冐しても内務の椅子は更迭せざるをえずと云ふか誠に是非なき次第なれども我輩は此塲合に臨んでも尚ほ政府の面目を保つが爲めに一條の血路を求めて以て當局者の考案を煩はさんと欲する者なり即ち其法は河野に代ふるに他人を以てせずして松方總理自から之を兼任し大藏の職は之を辭して別に老年無事の人を用ふるか若くは他に適當の者を撰むこと是なり大藏内務共に輕重なき要務なれども大藏は松方就任以來既に十餘年の久しきを持續したるものにして其政策方針に付ては種々の批評を免れざるも兎に角に機關の具備して運轉作用に勞を須ゐず之を何人に托するも形に從ふて守る敢て難からざるに引替へ内務に至ては甲去り乙代り丙出でゝ猶ほ其處置に困ずるの有様なれば總理が大藏を辭して專ら之に當り始めて能く調和して永續することを得んか亦以て政府の威信一縷を繋ぐに足る可し故に曰く内務大臣は復た替ふ可らず強ひて替へんと欲せば總理自から之に當るの外斷じて他策なかる可しと