「獨逸新聞の日本條約改正論」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「獨逸新聞の日本條約改正論」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

獨逸新聞の日本條約改正論

條約改正は國民年來の希望にして政府當局者の盡力も一方ならず近來聞く所に據れば度々の失敗にも拘はらず諸外國の感情は至極平穩にして談判その宜しきを得るときは案外の好結果を見るにも至る可しとの説もあれども又一方に於て外國新聞紙などの論ずる所を見れば全く反對にして大に然らざるものあるが如し左に掲ぐる所の一篇は獨逸伯林府にて發刊するフオシシユ新聞が去る七月二日の紙上に記したる論説にして日本の條約改正に反對を表したるものなり近頃英國の二三の新聞も之を同樣の議論を述べたるものありと云ふ思ふに右は一新聞紙の意見にして必ずしも同國官民全體の意思を代表したるものとして見る可らずと雖も日本の條約改正に就ては從來種々の議論も少なからずして或は今の政客中には對等條約云々を主張して頗る壮快の説を爲すものもなきに非ざれば外國新聞の意見の如き自から一種の説として参考に供するも無益ならざるを信じ其全文を譯載するものなり

日本の條約改正(千八百九十二年七月二日  發兌伯林府フオシシユ新聞)

日本政府は新撰の議員を召集の後、歐米諸國と締結したる條約に關し再び其改正を試る準備として伊藤伯以下の委員を任命したり而して他の一方に於ては日本各政黨の新聞紙も亦數月來熱度を高めて本問題を論説せり抑も千八百五十乃至六十年の間に歐米の十七箇國と締結したる条約は半は是れ軍艦脅迫の結果に由り成れるものなれば其改正及び變更は今日に於ても最も必要なるものと爲し日本は其司法管轄權及び課税權の獨立を制限する所の領事裁判及び關税に關する條約の廢止を要求し且その成功を豫期したり如何となれば立法權及び裁判法の改革特に憲法の編成及び代議政體を實施したる以上は前記の檢束たる日本國の威嚴を損傷するものと思惟すればなり

現今各外國人は條約權内の居留地に於て充分なる獨立權を有し日本人に交渉する法律上の爭訟に就ては自國人に對する爭訟と同樣、其領事の裁判管轄に服從するのみにして現に公規を害する犯罪者と雖も若しも外國出生の者たるに於ては領事の認可を得るに非ざれば日本官吏の手にて拘留することを得ず又日本政府は外國より輸入する物品に對して其價格の五分以上の税を課することを得ず而して又一方に於て現行條約は外國人の居留及び商業取引の塲所をば條約面規定の港塲にのみ制限し遊歩規定は開港塲の近傍僅少の區域に限り又内地旅行に關しては唯保養及び學術上の目的に限りて特殊の旅券を得るに過ぎず將又外國人は開港塲内に於て土地所有權を有せず其區域内に於ては一種の借地券に依りて不動産を永代借有することを得るのみ而して此借地に關しては外國人は日本政府に對し借地税を納むるのみにして別に國税等を負擔するの義務を有せざるなり

此條約改正事件は千八百七十二年以來現に日本及び各外國間に存在する問題中の最要項たりしにも拘はらず今日に至るまでに未だ何等の結局をも告げざるなり今を距ること三年前千八百八十九年六月十一日に於てヘルベルト ビスマルク伯と西園寺侯との間に一の新なる獨日條約を調印したりき該條約は日本と歐米各國間とに於ける改正商議の基礎と爲さしむ可き筈のものにして其條約に據れば獨逸帝國の臣民は日本の内地に居住して其土地所有權を得べく且その交換として日本に於て其最高等の裁判所に歐洲出身の裁判官を任用し外國人に關する法律事務の最終判決に列席せしむる以上は外國人は日本の法律に服從す可しとの條件を付したり又税率の制限は日本の爲め成る可く有益の精神を以て改正を加へ税則及び貿易規則をも約定す可き筈なりき而して右の改正案には露國及び合衆國も既に同意を表する迄の運びに至りしに當時外務大臣たりし大隈伯の反對者は之に對し非常に人心を煽動して反對の目的を達し之が爲めに伯は狙撃に遭ふて一脚を失ひ條約も遂に結了するに至らずして止みたりき

從來日本政府は各國の希望を滿足せしめんが爲めに全く法律の基礎を變更したり即ち歐洲の法律書を輸入し其他諸般の事業上にも迅速なる變更を爲せり但し其これを爲すに急なる國の風俗習慣及び法律に關する固有の思想等は(政府の反對者より見れば)深く省察されざりしかの嫌なきに非ずして現に法典の一部特に商法の如きは再度の修正を目的として實施期限を延期せらるゝに至りしかども夫は兎も角もとして歐米諸國は日本が汲々として成遂げ若しくは成遂げんとしたる所の開明事業を認め即ち其條約を改正することにも同意を表したり然るに日本人民の慾望は其政府の慾望よりも強きの實を呈し之が爲めに政府も亦次第に外國に對する讓與の區域を狭少にすることを企つるに至れり現に其第一期の國會に於て時の外務大臣たりし青木子は議員の質問に對して千八百八十九年の改正條約に比すれば更に大に變更を加へたる計畫の大意を説明したり其説明に據れば外國人は日本内地の全部に於て居住し營業することを得べしと雖も土地所有及び鑛山借區の權もしくは鐵道株券等を所有することを得ず將又外國人は現開港塲間に於けるの外、沿海貿易の權利を有することを得ず但し其代りとして日本政府は從前の五分税に代ふるに一割二分の條約税率を以て滿足す可しと雖も日本の裁判所に外國出身の裁判官を置くが如き條款を承諾せず云々と云ふに在り右の説明は既に巳に談判の破棄を致すの價値あるものと云はざるを得ざるに然るに條約改正は日本の爲めに必要の事業として人民一般に之を希望し國會も新聞紙も亦國家の威嚴を攝iし「日の出る國」をして開明の諸邦と同等の地位に立たしめざる可らざることを唱道して止まず即ち日本政府は茲に再び改正談判の準備を整ふる爲め條約改正委員を組織せり而して此頃伯林府に到着したる全權公使青木子(子は千八百八十六年まで久しく同地位に在りし人なり)は再び獨日間の通商及び居留地に關する條約の談判を開き之を繼續するの計畫あるに似たれども其成功は甚だ覺束なしと云はざるを得ず如何となれば新條約改正委員長として伊藤伯の名前の現はれたるこそ其然るを示すものにして伯の名前を聞けば其條約改正は讓與の少なきを卜するに足る可し伯は近年屡ば外國に對して多を與ふるを好まず既に千八百八十九年の改正談判に就ても隱然たる反對者として有力なりしことなればなり且夫れ新撰の議會の如きは外國人に對して毫も好意を有せず又政府の施設に對しても信用を置かざるものなり過般の撰擧に於て政府は強大なる干渉を以て些少の多數を占めたりと雖も是れ亦永く頼むに足らず全體日本人の考にては外國人の權利を擴張するときは之が爲めに無數の外國商人内地に入込み來り其結果として商業及び經濟上に於て外國人に屈服せらるゝに至らんことを怖るゝものゝ如し現今の處にては日本帝國に居住する外人は僅々五千人に過ぎざるを以て何等の危險をも呈出するの虞なけれども東京諸新聞紙の唱道する所に據れば全國を開放し土地所有權を許すときは無數の外國人は忽ち内地に入込み且外國の資本は内地に於て大に勢力を占め爲めに日本人民は外國人に屈服せざる可らざるの厄運に陥る可しと云へり其恐怖の果して然るや否やは吾人の知る所に非ざれども兎に角に各外國の臣民とても日本にして相當の讓與を爲さゞる限りは今日まで擴張したる地位即ち少なくも開港塲に於ける地位を維持せんと要求するも亦その理なきに非ざる可し左れば今日に於て彼の日出の帝國と商業上の關係を擴張するは素より必要とする所なりと雖も然れども再び企圖せらるゝ條約改正をして好結果を得るの談判に到着せしむるは殆んど豫期す可らざるものたるを知る可し