「小學校の授業時間」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「小學校の授業時間」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

小學校の授業時間

今の小學校の授業時間は毎日五時間の規定にして文部省令の定むる所苟も變ずること能わざるものなり滿六年より十年乃至十一二年の間なる幼齢の兒童に一日五時間の課業は心身發〓の程度に割合して果して〓當なるや否や少しく疑なき能わざる所なれども其問題は姑く別として我輩は更に授業時間短縮の議を提出せんとするものなり抑も普〓教育の目的は兒童に普〓の知識を授けて處世營業に便ならしむるものに外ならず普〓の知識とは讀書算筆の術にして今の一般人民即ち農商工等の子弟が成長の後、銘々の家業に從事するが爲めに小學の教育を要する所は〓して高尚のものに非ず即ち一〓りの文書を讀み字を書き双露盤を知るのみにて十分なるに然るに今の教育の制に於ては小學の教育を見ること重きに〓ぎ我輩の所謂普〓の知識の外に一般子弟の教育には寧ろ無用なる地理歴史の學科さえも加えて只管その完全を望むが如し或は小學を以て學者養成の塲所と爲し〓に日本國をして學者國たらしめんとならば夫れも亦自から一説なる可しと雖も苟も然らずして單に普〓教育を授くる目的ならんには高尚の學科を多くし〓て授業の時間を長くするは誠に無益の沙汰のみならず學科の如何は兎も角もとして單に時間の一事のみにしても子弟の後來に容易ならざる影響ある可しと我輩の竊に信ずる所なり聊か其次第を〓べんに今授業の時間を一日五時間として就學の兒童が午〓九時に學校に出で午後三時に家に歸るものとすれば一日の〓半は學校に消〓するものにして其家に在る時間は割合に少なしと云わざるを得ず凡そ兒童の性質は〓生の〓慣に由る常にして第二の天性〓に成るときは之を變ずること〓して容易ならず家庭教育の有〓なる由〓も即ち之が爲めなる可し然るに幼年の兒童一年三百何十日毎日五時間づゝを學校に消して〓食の時間を除けば家に〓居する時間とては幾許もなきのみならず其學ぶ所の如何を問へば家庭の間に父兄の談ずる所又自分の目撃する所とは全く別にして古の英雄豪〓の事〓に非ざれば文明都會の繁昌なる有樣なりと云う斯くて其兒童の幼心に感じて後來の素を成す所のものは如何なる可きや之を推量するに難からざる可し今の兵役は三年の期限にして其役に服するものは丁寧以上の〓年なれども兵營三年間の生活は自から一種の〓慣を成し滿期歸〓の後は兎角本業に復することを嫌いて或は無頼の徒に陷るものも少なからずと云う今幼年の兒童にして未だ心の定まらざるものが其成長の年月の〓半を學校の教育に消〓して然かも學ぶ所のものは高尚なる學科とありては其教育のますます〓むに〓てますます自家の本業に〓かり卒業の曉に至れば〓〓のみ徒に〓大に馳せて却て身を〓る結果なきを得ず〓來田舍の地方にて常の業なくして漫に政治を談じ議院の撰擧などに奔走する少年輩は小學校の卒業生に多しと云う自然の成行として怪むに足らざる所なり然らば其弊風を矯むる方法は如何にして可なるやと云うに今の教育の方針組織を改正するに在ること勿論なれども漫に多を望むも無益として我輩は取敢へず小學の學科を少なくして高尚の課目は一切これを止むると同時に授業の時間は五時間を〓じて二時間乃至三時間と爲さんことを希望するものなり學校の時間〓少すれば〓て兒童の家に在る時間多きが故に例へば農家なれば草取りを爲し〓師の家なれば網の繕いを手傳うが如く兒童には亦夫れ相應の仕事ありて日々これに從事するときは自から其家業を馴れて知らず知らずの間に業を勵むに至る可し或は極幼年の兒童は家に在るも父兄の手助けとは爲らずして其時間を〓戯に費やすに〓ぎずとの掛念もあらんなれども敢て患ふるに足らず唯家に在る時間さえ多ければ〓戯の間にも自から家業を見〓いて之に馴るゝ便あればなり所謂家庭教育とは即ち此邊の意味に外ならずして幼時の〓慣は甚だ大切なる其大切の年月を單に學校の教育にのみ一任して後來の結果を顧みざるは眞誠なる教育の法と云う可からず或は商賣の盛なる土地の學校には商業の課を設け農家を矯めんとする説もなきに非ず其〓〓は敢て不可なるに非ざれども十歳にも滿ざる幼年の兒童に向て科學上の理を〓きたりとて之を實地に應用するが如きは迚も望む可きに非ざれば小學の教育は普〓智識即ち一〓りの讀書算筆を知らしむるに止め學校の時間を短縮して人間發〓の最良時機を銘々の家庭教育に一任するこそ得策なる可しと我輩の敢て信ずる所なり