「難局の責任」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「難局の責任」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

難局の責任

明治十四年來政府の方針一變して官民の調和を失ひ遂に今日の難局を致したるは我輩の毎

度述べたる所にして其責任は自から歸する所なきを得ず帝國議會の如きは恰も此の難局の

最中に産れて難局をして益々難ならしめたるものなれば從來の當局者が毎度對議會の處置

に困難して自から苦しみながら別に銘工風のなきも决して無理ならず如何となれば今日の

難局は議會の開けたるが爲めに非ず遠く其以前より馴致して益々その難を極めたるものに

こそあれば單に議會の處置のみに就て硬と云ひ軟と云ひ種々の方策を運らすも其目的を達

す可きに非ざればなり左れば從來の對議會の如きは如何なる手段を極むるも以て目下の難

を解くに足らざれども現内閣當局の老政客は十四年來の責任を負擔せざる可らざるの身に

して前内閣に代りて其難局を引受けたるものなれば自から之に處するの成算なきを得ず我

輩は其人々の名望技倆に信を置て尚ほ之に依賴せんと欲する者なり然るに近日來の擧動を

見れば勉めて消極の方針を取り唯一時の安を謀るのみにして更に出色の政案なきが如きは

或は政略の虚々實々にして前内閣の處置が兎角民心を激せしめたる其善後の策として反對

の熱情を緩和せんとするの趣意にてもあらんかなれども前に云へる如く政府が民論の反對

を招きて議會との折合を得ざるは年來失策の結果にして前内閣の不始末の如き其反動とし

て見る可きものなれば苟も事の本に立返りて弊源を除かざる限りは假令ひ目前の小康を見

ることあるも根底の難を解きたるものとは云ふ可らず例へば撰擧干渉の處分の如き民黨の

希望する通りに其事に嫌疑ある地方官を悉く黜免するときは之に滿足して不平なきやと云

ふに决して然らず地方官に果して干渉の實あれば其これに干渉せしめたるものは即ち政府

なり假令ひ當局者に更迭あると雖も其責任は今の政府も免る可らず當局者は宜く疏决する

所ある可し云々とて更に論歩を進め次第次第に難題を重ねて遂に際限なきことならん現に

品川前内務大臣が九州の漫遊中撰擧干渉の事を自白したりとて之を次期の議會の問題に提

出す可しなど論ずるを見ても其用心の如何を知るに足る可し地租輕減、地價修正の問題の

如きも亦これに異ならず若しも一時の緩和手段として其幾分を實行するが如きこともあら

ば大なる間違ひにして五厘減の實行は一分減の要求を促し西南地方の修正は東北地方の不

平を釀すなど一たび水面に浪を擧ぐるときは其餘波次第に動搖して遂に底止する所なきに

至る可し盖し今の民間の反對論は其要求する所の幾分を得て滿足す可きに非ず多年胸中に

鬱積して僅に抑へ來りし其不平憤懣の情を時に乘じて大に逞ふせんと欲する者にこそあれ

ば此時に際して倫安姑息の小策は啻に反對の民心を緩和するに足らざるのみならず遂には

獨立具眼の士人にも厭はれて政府立脚の地を失ふに至るの恐なきにあらず即ち我輩が前日

の紙上にも述べたる通りなれば區々たる小策を止めにして思切つて决斷し今日の政局を老

政客最後の舞臺を覺悟して年來釀したる難局の病根を除き維新の勲功に始あり又終あらし

むるこそ眞に男子の事なれと我輩の飽くまでも勸告する所なり王政維新の當初今の老政客

の人々が政の樞機に參して時の廟謨を定むるに當り藩を廢して縣を置き天下の大權を擧げ

て中央政府の一に歸せしめ門閥の弊習を一掃して四民同等の新主義を取り政治は專ら簡易

卒直を旨とするを盟ひたるは世人の今に記臆する所にして其精神は虚飾を除て實權を執り

政令の出る所を一途にして陰にも陽にも之を敢て犯すことなからしむるに在りしや復た疑

ふ可らず然るに近年の有樣を見れば事全く反對にして族爵位記の沙汰新にして衣冠文物の

盛なる恰も舊時の大名公卿を再演し舊門閥を廢して新門閥を起したるに異ならず唯徒に世

間の功名男子をして羨望の政熱に煩悶せしむ可きのみ又人民に直接する小吏輩に變通の伎

倆なきを知りながら法令規則を頻發して端なく繁文の弊を釀したるが如き何れも大政の運

動上に實益なくして空しく政府をして怨望の府たらしむるに足る可し如何なる良政府と稱

するものにても多少の怨望は免かる可らず固く政權を執て動くことなく時に或は壓制の名

を蒙るも執る所の方針は之を改めずして物論の外に屹然たるは我輩の賛成する所にして殊

に立憲政體の初期に於て缺く可らざる要訣なれば之が爲めに國中或る部分の怨を買ふこと

あるも意に介するに足らずと雖も施政上に益もなき衣冠文物を燿かし又は繁文を以て人心

を煩はし却て大政の威嚴を損するが如きは我輩これを取らず當局者に於ても思ふて此に到

らば必ず鄙見に符合するものある可し左れば今日の策は他なし唯維新當初の精神に立返り

簡易卒直以て大政の實權を執り一切の虚飾を脱し一切の繁文を除き磊落變通の間に民心を

収めて老政客の地位を固くし其有始有終の名譽を全ふせんこと我輩の希望する所なり