「政治上の地位は自然に公共のものたる可し」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「政治上の地位は自然に公共のものたる可し」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

政治上の地位は自然に公共のものたる可し

社會の進歩に隨ひ政治上の地位も次第に一個人の關係を離れて公共の性質を帶ぶるに至る

は自然の成行なる可し專制の時代には政治上一切の權力をば一人もしくは數人の手に執り

てて如何なる人物と雖も其知遇を受くるに非ざれば地位を得る能はず即ち其出處進退は一

に執權者の意志に出でゝ他より如何ともする能はざることなれども文明の進歩に從ひ天下

の耳目大に發達して人の技倆を見ること明なるが故に苟も爰に人物あれば忽ち一般の認る

所と爲りて空しく暗處に堙沒するを許されず執權者一個の好惡心は以て其人を輕重するに

足らざるが如し過般英國にて内閣更迭の折、ラブシエール氏がグラツトストーン氏の内閣

に入らんとしたるの談あり抑もラ氏は急激黨の領袖にして平生の政論頗る過激なるが爲め

に心ある上流の社會には之を嫌ふもの多けれども何分にも勞働者の如き下等社會の人望盛

にして隨て國會の議塲に於ける勢力も一方ならず一般の社會に有力の人物と認められたる

が故に扨こそ入閣の談も出でたることならん流石はグ氏の老練なる斯る人物を内閣に入

るゝの不得策なるを認め自から責任を負ふて其入閣を拒絶したれども兎に角にラ氏をして

斯くの如き勢力を得せしめたるを見れば文明進歩の社會に於ける政治上の地位は一個人の

關係に非ずして公共の力より來るの實を知るに足る可し日本の社會も近來大に進歩して專

制の時代は既に去りたれば今後政治上の地位は次第に一個人の關係を離る可きは勿論、今

日に於ても其兆候として認む可きものなきに非ず例へば今回大石正巳氏が辨理公使に任ぜ

られたるが如き世間に於ては或は其異數を怪しむものもあれども我輩の所見を以てすれば

正當の順序として毫も之を怪しまざるものなり大石氏は從來曾て官途の經歴なきのみなら

ず數年來政府と主義を異にして反對の方向を取り國事上の嫌疑にて獄に繋がれたることさ

へありて政府に於ても明白に反對者と認めたる其人が俄に出身して然かも榮譽少なからざ

る公使の地位を得たりとは異數に似たれども氏が從來の經歴に徴するときは敢て異數なら

ざるを知るに難からざる可し我輩は元來氏を知らず又その人物技倆をも詳にせざれども兎

に角に十數年來民間に在りて公共の爲めに辛苦經營し自から重んじて敢て自から任するの

跡あるを見れば今日の地位を得たるは决して怪しむに足らざるを信ずるものなり或は今回

の出身に就ても政治社會の裡面には自から種々の事情もあることならんなれども其事情は

兎も角もとして我輩は只社會自然の成行より政治上の地位が次第に一個人の關係を離れ公

共の性質を帶びつゝあるの兆候として認めざるを得ず如何となれば若しも數年前の有樣な

らんには氏に如何なる學識技倆あるも又官途の出身に熱心なるも民間の一士人にして斯る

地位を得るの望は到底覺束なき處なるに今日に至りて事の案外なるを見たるは單に氏一身

の榮のみならず即ち社會の進歩にして在朝の政客中にも自から政治上の地位を公共視する

の必要を感じたるものと認むるの外なければなり抑も我輩が此説を爲すは獨り大石氏一人

の爲めに非ず今の民間の政客は年來責任内閣の實行を希望して止まず其希望たる决して空

望に非ず社會の進歩と共に政治上の地位も次第に公共のものとなるは自然の成行なれども

責任内閣の實を収めんとするには先づ自身に重きを成して假令ひ其任にあらざるも自から

局に當りたるの覺悟にて親切に事を處するこそ肝要なれ若しも然らずして徒に無責任の言

論を爲し自から責めずして他を責むるのみにては何人も無理なる注文として之に服するも

のはなかる可し其人々の擧動を見るに希望の大なるにも拘はらずして政府に對するの言論

は多くは無理の注文に過ぎず斯くの如くして一般の信用を得んとするは到底望む可らざる

所なれば眞に其希望を達するの覺悟ならんには自から省みて其言論擧動を謹しみ先づ一般

社會の信用を博して政治上の地位は公共のものにして一個人の私有に非ざることを感ぜし

むることは必要なる可し社會進歩の大勢に乘じて其希望することは决して難きに非ざれば

なり