「商業上の代理者に就て.」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「商業上の代理者に就て.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

商業上の代理者に就て.

我邦の外國貿易は近來漸く進歩の色を現はし輸出入商品の總額も年々次第に増加して昨年の如きは既に一億四千餘萬圓に達したり今年の結果は未だ知る可らずと雖も之を昨年に比すれば必ず一割以上の増加を生ず可き見込なりと云ふ通商貿易の繁昌するは國民に取りて單に商賣上直接の利益のみならず之に由りて對外の信用聲價を高め歐米諸國をして自から日本國に重きを置くの念を發せしむる其間接の効能も亦少なしとせず何れにしても國家の爲めに祝す可き次第にして今後とも年々歳々ますます隆盛に赴かんことこそ我輩の世人と共に只管希望する所なれども玆に尚ほ遺憾なる事情を云んに從來我貿易に日本品を外國に輸出し外國品を日本に輸入する者は大概皆外國の商人に限り日本の商人は殆んど之に與らざるの慣行にして名は外國貿易と稱すれども實際は國と國との間に行はるゝ商賣に非ずして内地の商人と居留外商との取引に過ぎざるが如し幕府の末年我國の始めて海外諸國と通商往來の條約を結びし其頃には朝野擧て西洋の事情に暗くして貿易とは如何なることか之を知る者さへなく唯外人の求に任せて港を開き居留地を設け彼我物産の賣買を許したるまでのことなれば我れより進んで貿易に從事する念慮などは更になく物を賣るにも買ふにも都て外商の爲す所に任せ彼輩の爲めに商賣の全權を握られて曾て怪むことなく叉之が爲めに格別の不都合を感ずることもなかりしなれども爾來外交の次第に頻繁なるに從ひ彼の事情に通ずる者も次第に多くして外國貿易の大切なるを悟りたる今日尚ほ依然として三十年前の舊筆法を守り輸出入共に唯他の來るを待て僅に其需に應ずるとは之を評して日本國人が自家の利害を無頓着に附するものと云はざるを得ず近來は我商人の中にも自から奮て直輸出入の業を企る者なきに非ざれども何分慣れぬことゝて種々樣々の障害に遭ひ百事意の如くならずして半途に失敗する者多しと云ふ、就ては我輩が竊に是等の人々の爲めに謀るに最初より自から資本を卸して獨立の大業を企てんよりも先づ歐米諸國にて信用ある會社商店の代理(エージヱント)と爲り其保護を受けて営業する方却て安全なる可しと勸告を試る者なり彼の國の商賣法に於て商品を遠隔の地に賣捌かんとする者は特に支店を設置する代りに其土地にて信用ある商人を撰んで代理と爲し之に自家商業上の利害を代表せしめて其地方の賣捌を委托し利益の幾分を分ち與へて報酬と爲すこと歐米諸國に行はるゝ一般の慣例にして現に彼國の製造家叉は商店は我開港塲に代理を置て商用を辨ずる者少なからざれども扨その代理には如何なる人を使用するかと尋るに十中八九は居留外商の中より之を撰ぶの例にして我日本商人にして彼の本國商店の代理者たる者は甚だ稀なり或は偶ま日本人の名を以て營業する者あるも其實は外國人が法律の制禁を免れんが爲めに内地人の名義を借用するものに過ぎず畢竟するに數年來習慣の然らしむる所ならんなれども抑も叉我商賣社會に信用厚き商人等が自から進んで歐米の事業家に向ひ代理の地位を求るの機轉なきが故なりと云はざるを得ず本國商家の身と爲りて考ふるも日本國に向て販賣の道を廣くせんとするには日本人に托するの便利に若くものある可らず唯その代理者の信用厚くして正直に事を理するに於ては必ず喜んで之に依頼することならんと我輩の敢て信ずる所なり扨代理の事は右の如くにして緒に就きたりと假定し爰に叉内地の購買者に向て聊か求る所なきを得ず即ち政府を始めとして民間の大會社等都て外國の物品を要するときには其品質と代價とに注意して不利不安心の掛念なき限りは成る丈け日本商人の手を經て之を購ふの例を造り以て間接に其筋の商人を保護するの方針を忘る可らず現に歐米諸國にては政府の購入する物品は自國商人の外に之を取扱はしめざるの例規を設けて内國の商賣を保護するもの少なからず或は甚だしきに至りては政府が直接に商業擴張のことを擔任し國の大臣自から自國の商人に添書して外國に出張せしむるの例さへなきに非ず然るに我國目下の有様は全く之と反對にして政府若しくば會社などにて外品を買入るゝに内國の商人をば差置き態々外商に委托して平氣なるが如し内外の區別都て無頓着なるものと云ふ可し思ふに内國商人は經驗に乏しく頼むに足らずとの考よりして之を擯斥するものならんなれども事の實際に於て外商果して内商よりも信用を置くに足るや否や容易に判斷を下す可らず商業社會の説に近來我商人の伎倆經驗は著しく増進して資本亦乏しからず此様子にては外國商人との競爭も左までの大事に非ず彼の内地雜居の如きは毫も恐るゝに足らずと云ふ者さへある程の次第なれば是等の商人に托して僅に外國品購入の事など取扱はさしむるも何等の危険ある可きや外國貿易の始まりしより以來既に幾多の星霜を經たる今日に及んで尚ほ我商人を目するに呉下の舊阿蒙を以てし漫に不安心の思を爲すは抑も亦老婆の痴心下手念と云ふ可し左れば政府に於ても叉民間の諸會社に於ても實際に不都合なき限りは成る丈け日本商人の手を經て外國品を買入るゝことに定め叉當局の商業代理者に於ては百方手を盡して歐米事業家の歡心を求め日本商人の正實にして信を置くに足るの事實を知らしめ我國内に廣く代理の仕組を流行せしめて直輸商業の繁盛に赴くの端を開かんこと我輩の只管熱望する所なり