「軍用鐵道と商用鐵道」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「軍用鐵道と商用鐵道」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

左の一篇は社友某氏の寄稿なり鐵道問題の參考として資する所少なからざれば爰に掲ぐ

鐵道敷設に官設と私設とあり其これを用ふるの目的に於て軍用と商用の別あり我國今や鐵

道敷設法なるものありて既に大躰の設計を定めたるが如くなれども一般の輿論は今正に

こゝに傾注して其撰擇取捨は實に國家緊要の大問題たり夫れ鐵道は文明の利器なり之を利

用するの鴻uたるや洵に明白なれども若し其用を誤るときは害毒不幸も亦一國を危くする

あるにも拘はらず世人は皆その利uのみを喋々して其憂慮す可きものに就ては之を論ずる

者殆んど稀なり蓋し軍用を主とすれば自から國有となして相當の制限を立つ可く商用を主

とすれば私有となして任意に便利を得せしむ可し而して商用は便利と収uとを目的とする

が故に平坦の地を撰みて敷設費を省き成るたけ都府を貫通して人荷の多きを謀るに引換へ

軍用に至ては戰時の危險あるが爲めに往々にして其便uを棄てざる可らず是れ皆その國の

地形國情に從ひ斟酌較量す可き所にして我輩は先づ其大概を示さんが爲め左に鐵道の本元

たる歐洲に於て軍用と商用と如何に取捨せられつゝある歟を一顧す可し

歐洲大陸に鐵道の敷設せらるゝや恰も蜘網の如く經緯共に備りまた遺憾なしと云ふ可し土

耳其、バルガン半嶋、露西亞、嗹馬、葡萄牙、西班牙、瑞典、伊太利、墺太利、佛蘭西、

日耳曼より英國に至るまで時間表の示す所に從て汽車旅行をなせば殆んど時間を徒費する

ことなし陸の交通此の如きと共に河海の便は古來夙に發達するが故に其便利は言ふ迄もな

く至れり盡せりと雖も列國互に抗爭して白眼相對する今の形勢に在ては斯る便利は却て數

百里外なる敵兵をも瞬間に自國内に引致するの媒ともなり或は有事の際の用意としてョみ

切つたる便利をも一朝破壞せらるゝの惧なきに非ざれば國境の防備山野の寨壘は鐵道の普

及軍事の進捗と相競ふて至らざるなし殊に列國いづれも相窺隙し相防禦すれども其國境は

大抵狹溝小丘の遮るあるのみ高山大河等天險の之を區劃するもの多からずして彼の漫遊者

が駛行中突然税關吏に檢査せられて始めて一境域を過ぎたるを知るなど絶海の孤嶋たる日

本帝國の如きものに非ざるが故に其政策上私設鐵道を取らんと欲するも能はず勢ひ國有と

爲さゞる可らざるのみか頻に軍旅運搬の方法を講究し鐵道事業に關する大小の役員に至る

まで成る可く満役の軍人を以てする等特に佛獨墺露に於て見る可きもの多し且つ夫れ歐洲

大陸に於ける大小都會の地形たるや必らず河海の便に憑らざるはなく而して水に沿ふの地

勢は概ね平坦なるが故に鐵道經濟の點より見れば宜しく海濱と沿河とを主とし且つ都會を

貫連するの線路を撰む可きや當然なれども如何せん列國の全土は平常ともに一種の戰塲な

ればソレさへ瞑目斷念して唯戰時の安全を謀るの外なし實に歐洲大陸の鐵道は戰塲に於け

る軍務なり其經濟を念ふに遑あらずして布設上組織上すべて軍用を主としたるは蓋し必然

の所なるのみ然るに此全歐の大渦中にありて獨り其揆を異にするものあり英吉利合衆王國

是れなり

英は海國なり邊境の虞自から大陸諸邦の如くならざるが故に國防には海軍を主とし鐵道に

も私設を採り國力ますます充實して必要なる軍艦は之を備ふること難事にあらず葢し鐵道

を利用するの大なる彼の大陸の軍用鐵道に比して實利の多寡决して同日の談にあらず即ち

國力の攝i上實に一大懸隔あるの數をも見る可し更にこの國の大鐵道中に就て首府倫敦よ

り北の方蘇國エヂンバラー府に通する東、西、中陸三鐵道線の比較を記さんに抑も此兩府

を連絡する線路の里程は三線ともに四百哩斗りにして彼此長短の差僅に十哩以内に過ず皆

私設の會社より成り自由競爭の間に運轉しつゝあるものにして収uの多寡は恰も敷設の順

に應ずといふ其第一は大北鐵道會社にして充分に平坦地と繁昌地とを測定し倫敦府起點よ

りウグビー市、バーミンハム市、クリユウ市を貫きて國の中心と西南部及びウエールス地

方と連絡して同國工業の盛地たるマンチスターに達し四面の諸市を収攬する上に西にリヴ

アプール東にリーヅ市、セフヰールド市尚ほ進んで紡績業地たるランカシヤーを經て出炭

地なるカーライル市を通過しカステーアスに於て大造船地なるグラスゴー市を西北二三十

哩に距りてエヂンバラー府に達するなり第二は大東鐵道會社にして東海岸に沿ふて北進し

倫敦起點よりピーターバラー市、ニユーワーク市を貫きて東南地方の農産工品及び水産に

據り又北方の舊都なるヨーク市に達し産鐵地方なるストツクトン市、ダラム市より採炭と

造船の地方なるタイン河畔のニウカツソル市を通過して以て同じくエヂンバラー府に到る

此沿線の繁華は前の大北線に及ばずと雖も中々有利の線路にして右兩線ともに平坦を撰み

北進するに從ひ共に海岸に沿ふものなり第三は中陸鐵道會社にして倫敦府起點より前兩線

の中間を蜿蜒し都會最も少なく山岳最も多く山の高きは水面千二百呎計りの所を過ぎて同

じく英國首府に達するものなれば經費最も多く収u最も少なし唯沿線の地形嶮岨にして風

光目を娯ましむると萬一外敵侵來の日に於て敵艦の砲撃に遇ふも聲さへ聞えざるの安全あ

りといふ軍用と商用との差異は概ね此類のものと知る可し顧みて我が地形國情は如何

(以下次號)