「教育社會の不敬事件」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「教育社會の不敬事件」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

教育社會の不敬事件

明治十四五年の頃、政府が遽に教育の方針を一變し頻りに古流の主義を奨勵して一般の社會に何となく一種苛烈の風を催ほしたる時に當り古來我國に其例を聞かざる不敬罪の犯人を屡ば生じたることあり不祥の出來事として我輩の今に遺憾と爲る處なるに然るに近來に至り然かも教育の社會に於て不敬事件の沙汰を催ほしたるは我輩の更に大に驚く所なり抑も日本の人民は常に臣子たるの道を守りて苟も其分を踰えず殊に帝室に對して忠誠なるの一義に至りては殆ど天稟の性質にして他の教訓を待て然るに非ず其事實は三千年來の歴史に明白にして古來無智無識の輩は少なからずと雖も曾て帝室に對して不敬を企てたるの例なきを見ても其然るを知る可し即ち日本特殊の美風にして世界萬國に向ても大に誇る可きものなり謹んで案ずるに彼の明治二十年十月を以て發せられたる教育の勅語は益す益す此美風を培養發達せしめられんとの聖意にして一辭の賛し奉る可き所なしと雖も顧みて特に斯る勅語を發せらるゝの必要ある次第を考ふれば我輩は臣子の分として竊に恐懼の念に堪へざるものなり思ふに人民の徳性自から由來ある其上に教育の方針その宜しきを失はずして一方に進むときは固有の美風は益す益す發達して聖慮も自から安く特に軫念を勞し奉ることもなかる可き筈なるに然るに政府の當局者は何の見る所ありてか恰も教育の方針を弄びて無益の變更を試み社會自然の趨勢を妨げんとしたる其結果は如何と云ふに一方に於ては忠君愛國の説を極端に高むると同時に一方に於ては社會の氣風を苛烈にして動もすれば亂臣賊子等の語を耳にするに至り事體何となく穩かならずして國中一般の人々も自から方向に迷ふの状なきに非ざるより其事いつしか九重に達して恐れ多くも宸襟を勞せられ扨こそ勅語も出でたることならん我輩が恐懼の念に堪へざるは即ち之が爲めのみ綸言汗の如し勅語の發布は一般臣民の感激措く能はずして黽勉服膺たゞ其力の足らざるを恐るゝ所なれども實際に其効を擧げ聖旨に副ひ奉るの點に於て文部教育の任に在るものは其責任最も重しと云はざるを得ず如何となれば當局者が勅語を全國一般の學校に頒布するに當り其旨を擴め其義を衍して特に注意を加へたるは取も直さず聖旨に對して實際の奏効を盟ひ奉りたるものなればなり當局者の責任斯くの如く重大にして愈々其實効を期せんとするには當局者自から其旨を體し躬行實踐を先にして始めて効を見る可し即ち一身を以て社會の標準と為し己れ自から修めて而して人を修むるは古來徳を勵むるの常道にして最も注意す可き要點なるに爾來文部省の有樣を見れば部内の風聞甚だ宜しからずして當局の官吏中には之が爲めに身を退くの不名譽を招きたるものさへなきに非ず我輩は敢て其一身に就て云々するに非ざれども部内の始末かくの如くにして果して社會の標準たる責任を全ふすることを得べきや如何又勅語を一般の學校に頒布して廣く其旨を體せしむるは素より可なれども當局者の注意到らざる所あるが爲めに教育社會末流の輩は其精神を解する能はず之に極端の意味を附會して却て本旨を誤りたるが如き不都合はなきや否や若し實際に斯る事實もありとすれば近日來教育社會の不敬事件も決して偶然に非ずして自から責の歸する所なきを得ず假令ひ其事は微なりと雖も兎に角に今日の社會に斯の如き不祥の出來事あるは輕々看過す可きことに非ざれば我輩は當局者が事の末を問はず自から省みて其本を正ふせんことを望まざるを得ず即ち當局者の責任に於て免れざる所なればなり