「北海道 F.M.」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「北海道 F.M.」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

北海道 F.M.

我輩が北海道を去りたるは既に一年餘にして三箇月前要用の爲めに再び小樽札幌室蘭の邊を往來し先づ驚きたるは一般の不景氣是れなり二十三年二十四年中、同道の景氣は四時皆春なりしに引替へ秋色寂として人を見ざるの有樣あり其商況不振の例を擧れば農産物の収穫例年に比して豐饒なりしに拘はらず價格の下落したるが爲めに農民は勞して報酬を得ず、昨年共進會の開設に付き内地人の來遊したるもの多かりしに關せず炭鑛鐵道の収入は前年度に比して一割内外を減ぜり、一昨年中は職工の賃銀七八十錢内外なりしものが今日は三四十錢に過ぎず、札幌小樽にて屈指の豪商中、負債の爲めに倒産し又は閉店せんとする者少なからず、地價は下落し家屋は賣家貸家の札を貼るもの多く、旅店は座敷の閑却するに窮し、車夫は客を待て空く長日を消し北海道民菜色ありとは今日を言ふなるべし皆曰く此儘にして放任せば北海道は再び荒漠不産の地に變じ今日迄消費したる數千萬の金は雲烟に化し去らんとて志士論客は不景氣救濟の策を講して喋々たり今其不景氣の原因なりとして説く所を聞くに曰く昨春小樽札幌の大火に數十萬の財産を灰燼に附したるが故なり曰く北海道第一の産物たる鰊魚の不獵なりしが故なり曰く炭鑛鐵道會社の工事殆ど落成して數千の勞働者が四散せしが故なり曰く近來道廳が消極的の政策を取て事業を縮少せしが故なりと然りと雖も平生健康の人は風邪頭痛の爲め容易に一命に及ぶことなきに均しく堂々たる北海道が是等の微恙に罹りて斃る可きにあらず必ずや別に遠大の原因ありて今日の衰弱に陥らしめたればこそ一陣の秋風にも命を失はんとするの危機に迫りたるものならん蓋し其原因とは何ぞや社會殊に新開の天地に必要欠く可らざる二大機關即ち酒舗と寺院の一は完備し一は不完全なること是れなり社會に酒舗と寺院の必要なるは猶ほ人間の食物に肉類と野菜と兩つながら併用せざる可らざるが如し人若し常に肉食のみを爲さんか腸胃を害し多血に苦しまん之に反して菜食のみならんか貧血症となりて身體枯燥せん社會若し酒舗のみを以て滿たされんか亂暴不取締の病を得ん之に反して寺院のみ勢力を得んか畏縮退守の弊に陥らん想ふに眞正文明の人は其樂む所、形而上にありて或は詩文に遊び或は風月を友とし而して其愼む所は道理の制裁に依るものなれば斯る社會に向つては酒舗寺院ともに無用の長物なる可しと雖も滔々たる天下此種の人間は至て少く多數の快樂は形而下則ち酒舗にあり而して其畏る所は道理にあらずして宗教にあるなり殊に深く廣漠無人の境に入り非常の艱苦を嘗めて開拓に從事せんとするの輩は大膽殘忍の冒險者にあらざれば落魄不運の窮鬼のみにして快樂の何たるを解せず道理の何たるを知らざる者多し曾て米國人の話に新開地に始めて顯はるるものは酒舗にして次は寺院なりと聞きしが先年彼地を歴遊せしに果して其言に違はず土地の開拓新らしき程隨てますます酒舗寺院の數も多く酒舗の隣に寺院あり寺院の前に酒舗並び讀經の聲は放歌と和しアーメンを唱へつゝポーカーを弄び遊女欄に倚て嫖客を招けば老僧衆を集めて冥福を説く蓋し酒舗と寺院と性質の相異なる水火も啻ならず其並行以て社會を富有ならしむるは一見異むに足るべしと雖も仔細に考ふるときは妙機却て其並行の間にあるが如し人間樂めば苦を忘る早朝霜を踏み鋤を荷ふも夜來酒に醉ふて放歌すれば翌朝また再び起つの勇あり風雨に船を浮べて生命を賭にするも色に遊べば其危きを忘る是れ形而下樂の社會には酒舗の無かる可らざる所以なれども此種の輩は本來道理の制裁を受くべき者にあらざれば酒色の興に乗じて奔放止まず健康を害し財産を蕩し果ては盗賊人殺の罪惡をさへ犯すが故に天は酒色に耽り不道徳を行ふ者を罰するものなりと恐喝する等その奔逸を防ぎ弊毒を救ふの道なかる可らず是れ即ち宗教の必要なる所以にあらずや新開地には形而下樂の人多し酒舗以て彼等の敢為進取の勇を鼓舞し寺院以て勤勉退守の風を養成し兩々相俟つて而して其權衡平を得せしめざる可らず米國今日の繁昌は實に此邊の作用によると知る可きなり今夫れ北海道は日本の新開地にして曩に政府は開拓使を置き莫大の費用を抛ちて港灣を改良し道路を開鑿し將た移住人に保護金を與ふる等百方其術を盡したりしが此要路に立ちて衆を率ゐたる者は所謂日本士族流儀の人々にして生來宗教には極て冷淡なると共に其移住し來りたる輩は少數の部分を除き大抵は米國と同様形而下樂の人間なりしかば彼等が其快樂を滿たすの機關は進歩甚だ著しく小樽札幌等の街上に巍然として聳立するは遊廓なり結構宮殿に擬するは酒樓なり夜中管絃の聲を耳にせざるなく店頭酒氣を鼻にせざるなし之に加ふるに五戸の村も遊女戯れ十口の邑も酒旗飜る或は曰く今の小樽の遊廓は往時開拓使より保護金を樓主に與へ以て建築を壮麗ならしめたるなりと實否は保す可らずと雖も兎に角官民上下擧て酒舗の盛大を希圖したるは事實に相違なきが如し快樂を取の機關は此の如くなるに引換へ其奔逸を制止す可き宗教の有樣は如何と云ふに札幌小樽等には本願寺の別院と其他寺院なきに非ざれども其數の少き寥々として晨星の如く寺院の構造も亦粗にして見るに足らず而して之に歸依する者は越後地方よりの移住民則ち元來本願寺の恩光に浴したる一部分の種類にして此外札幌の禁酒會將た耶蘇教會の如きも員に列する者は唯農學校に關係ある少數の學者連中に過ぎず盖し酒舗と寺院の不權衡なる北海道ほど甚しきはなかるべし抑も同道は海陸の富利夥多なる上に政府の開拓事業の爲め内地より巨金を輸送し活溌に消費したるの額實に少からず怜悧の輩投機の流は安坐して一攫千金を得、愚鈍の小民と雖も内地に勞働する者よりは二倍の収入あり况んや其要路に當る者をや些しの冒險艱苦をも閲せずして大利を喫し世に大金儲けは北海道にありと云ふに至れり扨かゝる塲所に入込みたるものゝ多數は何人なるや内地にて落魄不運の徒と大膽殘忍の輩是れなり彼の貧乏人が一時富籤に當りて狂奔するが如く此等の輩も亦金儲けの容易なるに乗じ奔逸の勢制す可らざるのみか之を逐ふの鞭は獨り急にして之を駐むるの轡はなし上下擧つて酒に浴し色に沈み敢為進取の勇は失せて偸安墮落の風を釀し唯袖手千金を得んとするの野心に魔せられて放埒亂行殆んど底止する所を知らず此の如くにして彼等は北海道の快樂に飽き足らず或は東京の花に醉ひ橫濱の月に遊び連騎豪遊贅澤三昧宛然として王侯貴人の風を装ふ窃に按ずるに是迄開拓の爲め内地より輸入したる四千有餘萬圓と水産等の収獲より生じたる莫大の金額の大半は北海道に止まらずして内地に再び歸り來りたるならん歟さめて果敢なき夢の跡、困弊衰弱もとより怪むに足らざるのみ左れば今日の北海道は相塲師の玄關の如く其外觀こそ〓めしけれ實は偸安怠惰の風を以て充たされたる貧乏世帶なり即ち野菜を食はず肉食に飽き腸胃を害し衰弱不起の病人となりたる次第にして此度工事の落成道廳の消極的政策、不獵、火事等の風邪に襲はれ脆くも死に垂んとしつゝあることなれ共爰に北海道に移住したる中に能く儲けて能く貯へ多少の不景氣に遭ふも驚かざる者あり是れは越後地方よりの來民に多くして前述の如く越後は眞宗の盛地夙に本願寺の威光に浴する所なれば此空氣の中に生長したる越後人は鋤を荷ふて無宗教の北海道に渡航するも先祖傳來腦裏に浸染したる信心は消失せず寺を造り僧を迎へ人間後生の忽にす可らざる不道徳の行ふ可らざる等を耳にするが故に千金を一攫すと雖も徒らに之を消費せず勤勉事に當り忍耐金を貯ふるよりして今日北海道の金權を隱然越後人に歸するものゝ如し是れ何の故ぞや越後人は宗教に熱心にして爲めに奔逸を防ぎたるの結果なりと謂はざるを得ず聞く北垣道廳長官の凾館に到着するや同地の豪商にして越後生れの人が拓地殖民の策を献じて上川に京都の本願寺を移す可しと主張せしよし事の成否は保證し難けれども自から味ありと謂ふべし故に我輩は北海道の不景氣を挽回し拓地殖民の大功を期せんとするに莫大の金額を注入して港灣を開き鐵道を設くるも亦一説なれども目下の急務は新開地に必要なる一大機關則ち宗教を擴張し酒舗の勢力を〓〓〓〓せしめ肉食野菜並行して北海道を健康體に復するにありと信ずる者なり