「僧侶の免役、十五日間の停會」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「僧侶の免役、十五日間の停會」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

僧侶の免役、十五日間の停會

僧侶をして兵役の義務を免れしむ可しとは我輩の曾て唱道したる所なりしが近來は又佛門中にも頻りに之が爲めに運動する者あるよし蓋し僧侶の人たる脱俗方外もとより大悟の道に超然たる可きのみか之をして政治等に干與せしむるは決して經世の宜きにあらず動もすれば紛亂を釀すの媒となるが故に政教混合は經世の一大弊害として夙に世の忌む所たり我國にては幸にして古より政治の甚だしく宗教を苦めたることもなく又宗教の甚だしく政治を亂したることもなかりしかど西洋諸國に於ては宗派の異同より延て政治上の爭に及び爲めに血を流し肉を飛ばして堪ふ可らざるの慘劇を演じたること實に枚擧に遑あらず史を讀む者の毎に冷汗戰慄する所なれば曩に我憲法を發布するに當ても深く此邊に留意したるものと見え其附属法たる議員撰擧法に於て明に僧侶の撰擧及び被撰擧權を禁じ以て其政爭の害を豫防することとなせり至極尤もの次第にして左こそある可き所なれども既に其參政の權利を禁止しつゝ兵役の義務に至りては却て服從を免かれずと云ふ、一方に僧視しながら他の一方に俗視し、表門を閉ぢて之を擯け裏口より入れて之を役せんとするに異ならず前後顛末の極めて不揃なる上に宗教の教ゆる所は専ら柔和忍辱を旨とし彼の軍兵の剽悍殺伐なるとは似ても似付かぬ相違にして僧侶の身分より云へば惡僧たるを免かれず啻に佛門の本意に背くのみならず國家經綸の要を得たるものと云ふ可らず左れば今日僧侶に兵役を免除するの理由は復た多辨を要せず既に明白なる所にして想ふに政府にても其不釣合なるを知らざるにあらず又全國多少の僧侶が兵役以外に在ればとて國民皆兵の主意を失ふにもあらざるは萬々了知のことなる可けれども唯こゝに掛念なるは尋常の俗人にして兵役を忌避するより假に名籍を桑門に托して以て免除を僥倖せんとする者ある可きの一事にして遂に止むを得ず僧俗一樣この義務を強行するの塲合となりしことならんのみ實に右の一點こそ僧侶の特典に於ける唯一の故障にして實際偽僧の掛念なきにあらざれども左ればとて此一點の故障の爲めに眞の僧侶を殺伐の境遇に陥れて國家經綸の要を誤るが如きは我輩の取らざる所なり此事に付き昨今運動中なる佛徒の意見にては其所屬管長が特に認可したる尋常中學若くは其以上に相當する宗教學校の卒業證書を有するもの又は適齢前滿五ヶ年以上宗教を修學し其所屬管長より僧侶たるに堪ふる者なりと届け出でたる者等凡そ此邊の條件を立てゝ濫に流るゝを防ぐ可しとの趣向もあるよし自から是れ一種の制限にして敢て不可なるに非ず其監視を誤らざれば必ず有効なる可けれ共我輩は更に爰に新案を設け凡そ一旦僧侶となりて兵役を免れたる者は後に至りて還俗復籍又は他家を繼ぐと雖も決して再び撰擧被撰擧の權を回復する能はざることゝ定む可し如何となれば僧侶となりたるが爲めに終身兵役を免れたる者なれば其果報として又終身撰擧被撰擧の權を失ふは理數の當然なればなり猶ほ此外に一條を加へたきは凡そ僧侶たる者は病氣の塲合の外必らず常に髪を剃り又必らず法衣を着するに非されば外出相叶ばざることゝ定め背く者は還俗の證據として直ちに兵役に服せしむるか或は刑罰として何等かの罪科に處することなり曰く剃髪曰く法衣稍々奇妙の感なきに非されども兵役忌避の爲め名を僧徒に籍らんとする者は果して如何なる人物なりやと想像し來れば剃髪法衣の制限實に有力のものたるを知る可し徴兵適齢滿二十年より向ふ七年間剃髪法衣を以てして猶も免役を望む者あらば是れ寧ろ宗教の篤志者と見做す可きのみ決して官學校に猶豫せられ外國留學に満期を俟つの比にあらざる可し或は剃髪法衣の如き宗門に於てこそ定む可けれ國家の公力を以て強制するは人の私權を犯すものなりとの俗論もあらん歟なれども例へば風紀の取締上、男子が女装す可からざるが如く行政の必要上僧俗の區別を明かにするは敢て不可なるにあらず故に我輩は特に此二項を設け而して參政の權利を禁ずるが如く又兵役の義務を免じ僧侶をして安んじて其分を守らしめんことを望むものなり

十五日間の停會

衆議院にては昨日上奏案を議せんとするの途端、政府より十五日間の停會を命せられたり停會の處置は畢竟反省を求むるの趣意に出でたることならんなれども議會の決心は既に明白にして自から背水の陣云々と明言する程の次第なれば或は長老の中には穩なる意見を懐くものなきに非ざるも多數の勢、如何ともする能はず毫も反省の情なくして十五日の後に至りても議塲の風光は依然昨日と同樣の觀を呈することならんか而して一方に於ては政府も今は騎虎の勢にして一歩も讓る可きに非ざれば騎虎の勢と背水の陣と相對して如何なる有樣を現出す可きやと云ふに再び停會を見るか然らざれば遂に解散の塲合に至ることならん今日と爲りては誠に止むを得ざるの處分なれども其結果を考ふれば甚だ不味の感なきを得ず我輩は此事に關して更に意見を陳述する所ある可し