「冐險と實業」

last updated: 2019-09-29

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時事新報に掲載された「冐險と實業」を文字に起こしたものです。画像はつぎのpdfに収録されています。

本文

冐險と實業

冐險とは字義の如く危險を冐すことにして實業は着實を旨とするものなり兩者相容れざるが如くにして却て相離れざるは事を遂げ利を求むるの目的に於て其歸する所を同ふすればなり近來日本人の中にも冐險的の事を企つるもの少なからずして一般の社會に於ても之を賞贊するの傾きあり此頃評判の喧しき福嶋陸軍中佐の騎馬旅行の如き又郡司海軍大尉の端艇探險の如き著しきものなる可し前者の旅行は軍事上、士氣を鼓舞するの一點に於て效能少なからざるも實業には縁の遠きものとして後者の企は素より實業を主として目的とする所は専ら殖民拓地漁獵に在りと云ふ其目的果して然りとするときは實際の方法手段、地を撰ふの前後緩急等に付き聊か遺憾なきに非ざれども其實業と云ふ中にも自から武邊の意味もあることならんなれば姑く之を擱き抑も虎穴に入らずんば虎子を得ず商賣に企業に奇利を博せんとするには危險を冐さゞる可らず實業と冐險とは相伴ふものと知る可し彼の米國の如き今日は世界の富国として航海の業も頗る盛なれども其昔し幼稚の時代には船を造らんとして金なきに苦しみたるより止むを得ず冐險の手段に出でゝ造船に變則の工風を運らし當時一般に用ひられたるものに比すれば極めて簡單にして極めて粗末なる船を造りて之を試みたるに其結果案外にして舊式の構造中に無益の長物あるを發明し次第に種々の改良工風を加へて遂に造船の術を一新し航海の進歩を致したるものなりと云ふ即ち彼國の航海業は冐險の結果に外ならずと云ふも可なり冐險と實業と離る可らざるは右の如くなれども熟ら熟ら古今社會の實際を見るに身に一錢の貯もなく又前途の目的もなき無謀の壮年輩が只其血氣に任せて漫に事を企て一蹶起つ能はずして一身を容るゝにさへ處なきに苦しむものある其反對に實業を事とする商賣人の輩は只管着實を旨として危險を冐すことを恐れ是れも危險なり彼れも不安心なりとてますます危險を避けてますます安全を求め其極は遂に商賣の本色を失ふて一切の有金を人に預けて僅々の利息に安んずるか甚だしきは之を金庫の中に藏めて死守せんとするものさへなきに非ず双方共に極端に失して一身の爲めに謀りても得策に非ざるのみか實業の發達進歩に關係すること大なるものなれば其間に處して宜しきを失はざるの手段は經世家の大に注意す可き所なり今の日本の社會は恰も此情態を呈するものにして一方に封建士族の遺流もしくは其遺流を酌んで精神上に士化したる壮年血氣の輩甚だ少なからず此輩は本來資本の貯もなく事業上の實驗にも乏しきに拘はらず其企つる所は一として冐險に非ざるはなし而して其結果を如何と云ふに俗に云ふ士族の商法にして失敗又失敗、家を破り身を亡ぼしたる例さへ少なからざれども其處が即ち士族の遺流たる所にてますます盲進してますます無謀の狂態を逞しふするものなきに非ず今この輩に向て冐險を勸むるは恰も火上に薪を加ふるに異ならず危險至極と云ふ可きのみ然るに一方を顧みれば豪商金滿家の流は全く反對にして只退て安全を守るの一事にのみ屈托し其家の本色たる尋常の商賣企業さへも危險なりとし成る可く手を縮め心身屈強の男子にてありてながら恰も自から孤児寡婦の謀を爲し公債證書を枕にして空しく眠食するもの多し其有樣は水を凝結せしめて氷と爲すが如く流動蒸發の働きは望む可らず左れば社會の先輩たるものは能く此兩端の事情に注目して一方の壮年血氣の輩に向ては努めて着實を説て無謀の擧動を制し又一方の富家翁守銭奴の徒に對しては頻りに冐險を勸めて始めて平均を得るに近かる可し近來世間に冐險を悦ぶの風を生じたるは甚だ妙なりと雖も其これを悦ぶの餘り或は火上に薪を加へて忽ち後悔するの掛念なきに非ず識者の取らざる所なれば社會先達の人々は一方に薪を加ふるの愚を爲さず寧ろ水を注いで火勢を鎭するの工風を運らすと同時に其薪を他の一方に移して氷を溶解し流動蒸發の効用を全ふせしめんこと我輩の希望する者なり